第9話 別れた途端、俺の生活は一変した
地面に手をつき、クラウンチングスタートの体勢になった。
「よおい――」
パンッ――とピストルの音が鳴り、皆、一斉に走り出す。
両隣を確認しながらスピードを調整しなくていいって、めちゃくちゃ楽だ。
あー走りやすい。
そう思っている間にゴールへと辿りついた。
さて、結果は……。
このぐらいじゃ息も切れないので、ごく普通に視線を上げたら、なぜかあんぐりと口を開けた体育教師の顔が目に映った。
その後ろにいる同級生たちも全員同じような表情で固まっている。
え?
「……一ノ瀬、おまえっ……、こんなに足が速かったのか……!? このタイム……市の記録に届く勢いだぞ……!?」
興奮気味に体育教師が駆け寄ってくる。
「市の記録って……」
俺ってそんなに足が速かったのか……。
今日まで自分の実力をまったく把握していなかったので、かなり驚いた。
「一ノ瀬がいればリレーはうちのクラスの圧勝だろ!?」
「アンカーは一ノ瀬で決定だな!!」
体育教師の言葉を聞いたクラスメイトたちが、一斉に騒ぎはじめる。
「市の記録に届くような一ノ瀬がアンカーなら、うちのクラスの優勝もありえるだろ!?」
「優勝いいなあ!! 俺、一度でいいから経験してみたかったんだよ!」
「しかも優勝したクラスは学食のデザート券がもらえるし!!」
なんだかとんでもない話になってきた。
「……あの、盛り上がっているところ悪いんだけど、今回のタイムはたまたまかもしれないし、それに運動部でもない俺にアンカーは務まらないんじゃ……」
俺がアンカーを辞退しようとした途端、大喜びで騒いでいたクラスメイトたちはがっくりとうなだれてしまった。
うっ……。
めちゃくちゃ悪いことをしたような気持ちになってくるな……。
「一ノ瀬そんなこと言わないでくれ……。どうかアンカーを引き受けてくれ!!」
「頼む!! このとおり!!」
クラスメイトたちが一斉に頭を下げる。
俺は慌てて顔を上げてくれるように頼んだ。
うーん……。
さすがにこれ以上拒むのも悪いか……。
「わかった。優勝については確約できないけど、それでもよければ精一杯がんばってみるよ」
俺がそう答えたら、さっき以上の大歓声が湧き起こった。
中にはガッツポーズを掲げている者までいる。
「一ノ瀬、引き受けてくれて本当にありがとう! めちゃくちゃ感謝してる!!」
相原がうれしそうに言う。
「いや、こちらこそ。みんなの反応にはびっくりしたけど、頼ってくれたのはうれしかったよ」
「おまえ……やっぱりめちゃくちゃいいやつじゃないか……!! なんか俺どんどんおまえのこと好きになっちゃうよ!」
相原がそう叫ぶと、「俺も!」「俺も!」と声が上がる。
照れくさいったらない。
頭をかいて周囲を見回すと、いつの間にか俺を中心に輪ができあがっていた。
その日のホームルームで、クラス対抗リレーの順番が発表されると、教室内は授業の時以上の大騒ぎになった。
「一ノ瀬くん、イケメンなだけじゃなくて足まで速かったの……!?」
体育の授業が別だった女子たちに向かって、相原がさっきの一〇〇メートルの結果を説明すると、きゃああっという声が上がった。
「運動部でもないのにすごすぎない!?」
「一ノ瀬くん、かっこよすぎ!! スポーツ万能のイケメンって……好きになっちゃいそう!」
女子たちがキャーキャー言いながら、俺のことを見ている。
足が速い生徒が女子に騒がれる場面は、これまで何度も見たことがあったけれど、まさか自分がその立場になる日が来たなんて信じられない。
数日前までは見向きもされないボッチだったのに。
花火と別れた途端、俺の生活はいい意味で一変したのだった。
◇◇◇
「一ノ瀬くん、また注目の的だったね」
ホームルームが終わった後、帰り支度をしながら雪代さんがそう声をかけてきた。
「はは……。びっくりしたよ。でも、みんなすぐ飽きると思う。将来的に運動選手を目指すわけじゃないなら、足の速さなんて役に立つポイント少ないし」
「そうかな。学校の中ではヒーローだよ? 私も一ノ瀬くんみたいに運動神経がよかったらなぁ……」
雪代さんがはぁっと重い溜息をつく。
「スポーツ、苦手なの?」
「うん……。とくに走るのが……。だからリレーってすごく憂鬱なんだ。――ね、一ノ瀬くん。コツってないかな」
「どうだろ。あるのかもしれないけど、俺はわかんないな」
「そっか……。足の速い人に走り方を教えてもらったら、少しはマシになるんじゃないかなって思ったんだけど……」
それは一理あると思う。
「でも俺なんかじゃなくて、走りに詳しいやつを頼ったほうがいいだろうけれど」
雪代さんはしょんぼりとして、机の上に突っ伏してしまった。
ふわふわした髪が窓から入り込む風で揺れている。
……なんか床にぺたんと寝ているシーズーみたいでかわいいな。
女子は絶対喜ばないであろう比喩だけど、ついついそんなことを考えてしまう。
「……体育祭、休みたいな……」
「そんなに嫌なの?」
「そんなに嫌なの」
オウム返しをしてきた雪代さんが、少しだけ頭をあげて、力なく笑う。
うーん。役に立てればよかったんだけどな……。
「なあ、一ノ瀬。ちょっといいか?」
不意に背後から声をかけられた。
雪代さんと同時にそちらを振り返ると、蓮池千秋という名のクラスメイトが俺たちの後ろに立っていた。
蓮池は、身長が一八〇センチを超える長身で、鋭い奥二重が印象的な強面タイプの男である。
部活は陸上部で、今朝のタイム計測ではクラスで二位の記録を出し、リレーのトップバッターに選ばれていた。それが印象に残り、名前を覚えていたのだ。
そんな蓮池が俺に何の用だというのだろう。
軽く首をひねりながら、次の言葉を待つ。
「――聞きたいことがある。おまえ、どれぐらい本気でリレーに挑むつもりでいる?」
「本気って……?」
「死ぬ気で勝ちに行く気があるのかと聞いている」
「いや、死ぬ気はないよ」
俺が即答すると、蓮池は眉間の皺を深くさせた。
「……それでは困る」
なんとも要領を得ない会話だ。
蓮池は、伝えたいことをなかなか口にできないでいるように見える。
「どうしたんだ? 言いたいことがあるなら、 遠慮しないで言って」
俺がそう伝えると、ようやく決心がついたのか、蓮池はぐっと挙を握り締めて頷いた。
「一ノ瀬、おまえの能力と可能性を見込んで頼みがあるんだ。俺は、今回のリレーで何があってもアンカーになるつもりでトレーニングしてきた。だが、一ノ瀬にあっさり記録を抜かれてしまった」
「ああ、アンカーの座を譲ってほしいって話? それなら別に――」
「違う。俺はおまえに負けた身だ。それは認める。だから俺の代わりに、命がけで二組のアンカーを打ち負かして欲しいんだ……!」
俺と雪代さんは思わず顔を見合わせた。
さっきから『死ぬ気』だの『命がけ』だの選ぶ単語がやけに仰々しい。
「二組に何か負けられない理由でもあるの?」
「二組じゃない。二組のアンカーに選ばれている桐ケ谷太一、あいつをなんとしても打ち負かしてやりたい……!」
「桐ケ谷太一って陸上部の?」
「ああ」
「甘ったるい顔したイケメンだよね?」
「いかにも女たらしっぽいだらしのない顔をした男だ!」
そういう言い方もあるか。
でも、どうやら俺の思い描いているヤツと蓮池の言っている男は、同一人物のようだ。
俺が今朝も駅のホームで見た同級生、つまり花火の新しい彼氏がその桐ケ谷だった。
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