第3話 既読スルーしてやる爽快感

『それ以上騒ぐようでしたら、出入り禁止にしますよ』

『本当にごめんなさい……。ちょっとケンカをしてしまって……。でも、私が悪かったんです。センパイが急に病気になったせいで、取り乱してしまって……』


 病室の扉の向こうでは、そんなやりとりが続いていた。


 花火の声は俺を罵っていた時とはコロッと変わり、愛想のいい優等生のものになっている。

 その声音には、心底、申し訳なさそうな感情が滲んでいるし、どことなく媚も含まれていた。


 俺に対してはひどいモラハラ女な花火だけど、他の人間の前では、いつもこんなふうに態度を変えるのだ。


 あとから知った情報によると、モラハラをする人間は男も女もそういうタイプが多いらしい。

 外面が良く、社交的な、サイコパス。


『今日はこれで帰ります。ご迷惑おかけしてすみませんでした』


 これ以上粘ると心象が悪いと思ったのか、花火はそんな言葉を残して去っていった。


 そのあと、スマホに怒涛の着信とラインがあったけれど、すべて無視したことは言うまでもない。


 一通届くごとに、メッセージの中の花火の機嫌が目に見えて悪くなっていく。



【花火】 気分悪いんでさっさと謝ってくれません?  18:20既読


【花火】 既読つけといて、返事にどれだけ時間をかければ気が済むんですか。 

センパイってほんっとうに愚図ですよねえ! 18:55既読


【花火】 ていうかそんな態度を取られる筋合い、微塵もないんですけど。私がこれまでどれだけセンパイの面倒をみてきてあげたと思ってるんですか。そういう恩を忘れて、こんな態度を取るとかゴミ屑以下ですよね。センパイみたいなダメ人間が、自殺したくならず、生きてこれたのって完全に私のおかげですから。私を振ったりしたら、センパイ死ぬしかなくなっちゃうんですけど、わかってます? 18:57既読


【花火】 そっちがその態度なら、こっちにも考えがあるんで。これからどんな地獄が待っているか、楽しみにしていてくださいね 19:12既読


【花火】   そもそもセンパイは友達だって一人もいないし、私が傍にいてあげなければボッチ確定ですよ。どうぞ明日から孤独で惨めな人生を送ってください。私のありがたみを思い知る未来が想像できますね? 19:45既読


【花火】 ていうか、縁を切るとか言っといて、結局私のメッセージを見てるし、未練全開でうけるんですけど! 19:59既読



 正直ちょっと笑ってしまった。

 だって、未練なんてあるわけないのに、花火は何を勘違いしているんだ?


「なんでも自分の都合のいいように解釈する癖は、相変わらずだな」


 むきになってメッセージを送ってくるので、なんとなく眺めていたが、飽きてきたし切り上げよう。


 まずは、【如月花火】を着信拒否にした。

 繋がっていたすべてのSNSもブロックする。


「うわ。なんだろこの解放感。胃もすっきりした」


 こんなことなら、早く花火の存在を切り捨てておけばよかった。

「……まあでも、今振り返るとほとんど洗脳されてたようなもんだしね」


 ――センパイは役立たずだから、私がいないと生きていけない。

 ――自分がどれだけ価値のない人間かわかっています?


 花火は俺のすべてを否定し、俺の行動の全てにダメ出しをしてきた。


「とりえあず、花火に禁止されてたことをしてみようかな」


 きっと、もう自分は自由の身だということを実感できるだろう。


◇◇◇


 花火と縁を切ったらいっきに胃痛の症状が治まったため、翌々日には病院を無事退院できた。

 俺はその足で、さっそく美容院へと向かった。


 ずっと眼の下まで伸ばしていた前髪をバッサリ切るために――。


 どうしてそんな髪型をしていたか。

 これも花火の発言によって傷つけられたことが原因だった。


◇◇◇


「颯馬くん、自分の顔を鏡で見たことある?」

「えっ。う、うん」


 これはまだ花火が俺を『センパイ』と呼びはじめるより昔のやりとり。

 小学校三年の時の話だ。


「ふうん。鏡見たことあるのに平気でいられるんだ」

「ど、どういう意味?」

「私がもし颯馬くんみたいな顔だったら、絶対に隠したくなるなあって。そんな顔じゃ、そのうち苛められちゃうよ?」

「え……」

「可哀そうな颯馬くん。少しでも顔が見えないように、前髪伸ばしたほうがいいよ。絶対」

「……でも、前が見えないんじゃ」

「は? 何言ってるの?」

「ご、ごめん……」

「あのねえ、自分から見えないなら、相手からも見えないんだよ。そのぐらいもわからないの? 本当に颯馬くんってバカ」

「……」

「ね? 私の言うとおり、前髪伸ばすよね?」


◇◇◇


 俺はそれ以来、花火に言われるがまま、ずっと暖簾のような前髪で生きてきたのだった。


 でも本当はずっと切りたかった。

 髪が皮膚に触れるたび、チクチクして痛痒いし、視野がすごく狭くなる。


 それに髪型のせいで「暖簾くん」「髪型お化け」とあだ名をつけられ、避けられているのも知っていた。


 結局、前髪を伸ばしても伸ばさなくても、爪弾き者になる運命だったのだ。

 結果が同じなら、自分のしたい髪型にするほうがいい。


 髪を切ると、びっくりするぐらい見える世界が変わった。

 太陽の光は眩しく、街路樹の緑は青々と美しい。そのせいか気持ちもなんとなく明るくなる。


 視界が開けるだけで、こんなにも違うものなのか……。


 しかし、驚きはそれだけじゃなかった。

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