第15話 弁当の味

 痛みは引いたが後頭部にはしこりのように腫れたたんこぶが依然として残っている。南条に触れられた時はいろいろと近かったせいで痛みに鈍くなっていたのかもしれない。今触れるとやっぱり痛い。


 でもまぁ触れなきゃ痛くないので授業を受ける分に支障は出なかった。


「ご飯、いっしょに食べよ」


 耳元で囁くような声は南条のだ。

 毎回言っているのだが、話しかけるのなら肩を叩くなりしてからにして欲しい。急に耳元で声を掛けられると、心臓に悪い。


 振り返れば、弁当箱を両手で持った南条が真顔で見つめていた。


「……い、いいよ」


 一緒に弁当を食べようなんて誘われるのは初めてだ。


 いつもはエメたちと食べているのだろう。四限が終わると南条は教室を出て行く。おれも相浦と食べているのでぼっち飯ではない。


 相浦は今日、委員会の集まりでいないため、おれが南条について行って相浦を一人にしてしまう心配はない。


 心配と言っても、相浦なので無駄な心配ではあるだろうが。


「どこ行くの?」

「いつもご飯食べてるところ」

「エメと?」

「うん」

「今日は一緒じゃないの?」

「エメとかほは用があるみたい。せなはいると思う」


 阿澄はいるのか。久しぶりなので若干緊張する。でも、どちらかと言うと阿澄の人柄はエメ寄りなので、そこまで緊張する必要はないのかもしれない。


 先導するエメに黙ってついて行ってはいたが、屋上に続く階段を上り始めたところで声を掛けずにはいられなかった。


「もしかしなくても屋上だったりする?」

「屋上だよ」

「えっいいの……先生にバレたら怒れるだけじゃ済まないでしょ」

「大丈夫。バレなきゃ犯罪じゃない」

「それ、エメの受け売り?」

「うん」


 ———だろうな。


 エメが言っている光景を脳内で鮮明に再現出来てしまう。


 途端に薄暗くなるのは屋上が近付いてきたからか。踊り場を曲がって見上げれば、そこには阿澄の姿があった。


「やっと来たぁ~、って遠坂?」

「遠坂君もいっしょに食べる」

「まじ?いいねそれ~!」


 屋上への扉は南京錠で施錠されている。弁当を片手に持った南条は扉横の窓に手を掛けた。


 ———そこ開くのか。


 屋上への生徒の出入りは禁止されてるはずだ。先生から屋上に出るのはダメだと言われたわけじゃないけど、施錠されている時点でわざわざ聞くまでもないことだ。


 開けた窓を跨がって越え、阿澄の姿が屋上の外へと消える。


「行こう?」


 別にいいか。

 こんなこと、おれ一人では絶対にやらない。今までもやってこなかった。少しくらい羽目を外してもいいだろう。


 それにバレなきゃ犯罪じゃないらしい。


 阿澄に続いて南条も窓を跨がって越え、おれは窓枠に足を着いて飛び越えた。そして犯罪者然とした手早さで窓を閉めたのは阿澄だった。


「はい今日も完璧っ」

「いつもこんなことしてるのか?」


 「今日も」と言うワードに釣られての問いかけだ。


「ん~、ゆっても最近かな?最初は扉の前で食べてたしね」

「うん。たまたま窓が開いた」

「遠坂、ここのこと誰にも言わないでよぉ~。あたしたちの秘密基地なんだからっ!」


 ———秘密基地とは発想が小学生過ぎやしないか。


 階下への扉から少し離れたところに、座って弁当が食べられるような凹凸がある。阿澄と南条が隣り合って座ったので、おれは二人の向かいに腰を下ろす。


「そうそう!あたしのお弁当見てっ!今日ね、キャラ弁なの」


 悪く言えば喧しい。

 良く言えば元気。


 阿澄の場合、場が明るくなる。

 今朝、一緒に通学することになったエメに似ている部分もあるけど、明るさだったり、喧しさ(良い意味で)は全然違う。


「ヒントはこれ」


 弁当を開ける前に人差し指と中指を絡ませて手印を作った。それがヒントなのだろう。


「忍者?」

「ぶぶぅ~!あやっち外れぇー、遠坂は?」

「五条でしょ」

「正解っ!」


 誰でも分かってしまうようなヒントではあった。南条は分かってないみたいだったが、男子なら相浦でも知っていそうだ。それくらい有名だし、話題にもなっている。


「あたし、ごじょせんみたいな男子と付き合いたいんだよね~」


 平然としながら、ガチな口振りで無理難題なことを言う。アニメ好きという阿澄の見かけによらないギャップに驚かされつつ、何気なく開いた阿澄の弁当箱が目に映って、さらに驚く。


「クオリティたかっ」

「自信作ですっ!!!」


 目隠しを片眼だけ上げる五条のキャラ弁は凄まじい完成度を誇っている。絵でも貼り付けたのかと思うレベルのキャラ弁に開いた口が塞がらない。


「イケメン」

「あやっちもそう思うっ!?でも、ダメ!ごじょせんはあたしの彼ピだから!あやっちにはあげないよっ!」


 ———彼ピって……


 二次元キャラを彼氏呼びする阿澄は随分とオタク気質だ。推しのアニメキャラを妻呼びする男だって見ないのに、アニメキャラを彼ピ呼びする女子がいるとは思わなかった。このままいけば、その内オタクに優しいギャルとも会えそうな気がする。


「彼ピ……?」

「友達の上位互換だよ」


 ———それは親友じゃないのか?


「適当なこと教えてあげるなよ」

「適当じゃないもんっ。ごじょせんのお願いだったら、あたし何でも聞いちゃう」


 それはどうも危ない男に引っ掛かりそうな発言に聞こえる。ただ、そういったところは友達のエメがしっかりしていそうだ。おまけに男嫌いの嵩透もいる。


「えっ待って……!あたし、この弁当食べれないよ」

「じゃあ何で作ったんだよっ」

「えぇ?好きだから?」


 阿澄は常にこの感じなのだろうか。


「あやっち、あたしが見てないところで混ぜて!」

「任せて」


 キャラ弁を南条に突き付け、阿澄は両膝を抱え込んで大袈裟に視界を塞ぐ。受け取ったキャラ弁を膝の上に置いた南条は両手に一本ずつ箸を持つ。そのまま箸でごじょせんを形作る具材と米を混ぜ始めた。


「目からいくのか」

「えっ、め、目から!そんなこと言わないでっ!」

「わ、わかったよ。ごめん……」


 叫ぶ阿澄とは裏腹に南条は黙々と五条のキャラ弁を崩していく。もともと、そうやって混ぜて食べるものなのだろう。色取り取りの具材が米と混ざり合い、普通に美味しそうだ。


「あっ……」


 混ぜていた南条も同じ思いだったようだ。

 混ぜ終わった弁当をじっと見つめた末、一口食べてしまった。


 口をもぐもぐと咀嚼させる南条から、無言の圧力を感じるのでおれからは黙っておくことにする。加えて、唇の端に米粒が付いていることも。


「終わった」


 ちゃんと飲み込んでから、膝を抱える阿澄に声を掛けた。


 ぴょんっと勢いよく顔を上げた阿澄は、弁当を渡してくる南条の顔を見て「むっ」と声を上げる。


「食べたでしょ」

「……た、たべてないよ……?」

「い~や。絶対食べた」


 おれが口元に付く米粒を教えなかったがために、阿澄の目にはしっかりと南条が盗み食いしたという証拠が映っている。


 阿澄は人差し指で南条の口元に付いた米粒を取る。


「じゃあこれは何なのかな~?」


 証拠の米粒を見せつけられ、不自然なほどに南条の目が泳ぐ。そしておれの方へ泳いでいた目が止まる。


「……騙された」

「騙してはないよ」


 不服そうな顔をする南条だったが、じりじりと向かって来る阿澄を無視することは出来なかった。


「あたしにもあやっちの弁当一口ちょうだいね。あと、遠坂のもっ」

「何でおれまで」

「あやっちが食べたのに黙ってたから。連帯責任!」


 言うと同時に人差し指に付けた米粒をパクリと食べる。


 羨ましいだなんて思ってないから。おれも阿澄の弁当を一口食べてみたかっただけだ。決して、南条の口元に付いた米を食べたいだなんて思ってはいない。


 キャラ弁が崩し終わり、阿澄が食べられるようになったところで、おれと南条も弁当を出す。


 ばあちゃんの作る弁当は中々に凝っている方だと思う。阿澄のキャラ弁は違うベクトルで凝っているのだろうが、おれの弁当は具材の種類が豊富だ。卵焼きから始まり、唐揚げや魚、ポテトサラダにカボチャ煮などなど。どれも手作りな上に、この種類の多さは凝っていると言っても過言じゃないだろう。


「遠坂の弁当めっちゃうまそうじゃんっ!あたし唐揚げもらうっ」


 阿澄の遠慮の無さには何だか慣れてしまった。でもそれより、弁当を美味しそうだと言ってくれたことが、普通に嬉しかった。唐揚げをあげてもいいか、と思うくらいには。


「あやっち、それ家のやつ?」

「うん。余りものでお父さんが作ってくれた」


 南条の弁当にはサンドイッチが敷き詰められていた。瑞々しい野菜や色の良いハムのはみ出るサンドイッチはお店で出されていても遜色ない。


「家って……?」

「ん?あぁ、あやっちの家、サンドイッチの店やってるんだよ」

「専門店」

「そうっ、サンドイッチの専門店。だから、めっちゃ本格的なの!」

「遠坂君、今話してるから。もうちょっとだけ待ってて」

「何を………?」


 南条の言葉の意味が理解できず、困惑していると「隙ありっ!」と阿澄が声を上げた。


「んんっんんっ!おいしいねぇ~」


 弁当を見れば、唐揚げのあった部分が空になっている。

 そんな盗むような取り方をしなくても。あげるつもりではあったので、別にいいんだけど。


「はい、これ代わりね」

「あ、ありがと」


 自分のペッパーライス的な混ぜご飯を箸で少量すくい、おれの弁当に入れる。


 ———その箸、口つけたよな……


 おれの弁当に入っていた唐揚げを箸で取り、阿澄はそのまま口に入れた。その箸でライスをすくって入れたわけなので、そんなに深く考えるまでもなく間接的なあれだ。でもこの場合は既に間接的な箸を通じているので、間間接とでも言えばいいか。


「サンドイッチ一口もらっていいよねっ」


 続けて、阿澄は南条のサンドイッチに手を出す。

 手に持った状態だと、かなりボリュームのあるサンドイッチに見える。当然ながら遠慮のない阿澄なのでサンドイッチの真ん中から大きくかぶりついた。


「んんっんんっんんっ!安定のうまさっ!」


 阿澄になら弁当を食べられても、リアクションが良いので悪い気はしない。


「あやっち、遠坂にもあげていい?」

「いいよ」

「えっ」


 二人とも、おれの意思は無視の方向のようだ。

 阿澄がサンドイッチを手にしたまま口元に近づけて来る。それも阿澄が一口いった部分をだ。


「一人で食べれるって」

「もうぉ~恥ずかしがらないでぇ~」


 食べさせようとしてくる阿澄を何とか防ぎ、サンドイッチを手にする。後は一口もらうだけなのだが、その一口が中々踏み出せない。


 食べていいのか。阿澄の食べた痕が残る部分は避け、パンのみみ部分から頂くとしても、結局は全て南条が食べることになる。そうなると南条がおれの食べた部分を食べるということになるので………間接的な。


「食べないの?」


 サンドイッチを手にしたまま固まるおれに南条が声を掛けてきた。はっと思考から呼び戻され、考えていられる猶予がないことに気付かされる。


「食べるよ」


 もう食べるしかない。

 おれ一人気にし過ぎても、南条と阿澄が全く気にしない人たちなので気にするだけ意味がない。それでも阿澄の食べたところは避け、端の方を一口頂いた。


「……美味しいよ」

「そんなに?」


 そう言って小さく口を開ける南条が、おれに何を求めているのか瞬時に理解する。同時に頭の中が一瞬真っ白になった。


 ———落ち着け、おれ。


 これは特別なことじゃないのだろう。

 さっき阿澄もおれにしようとしてたし。間接的なあれを全く気にしない人たちでもある。


 おれが口をつけた部分ではなく、阿澄の食べ痕部分を南条の口に運ぶ。阿澄よりかは小さくかぶりついた南条は、咀嚼し嚥下してから「美味しいね」と感想を言う。


 本当に何でもないような南条だが、こっちの身にもなって欲しい。


「遠坂っ、あたしもあたしもっ!」

「……阿澄はもう食べただろ」

「ちぇっ、ケチっ」


 流れるように二口目を所望する阿澄にはきっちりと断わりを入れ、三つの噛み痕の残るサンドイッチを南条の弁当へ戻す。


 そうしてやっと、各々弁当を食べ始めるに至った。

 今までも友達と一緒に弁当を食べる機会は多くあった。だが、こうして弁当を食べ合った経験はゼロだ。それも女子とだし、さっきから内心ではずっと焦りまくっている。


 一山は乗り越えたと思う。

 だが、まだまだ落ち着かない昼食になりそうだ。

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