第14話 軟弱体質

 「また明日」と言われた。

 日曜日に南条から何か連絡があるのではと期待したわけじゃないけど、何事もなく日曜日は終わりを迎えてしまった。


 でも、ちょっとはね。

 人間という生き物である以上、言葉に含みを持たせることも可能だし、それを勝手に解釈して期待してしまうのも仕方ないことだと思う。


「連絡、一度も取ってないよなぁ……」


 そう。

 おれは南条と連絡先を交換したのだが、まだ一度も連絡を交わし合っていない。


 そんなことあるか?

 いや、あるのか?


 何十人、何百人と連絡先を持ってるわけじゃないし、中学の時、仲良かった友達とも大分連絡を取っていない。


「そんなもんか」


 そう思うなら、自分から連絡すればいい。

 思うのは簡単だが、それが出来るのなら一度も連絡を取り合ってない状態にはなっていない。


 スマホに表示された「あやか」の三文字を眺めながら、駅から高校までの道のりを一人歩く。


 今日は遅刻が確定しているので、変に焦ったり走ったりはしない。駅に着いた時間が八時三十九分で、朝のホームルームは四十五分から。瞬間移動でも出来なければ間に合わない。


 家を出る前から分かっていたことなので、今は逆に冷静ですらあるし、一限目の授業に間に合えばいいという感覚で向かっている。


 相浦には、遅刻するから先生に伝えて欲しいとメッセージを送ってある。『了解』と非常に端的な返事が返ってきたので、もう心配することはない。


 相浦から返信を確認してからスマホの画面を落とした直後、『遅刻?』とメッセージが届いた。思った矢先の出来事で、歩く足を止めてからメッセージを開いた。


『うん。寝過ごした』


 なんて返そうかと長々迷っている時間はない。すぐに既読を付けてしまったから、南条も気付いているが可能性が高い。


 簡単な肯定と理由は、送った瞬間に既読が付いた。


『 ദി ᷇ᵕ ᷆ ) 』


 ———顔文字……ガラケーか。


 顔文字が送られてくるなんて初めてだ。

 今の時代、スタンプがあるはずで、顔文字を使う意味はほとんどない。それに顔文字は何だか古臭い。


 幸いにも南条の送ってきた顔文字はグッドを意味するものだと容易に推測できる。顔文字ではなく、アニメスタンプのグッドを送り返すと、またすぐに既読が付いた。


『 ᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ 』


 ———また顔文字………


 返す速度的にコピペしているのは確実だ。

 コピペするための顔文字リストでもない限り、この速度で返事を返すのは無理だ。


 ———顔文字リストって何だよ。


 今回の顔文字は喜んでいるのだろうか。

 おれも喜んでいる風のスタンプを送り返す。


『 ꒰ᐢ •̤ ༝ •̤ ᐢ꒱ 』


 ———付き合いたての恋人か。


 このままでは際限なく、顔文字とスタンプを送り合ってしまいそうだ。どっちかが止めないと終わらないのなら、おれからだろうし、止めるなら今だろう。


 何せ『 ꒰ᐢ •̤ ༝ •̤ ᐢ꒱ 』これが何を意味する顔文字なのか分からない。意味が分からなければ返しようもないので、おれから送るのを止めておく。


 ちょっと、少し、ほんの少しだけ名残惜しさは感じるけど。


「なぁにニヤニヤしてるの~?」

「いたっ……!?」


 肩に誰かが勢いよくぶつかった。

 南条とのメッセージのやり取りに気を取られていたため、ぶつかった衝撃を踏ん張れず、倒れる勢いでおれは電柱に直撃した。


「とっトーサカっ!!?大丈夫!?」


 危うくスマホを落としかけたものの、そこだけは踏ん張れたようだ。代わりに電柱へ後頭部をぶつけ、痛みに耐えている状態だが。


「大丈夫って……エメ、おまえ……」

「ごめんごめんっ!ほんとごめん!だから許してっ、ね?」

「反省してないだろ」


 たんこぶになるだろうな、と後頭部をさすりながら思う。


「たんこぶになった?」

「何だよエメ。急に」


 一ミリも反省していないエメを横目に睨む。


「お、怒んないでよ……」


 上目遣いと反省してそうな声音になるエメだが、口元のにやつきが消しきれていない。


「はぁ……別に、怒ってないよ」

「だよねっ!」


 青く染まった前髪の一部を引っ張ってやろうか。


 酷く楽しそうなエメとは一週間振りくらいに会うかもしれない。普通ならまだ気まずい関係なのだろうが、エメの距離感はレベルが違う。自然とこっちまで畏まった喋り方じゃなくなる。


「エメも遅刻か?」

「そっ、うちはこれで二回目かな。トーサカ、うちより遅刻してる感じ?無遅刻無欠席顔に見えるけど?」


 ———無遅刻無欠席顔ってどんな顔だよ。


「今回が初めて」

「でも、前に一回遅刻しかけたんでしょ。あやから聞いてるよ。二人乗りしたんだってね。青春してんじゃんっ!」


 肩を小突いてくるエメは、かなりうざい系の女子になっている。それに迂闊に答えづらい。変に解釈されたくないし、あの時は遅刻しないための二人乗りであって、そんな青春染みたものではない。おれは全力で漕いでたし。


 じんじんする後頭部を再度さすりながら、小さなため息を吐く。


「もっと遅刻してそうだけどな」

「人を見た目で判断しない方がいいよ。こう見えてうち、頭良い方だなんだよね~」

「ほんとに?」

「成績表出たら見せてあげる」

「いつの話になるんだよ」


 久しぶりに話すというのに、エメとはこうもスムーズに言葉を交わせる。自分のコミュ力が上がったかのように感じるが、決してそう言うわけじゃない。エメの雰囲気がそう思わせるし、実際にコミュニケーションは取りやすい。


「ねえ、トーサカ」


 少し前へ、エメが歩み出る。


「なに?」

「あやと仲良くしてあげてよね」

「ほんとに何だよ急に……」


 振り向いたエメの表情はにやついたものではなかった。エメのことをよく知る長い付き合いなんかじゃないけど、今のエメは心の底から笑っているような気がして、不意に可愛いと思ってしまった。


 緩みかけた口元を咄嗟に押さえてしまった。


「うちに見惚れちゃった?」

「なわけ」

「そういう時は嘘でも見惚れたとか可愛いとか言うべきだよ?」


 何だか頭が痛む。

 さっき電柱にぶつけたところが痛んでいる。


 ———たんこぶになっちゃったかな~これは。


         ※ ※ ※


 じんじんする頭を時おり押さえながら、高校までの道中をエメと歩く。お喋りなエメとは話しやすさも相まって会話が全く途切れない。そのおかげ、というか「せいで」と言った方がいいか。


「このままじゃ一限に間に合わないな……」

「いいんじゃない?遅刻は遅刻だし」

「よくはないだろ」


 歩く速度を上げようとして足がもつれたのか。こけそうになるも、エメが腕を掴んでくれた。


「トーサカ大丈夫?何もないところでつまずくのは年だよそれ」

「ありがと」


 支えてくれたエメに礼だけ言って離れる。

 電柱に頭をぶつけたばかりで、また地面に頭をぶつけたとなれば次は正気を失いそうだ。


「ちゃんと歩ける?」

「歩けるよ」


 躊躇いもなくエメは身体を密着させて、肩を持とうとしてくる。普通に恥ずかしいので止めて欲しい。


「ほんとに~?」

「ほんとに大丈夫」

「なら、いいんだけど」


 さりげなく額を押さえつつ、少し前を歩くエメに続いて歩み再開させる。


 道中は大抵、エメの話に相づちを打ったり、話題を振られればおれからも話す。そんなやり取りを繰り返した。一限に間に合わないと内心では思いつつ、エメとの会話も案外楽しくて歩く速度が落ちてしまう。


 結局、一限の始まる二分前に学校へ到着した。正門の前で既に猶予が二分しかない。本気で走れば間に合うかもしれないが、全然余裕で走れない。


 昇降口で上履きに履き替えようとして屈んだ際、収納棚に手を着いてしまう。


「行くよ」


 上履きに履き替えたエメが、階段を背にして仁王立ちしていた。


「ちょっと待って……」


 棚から手を離し、上履きに履き替える。

 エメの下に近づくと有無を言わさない勢いで腕を掴んできた。


「保健室行くよ」

「えっ………」

「だから、保健室。さっきからずっと頭痛いんでしょ。見てれば分かるよ……」


 強引に引っ張るエメだけど、歩く間隔はおれに合わせている。


「気付いてた……?」

「うちのせいなんだから、気付いてたわよ。ごめん……」

「謝らなくていいよ。そんなに、酷いわけじゃないと思うからさ」


 エメに腕を引かれ、到着した保健室に先生はいなかった。それでも躊躇なく入って行くエメは、ベッドで横になるよう促してくる。


「冷やすもの持ってくるから」


 白いシーツの上で横になった途端、身体中が楽になったような気がして、本当に体調が悪くなっていたんだと実感させられる。


 戻ってきたエメが保冷剤の巻かれたタオルを後頭部に巻いてくれる。何かと手際が良い。


「ほんとごめんね、トーサカ。呼んでくるから」


 誰を、と訊く間もなく、ベッドを囲うパーテーション内から出て行ってしまった。


 先生の許可もなく勝手にベッドを使ってしまっていいのだろうかという疑問はある。出て行ったエメが、先生に伝えてくれているのなら問題にはならないかもしれない。


 流石のエメでも、おれの担任には伝えてくれるよな。


 熱を帯びていた後頭部がタオル越しの保冷剤によって冷やされる。「じんじん」から「ズキズキ」へと変わっていた痛みを大分和らげてくれている。このまま寝て起きたら、良くなっていそうな気さえする。


 体調は確かに悪いので一限の間は安静にしていよう。一限の終わるチャイムが鳴ったら、教室に戻って二限からの授業は受ける。


 そう決めてしまうと楽になってくる。

 横になっているだけだが頭の痛みも、もうほとんど感じない。良いことなんだが、そのせいで襲ってくる眠気を押し返せない。


 うたた寝のような状態になっている自覚はありつつも、それを止めることが出来ないのが眠気の恐ろしいところだ。


 しかし、何度かうたた寝を繰り返す内に視界の中に人が映った。


「大丈夫?」


 たったその一言でうたた寝から現実世界へ呼び戻され、眠気が消え去る。変な飛び起き方をしてしまい、頭が痛む。


「大丈夫だよ。南条さん……」

「エメから聞いた。遠坂君が倒れたって」

「いや、そんな一大事って程じゃないよ?」

「触ったら痛い?」

「……もう、あまり痛くないかな」


 確認しようと後頭部に手を伸ばしかけたが、南条の方が早かった。南条の手が優しく擦ってくる。そして南条の顔がすぐ目の前まで近付いて来て、息が詰まる思いをする。


「いっ、痛くないよ。本当に」


 頭に触れる南条の手を掴み、思わず離してしまう。触れられたのが嫌だったみたいに思われたかもしれない。それをカバーしたくて、おれは言葉を続けた。


「あ、ありがと。来てくれて」


 掴んでいた南条の腕を手放す。

 同時に南条もこくりと頷く。


「先生にお腹痛いって言って抜けてきた」

「大丈夫なの、それは……」

「大丈夫。遠坂君が死にかけだって」

「大袈裟に言ってるな、あいつ……」


 エメに直接言ってやりたい気持ちを抑え、後でメッセージでも送っておくことにする。内容は感謝でないことは確かだ。


「横になってて」


 上体を起こしたおれの両肩を南条が軽く押してきた。抵抗はせずに押されるまま、ベッドで横になる。


「一時間目終わったら、また来る」

「……うん。分かった」


 返事に満足した表情を見せるとパーテーション内から出て行く。だが最後にパーテーションを閉める寸前で南条と目が合った。


「おやすみ」


 その一言とパーテーションが閉まるのは一緒だった。


 眠気なんて南条が来たことで無くなったと思っていた。でも、おやすみの一言を聞いて、眠らないわけにもいかなくなった。一限が終わったら南条が来てくれるようだし、万が一にも寝過ごしてしまうような心配もない。


 ここは南条に甘えても許されるだろう。

 再度、横になった保健室のベッドで、おれは瞼を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る