第13話 休日の土曜は
ばあちゃんとの二人暮らしは、自分の生活力とでも言えばいいのか。そんな力を養わせてくれる。
貯蓄と年金を切り崩して生活するばあちゃんの家に居候するような形で、住んでいるわけだが、それでもばあちゃんは家事全般を一人でこなそうとする。
手伝おうとすれば、学生の本分は勉強だと言って断ってくる。
だから、勝手にやってしまうことにした。家の掃除だったり、洗濯機を回したり。そんなわけなので、ばあちゃんも少しは家事を任せてくれるようになった。
その「少し」の一つに、土曜日の夕飯作りがある。
ばあちゃんは土曜の夕方からスポーツ教室に通っているため、夕飯を作るとなるとどうしても遅い時間になってしまう。スポーツ教室でばあちゃんは疲れているだろうし、おれが作ってしまえば全て解決する。
「無いな」
開けた冷蔵庫を眺めながら呟いた。
何もないわけじゃないけど、冷蔵庫にあるもので夕飯を作れるかどうか問われれば、おれには難しい。
肉とか魚とか、主食になりえるようなものがあれば良かったんだけど。改めて冷蔵庫の中身を確認し、買い物に出掛ける決心を着けた。
今日の夕飯分だけでなく、一週間分くらいは買ってしまおう。二人分の一週間なので別に大した量になるわけじゃない。おれが買い物に出る機会なんて土曜くらいしかないし、数日分まとめて買って来てしまった方が、ばあちゃんも楽になる。
手早く支度を済ませ、ばあちゃんの使うマイバックを持って家を出た。
まだ十五時になる前くらいの時間帯なため、外は明るい。自宅のある住宅街の中には公園があり、よく子供たちがそこで遊んでいる。
家を出て、遠くの方からそんな子供たちの遊び声が聴こえてくる。友達と公園で遊んだ記憶なんて小学生のものしかない。
中学へ上がると本当に公園で遊ばなくなるものだ。これといった理由が考えられないのは『成長』したのが原因だからか。
高校生にもなると公園の遊具はどれも小さ過ぎて、遊ぶに遊べない。そう考えると精神的な成長だけでなく、身体的な成長を不意に感じる。
向かうのは最寄り駅から三駅先の総合スーパー。近くに商店街はあるけど、品揃えで見れば圧倒的に劣る。ちょっとした買い物なら、おれも近場の商店街で済ませてしまうが今回は違う。
今日は肉じゃがでも作ろうと思う。
中途半端に冷蔵庫に残っていた人参とジャガイモを消費したいのもあり、簡単に済ませてしまうならカレーの方が楽ではある。けど、カレーは先週作っている。
夕飯のレパートリーを増やすと思って、肉じゃがを選んだ。カレーよりは面倒くさいかもしれないが、それでもたかが知れている。サイトとか見て作れば余裕だろう。料理なんて結局は決まった行程をなぞるだけだ。
自宅から数十分かけ、総合スーパーには到着した。
「あの、すみませぇん」
改札を抜けてすぐのところで声を掛けられた。声の質から年は結構いっている。振り返れば、頭一つ分以上小さいおばあさんが、おれのことを見上げていた。
「は、はい………」
一瞬、誰だろうと思った。
知らないおばあさんに話し掛けられる覚えはない。だが、顔をよく見れば見覚えがあるような。
「あの時の」
切符を買うのに困っていたおばあさんだ。
「えぇ。あの時はありがとうね」
「いえ全然大丈夫ですよ」
ここで話題は途切れる。
当たり前だ。別に話すようなことなんて無いのだから。
「それじゃあ……」と駅の出入口方面へ向かおうとして、背後から「おばあちゃん!」と物凄く聞き覚えのある声がした。
聞き覚えがあり過ぎて振り返らずにはいられなかった。
「勝手にいなくならないでよ」
「そんなに心配しなくても一人で帰れるわよぉ」
「前もそう言って、切符の買い方………遠坂くん……?」
こぢんまりとした背丈のせいで制服を着ていても高校生には見えなかったが、今の伏見の私服は中学生にしか見えない。下手をすれば小学生だと思う人もいるかもしれない。それは私服だけじゃなく、伏見が童顔なのも原因だろう。
「伏見のおばあちゃん……?」
「う、うん」
「あらぁ。ことねの知り合いなの。この方が切符を買ってくれたのよぉ」
身内と一緒にいるところを学校の知り合いに見られるのは何だか恥ずかしい。今の伏見はまさにそんな状況だった。
「お、おばあちゃん、いいから!」
「この子あまり喋らない子だから、仲良く」
「もぉーおばあちゃん!」
顔を真っ赤にして恥ずかしがる伏見は余計に子供っぽく見える。
「ことね、買い物はできたの?」
「出来てないよ。おばあちゃんがいなくなるから!」
「なら、おばあちゃん一人でも帰れるから、買っておいで」
伏見の制止も聞かず、おばあさんは本当に一人で行ってしまう。
「もう……」
「追いかけなくても大丈夫?」
「は、はい……ここには、何度も来ているので、その、帰り道は大丈夫だと思います。あっあの、祖母が迷惑掛けました!」
小さい身体を全力で曲げる伏見だが、かなりやめて欲しい。端から見れば小さい女の子がおれに謝っているという構図だ。
「大丈夫だって」
「で、でも……」
小動物みたいな可愛さのある伏見が、しゅんとすると無性に頭を撫でたくなる。もしそんなことを本人の許可もなくすれば、セクハラになるかもしれないし、周囲の目だってあるので絶対にやらないが。
「伏見は何を買いに?」
「ほ、本屋に、用があって……」
改札の近くで、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。ひとまず歩きながら話さないかと指先で示すと伏見は頷いてくれた。
「本読むんだ」
「本って言っても、漫画だよ……」
「おれも漫画くらいしか読まないからな」
女子だって漫画くらい読むだろう。伏見なら少女漫画とか好きそう。それでも若干恥ずかしそうな伏見なので、この話題も余りよくなかったか。
「遠坂くんは何をしに……?」
「夕飯の買い物だよ」
「夕飯?自分で作るの?」
「土曜日だけなんだけどね」
「すっすごいね。料理できるなんて」
「そ、そうか?サイトとか見れば誰でも作れると思うけど」
本屋は駅に併設される百貨店の中にあったはずで、総合スーパーは駅を出て真向かいにある。お互いに向かう場所が異なるわけなので、別れるのは必然だった。
しかし、駅から百貨店への入口部分で、これまた見知った人物を見掛けてしまった。
「遠坂くん、あれ南条さんじゃない?」
「………ぽいな」
南条と聞いて、伏見の示した方へ真っ先に目を向けたものの、南条らしき背を視界に収めただけに終わった。
背に掛かった純黒の長髪は南条のそれで、制服姿しか知らないけど、全身黒を基調にした服装も南条っぽかった。
「おれも本屋寄ろうかな」
「えっ……買い物は、いいの?」
前置きに「えっ」と入るだけで、おれと一緒に本屋へ行くのが嫌なんじゃないかと邪推してしまう。伏見に限ってそんなことはないだろうが。
「少し遅くなるくらいなら平気だよ」
「そ、そう……なっ、なら一緒に、い、行かない………?」
顔を赤く染め、声を詰まらせながら伏見がそんなことを言う。
「そのつもり、だったんだけど……別々で行くと思ったの?」
「うぅ……ぅ……」
———この可愛さよ。
マジで頭を撫でたくなる可愛さをしてる。伏見みたいな妹が~とか考えてしまうくらいには愛嬌がある。
「行こう」
「は、はい……」
おれと伏見は百貨店へと足を向けた。
決して口に出しはしないが、ほんの少しだけ南条の動向を探ってみたかったという気持ちはあった。
伏見がそれに気付いているかどうかは分からないけど、急に「本屋寄ろうかな」はあからさま過ぎたかもしれないと今になって思う。
まぁだが、気になってしまったものはしょうがない。百貨店を探し回るつもりはないけど、会えたらいいなという気持ちで百貨店に足を踏み入れた。
※ ※ ※
本屋は百貨店の六階にあった。
結構大きな本屋で、見て回るだけでも楽しめる。そう思うとおれは本が好きなのかもしれない。
今月発売の新刊が置かれるブースで目を輝かせる伏見はまるで、と言うか子供にしか見えなかった。そんな、おれの子供を見る目に気付いて、恥ずかしそうにする伏見。
「それで何を買うつもりなの?」
「い、いろいろです。読んでる漫画の新刊が、いろいろ発売されてるので」
「いろんなの読んでるんだ」
「は、はい………」
やはり、恥ずかしいのか。
本屋に来たと言うのに、全然本に手を伸ばさない。
「おれも、ちょっといろいろ見て回るわ。買い終わったらさ、連絡して」
「はっはい」
気を遣ったのバレバレだったかな。
自然な感じではなかったけど、ああするしかなかった。あの場ではあれが最善だろう。
離れていく最中、一度だけ振り向いた先にいた伏見は楽しそうな表情で新刊に手を伸ばしていた。
———ごりごりのバトルもの………
しかもあれ、微エロとかもあったような。
ま、まぁ好みは人それぞれだ。
伏見は少女漫画が好きそうだなと思っていただけに、少なからず衝撃は受けたけど。本人の前では決して触れないでおこう。泣き出すかもしれないから。
漫画のある本棚を見て回りたい気持ちはあるが、伏見は漫画を買いに来たのだ。買いづらくなるようなことはしたくない。
———なら何故、伏見はおれを誘ったんだ……?
誘われなくても一緒に行くつもりではあった。しかし、伏見自身も誘ってきているはずなのにおれの前だと恥ずかしくて漫画を手に取れない。
「別に何でもいいか」
文庫本の本棚の前で独り呟く。
独りなので誰かの返答があるわけじゃない。そのはずなのに耳元で声がした。
「何がいいの?」
「っっっ……!!?」
———びっくりしたぁ……
ここが本屋だと意識があったからか、声を出して驚くようなことはしなかった。だが、身体は大袈裟なまでに上下した。
「南条さん……」
———南条さんは神出鬼没なのか……
おれだってかなり周りには気を配っていた。百貨店に入って行った南条らしき人を見ているから。
「こんにちわ」
地雷メイクは学校と変わらない。
さっき見掛けた通り、全身黒を基調にした服装で、オーバーサイズのスウェットには大きな猫のイラストが描かれている。
南条だから、違和感なく着こなせているのだろう。
「本、買いに来たの?」
「う、うん。まあ、そんな感じかな。南条さんは?」
「二人を見掛けたから追ってきた」
———二人?伏見がいることも知っているのか。いや、そもそも追ってきたって。
おれと伏見は百貨店に入ってから、どこにも寄ることなく本屋へ直行している。その道中に南条がいたと言うのか。
全く気付けなかった。
「そ、そう」
「伏見さんと何してるの?」
「一緒に本屋に来ただけだよ」
「いっしょに………わたし、今日暇だった」
「えっ……?」
———どういうこと……?
「そう、なんだ。何してたの?」
「ラーメン食べて、猫カフェ行ってた。一人で」
一人で、がやけに強調されている。
南条さん終始真顔だし、何やら訴えていそうな気がしてならない。
「猫、好きなんだ。服とかも」
「……うん。犬も好きだよ」
何か訴えていそうな目で見つめてくる割りに、南条は真顔なので、その内心を測れない。猫に触れてほしいのかと思えば、どうやら違うらしい。
強調しているように感じた「一人」が、寂しかった的な?
一緒に遊びたかったとか?
おれと?
―——いやいやいや。自意識過剰じゃないか、それは。
友達と言っても、まだ数週間の関係でしかない。相浦とだって休日に一緒に出掛けたことはない。
「伏見、買い物終わったらしい」
買い終わったら連絡してと伏見に伝えてあった。確認すれば、エレベーターの前で待っていると。
「南条さんも来る……?」
返事はなかった。
代わりに、コクリと頷いてくれたので、伏見の待つエレベーターまで一緒に向かった。
遠くからでも伏見は分かりやすい。
小柄なせいで本の詰まった紙バックが大きく見える。
―——見えるじゃないな。普通に大きい。
そんな紙バックの大きさに目が行くおれだが、伏見もまた、連れて戻って来た南条に目が行っていた。
「な、南条さん、こっこんにちわ……」
———い、いたんですね。
———おれたち、南条さんにつけられてたらしい。
伏見は南条に言葉を掛けつつ、おれとも視線で会話を行う。
もはや特殊能力だ。
「こんにちわ。連絡先交換しよ」
「急だな……」
「れっ連絡先っですか……!?」
当然ながら伏見は慌てる。
おれが知る限りでは伏見と南条に接点はない。二人が話しているところも見たことがない。
———でも、さっき「伏見さん」と南条は名前を口にしていた。
「どっどうぞ!」
「伏見、一回落ち着いて」
慌て過ぎた結果、伏見はスマホを差し出す始末なので、一旦落ち着くよう促す。
「す、すみませんっ」
「謝らなくても……」
———いや……おれに、じゃないのか………
伏見は南条にビビっている。
その気持ちは分からなくもない。初めて南条を見た時はおれも内心ビビった。制服姿の南条でもインパクトがあるわけで、全身真っ黒な私服姿の南条は制服の倍くらい見た目が強い。
「かわいい。子犬みたい」
おれには出来なかったことを南条が突然する。あわあわする伏見の頭を撫でながら、そんなことを呟いた。
「ふ、伏見……?」
スマホを弄っていた伏見の手が不自然に固まったので声を掛けるも、一向に反応が返ってこない。原因は一目瞭然で、頭を撫で続ける南条のせいだろう。
このままだと伏見が動けない。
伏見のために、頭を撫でる南条の手を優しく掴んで止めたのだが、勘違いさせてしまった。
「遠坂君も撫でたかった?」
———撫でてみたい。本音を言えばね。
「そうじゃないよ。連絡先はいいの?」
「そうだった……」
「はっ………!?」
頭から手が離れたことで伏見は目を覚ました。前後十秒ほどの記憶を失っていそうな伏見ではあったが、QRコードを読み取るくらいは出来る。
ちょうどエレベーターも六階に到着したので乗り込む。
「それ何冊買ったの?」
エレベーター内にはおれと南条と伏見の三人だけ。初めてのメンツだ。
前に相浦と三人で帰った時みたいに変な静けさが漂っていて、この場を繋げられるのはおれしかいなかった。
南条の目を気にしながらも、伏見は答えてくれた。
「十冊です」
「結構買ったんだな」
「お金持ち」
———お金持ちって………確かに。
漫画の新刊は五百円前後。十冊ともなれば五千円以上はするだろうし、十冊もの作品を追うにはそれなりにお金が掛かるはずだ。
「伏見、バイトしてる?」
高校生になって数週間。
部活にも委員会にも入るつもりがなかったのはアルバイトをしたかったから。だが、結局今になってもしていない。
「う、うん」
「どこで?おれにも紹介できる?」
「えっちょっ………」
アルバイトはしたい。
今になってもバイトが出来ていないのは、面接で落とされたからだ。それも二回。友達経由でなら、採用してもらえるんじゃないかと思ってしまった。
「あっごめん」
「うんうん、大丈夫。でも、わたしのところ、もうアルバイトは採用してないと思う」
ベルのような音が鳴り、一階に到着したことを知らせる。
「それじゃあ、おれはここで」
「うん……また、学校で」
百貨店を出て、真っ直ぐ進めば駅の改札、左を見ればすぐ外が広がっている。差し込んでくる日の光は茜色に染まり、それなりに時間も経っているようだった。
手っ取り早く買い物を済ませてしまわないと、夕飯が遅くなる。肉じゃがだって作るの初めてだし。
「南条さんは帰らないの?」
「……遠坂君は、アルバイトしたいの?」
質問を質問で返されるのは南条との会話において日常茶飯事。いつも通り、南条の質問に答える。
「したいよ」
前に一度、アルバイトしたい的なことを南条には言った覚えがある。具体的なことは全く覚えてないけど。
「……話してみる」
「ん?何を……?」
「また明日、遠坂君」
「あっうん、じゃあね……」
改札へ向かっていく南条の背が見えなくなるまで、おれはその場を動かなかった。いろいろと気に掛かるところがあったから。
———でも…………
「明日、日曜なんだけどな……」
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