第7話 ブラックコーヒー
コーヒーの苦味は「焦げたパン」のような風味をしている。
食パンをトーストした時に出来るちょっとした焦げ部分をひたすら味わう。ブラックのコーヒーはそんな感じだ。好き好んで飲む人の気持ちは理解出来ないけど、コーヒーの香りは嫌いじゃないとだけ言っておく。
そして今、そんなことはどうでもいい。
待合室的な部屋で、訳あってブラックコーヒーを南条と飲んでいたわけだが、運悪く稲瀬先生が入って来てしまった。おれがコーヒーカップを手に持ったままでは言い訳のしようがない。
一度、テーブルにコーヒーカップを置く。
「ちゃんと説明してくれる?」
「コーヒーを勝手に飲みました。すみません」
「そう。二人とも飲んだのね」
稲瀬先生は怒っているような感じがしない。
何だか都合の良さそうな表情でおれと南条を交互に見つめている。
「わたしは飲んでない」
———おい南条、おまえ。
黙っていた南条が、口を開いたと思えば保身に走った。おれ一人に罪を背負わせるなんて許すわけないだろ。
「南条さんも飲んでました」
「はいはい。飲んだ飲んでない論争ではいつまで経っても結論は出ません。遠坂くんも南条さんも連帯責任として、林間学校の実行委員をしてもらいます!」
怒られるのだろうと思っていたものの、稲瀬先生は満足気に言い放った言葉に呆気に取られる。
―——林間学校の実行委員……?どういうこと……?
「林間学校の実行委員、前決まらなかったでしょ。二人に頼もうと思って、今日は呼んだんだよね」
「えっ嫌なんですけど」
「その代わり、勝手にコーヒーを飲んだことは見逃してあげる」
「いや、いいです。今ここで怒られておく方が楽だと思うので」
この担任は狡いやり方で実行委員を生徒にやらせようとしている。
前に決まらなかったのも、七月の終わりにある林間学校の実行委員が面倒だからだ。なんせ今から三か月後のことで、林間学校の実行委員は来週から集まりがあると先生が言っていた。
―——集まりは、もう今週か。
「む、そんなこと言うのね、遠坂くんは。南条さんは実行委員やってくれる?」
「二人乗りの件も見逃してくれるなら」
「二人、乗り……?」
何のことか理解出来ていない様子の稲瀬先生を見るまでもなく、二人乗りについてバレていないことは明白だった。それなのに何故自分から言ってしまうのか。
―——南条だからかぁ。
「南条さん、二人乗りしたの?」
「……う、うそ。二人乗りは嘘」
———それは無理あるだろ。
「二人乗りしたのね、南条さんあなた。二人乗りしたもう一人は……」
素知らぬ振りをし続けているおれに南条が顔を向けてくるが、何とも言えない表情をしていた。そんな顔じゃ、絶対に先生は騙せないぞ。
「してませんよ。二人乗りなんて。そもそもおれは電車通学です」
電車通学なのは定期を見てもらえれば証明出来る。
二人乗りしていたという証拠はないので、おれがここで認めなくても先生には問い詰める術がない。
「南条さんも、自転車通学じゃないですよ。自転車にも乗れませんし」
これに関しては知らないけど、今朝知った南条の自宅から学校までは歩いても通える距離だ。それに知らないことなので嘘を言ったわけでもない。
「……まぁいいわ」
簡単に引き下がってくれるのはありがたいけど、何か裏がありそうで怖くもある。
「じゃあ、二人は実行委員をしてくれるってことでいいね?」
「全然よくないですよ」
「お願いよ。先生を助けると思って、ね?」
「なんで、おれと南条なんですか……」
「それは委員会に入ってない生徒で、断わらなさそうだったからかな」
———何だよそれ。
「先週でほとんどの委員会は決まっちゃったし、兼任するのは皆嫌だろうから。それにジャンケンで決めるのは、先生あまり好きじゃないのよね」
「個別に呼んで頼むくせにですか」
「そんなこと言わないでお願いよ」
これに関して、稲瀬先生は一向に引き下がる気配が感じられない。
どうすれば引き下がってくれるか、思考を繰り広げるものの稲瀬先生を納得させられるに足る理由は思い付かない。思い付くもなにも、林間学校の委員会をやりたくない理由なんて「面倒だから」の一言に尽きる。
これが別の委員会なら、諦めて引き受けてしまっていただろうが、林間学校の実行委員は面倒くさい。
「実行委員の仕事は夏休み前に終わるのよ?他の委員会は一年間って思えば楽そうに」
「見えませんよ」
「見えないかぁ。なら、南条さんはどう?楽そうに思えてこない?」
そう振られた南条は少し迷った末、思いもしなかったことを口にした。
「遠坂君がするなら、してもいい」
「……ほんとにっ!?」
「うん」
物凄い期待の眼差しを向けてくる稲瀬先生の顔を今は見れない。
そっぽを向いて、さっきの言葉の意味を脳内で反芻する。
―——おれとなら、実行委員をしてもいい?それはどういうあれだ。意味があるんだ?南条さんのことだし、別に意味なんてないか。
言いようのない嬉しさと恥ずかしさでそっぽを向いてしまったが、いつまでも黙っているわけにはいかない。自然な感じで一息ついてから、言葉を紡いだ。
「……分かりました。やりますよ、実行委員」
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