第5話 寄り道登校

 朝に弱い。

 起きたい時間にタイマーを設定すれば、ちゃんと目を覚ます体質ではある。しかし、そこで起きても二度寝をしてしまう。起きないといけないと分かっていても身体がベッドを離れてくれない。


 そのため、朝の六時に設定されたタイマーの音で目を覚まし、二度寝して七時のタイマーに再度起こされる。そんな結構変わった起床方法を編み出すに至った。


「行ってきます」

「いってらっしゃい」


 いつも玄関まで見送ってくれるばあちゃんの返事を聞いて、おれは扉を閉める。都内の住宅街の一角に聳える立派な一戸建ては祖父母の家であり、今のおれの自宅でもある。


 何年も前に祖父は亡くなっているため、一戸建ての家に住むのはおれとばあちゃんの二人だけだ。


 この家は二人で使うには大き過ぎる。

 それでもばあちゃんが家を売らないわけは何十年と暮らしてきたから。数えきれないほどの思い出があるのだろう。しかし、いつかは売ることになる。受給する年金で、今はおれとばあちゃんは食いつないでいる。だが、お金に余裕なんて決してない。


 ばあちゃんは今は健康だけど、この先もずっとそういられるとは限らない。急遽、お金が必要になれば、家を売ることも考えなくてはならない。でも、それはばあちゃんが決めることでおれじゃない。


 空を見上げれば雲一つない晴天がどこまでも広がっている。

 最高の朝だと言うのに、暗いことばかり考えるのはやめよう。朝からこんなこと考えていたら、授業に身が入らなくなってしまう。


 最寄りの駅までは歩いて十分ちょっとの距離だ。

 駅に着いてしまえば乗り換えなしの電車一本。自宅から高校までは通学しやすくて助かる。中学の時は自電車通学していたので、こうして歩いて学校へ向かうのは小学校振りになる。途中、電車には乗るけど。


 舞堵高校の制服に身を包む男女が前の通りに現れる。おれと同じく、ここ一帯の住宅街に住んでいるのだろう。朝の通学時間帯は最寄り駅にも舞堵高校の生徒が結構いる。


 住宅街を抜け、駅が見えるのと同時に右手に商店街の通りがある。今のご時世、シャッター街なんて呼ばれるくらい商店街の衰退が著しい。地元にもそんなシャッター通りがあったような。


 だから、平日の朝にも関わらず比較的人通りのある、ここの商店街は時代に負けず奮闘しているわけだ。今日の放課後にでも寄ってみようかと思いつつ、駅へ向かう最中、1.5の視力が見覚えのある後ろ姿を捉えた。


 ———南条さん………?


 南条らしき人が商店街へ入って行ったのを確認し、一瞬迷った末、おれも商店街へ足を向けた。どうせ放課後行くつもりだった。家も早く出てるし、二本くらいなら電車を遅らせてもギリ間に合う。


 商店街にはそれなりに人通りがあり、入ってすぐ見失いかけるところだった。


 ———やっぱ南条さんだ。てか、精肉店って……


 見つけた南条は精肉店のショーケースを眺めていた。

 今から学校へ行くというのに生肉を買うなんてことはしないだろう。流石に南条が変わっているからと言って、生肉を持って学校には登校しないはずだ。


 ―——指差した。買うのか!?


 ショーケースに並ぶ鮮度良さげな生肉を指差したのかどうか、良く分からなかったが、今は人差し指を立てている。


 素早く会計を済ませ、南条が店員から受け取ったのはコロッケだった。


 ―——流石にね。生肉を買うわけないよな。


 それでも登校中に精肉店でコロッケを買い食いする時点で十分変わっている。


 まだ十回も、この通学路を通っていないが、南条を見掛けたことは一度もなかった。そもそも、早めに家を出て、学校に着くのも人より早い。しかし、南条はそんなおれよりもっと早い。


 南条もここら辺に住んでいるのだろうか。

 コロッケを頬張る南条とスマホに表示される時刻を交互に見ながら、そろそろ駅に向かわないと遅刻しそうだと考える。


 律儀にも精肉店の前から動かず、その場でコロッケをパクつく南条は、ちゃんとそのことに気付いているのだろうか。


 ———ちょっと待て。おれは何をしているんだ。


 ふと思ってしまった。

 そして思ってしまったからには遅刻は出来ない。


 踵を返すと同時に視界に映った南条が、こっちを見ていたような。視界に映ったのは一瞬で真偽のところは分からない。もう背を向けてしまったし、もし南条に気付かれていたとしても別に何かわるわけじゃない。商店街まで尾行していたことがバレるわけじゃあるまいし。


 電車の時間も迫ってる。

 足早に商店街を出て、向かいの駅へ向かった。


 しかし、改札へ向かおうとした矢先、切符の発券機で見るからに困ってそうなおばあさんを見掛けた。


 ———三分か………


 改札機の読み取り部にかざしかけたICカードをポケットに突っ込み、駆け足でおばあさんの下へ向かう。


「何か、お困りですか?」


 背丈も年齢も、ばあちゃんと同じくらいに見える。

 おれの言葉を聞いたおばあさんは困り果てた表情を少し崩してくれた。


「きっぷの買い方が分からなくてねぇ……」


 申し訳なさそうにするおばあさんへ、どこまで行きたいのか問うと「霞ヶ原」と返ってきた。


 切符を買うのは小学生の時以来かもしれない。

 ICカード使うようになって、もう何年も切符を買っていない。声を掛けておいて「分かりませんでした」は恥ずかしすぎる。


 ここから「霞ヶ原」までの運賃を発券機上部の路線表で二度確認してから切符を発券した。久しぶりだし、間違えるわけにはいかないから、慎重にだ。


「これで大丈夫だと思います。三番ホームの電車に乗れば霞ヶ原まで行けます」

「ありがとうね、ほんとうに」

「いえ、大丈夫ですよ」


 軽く会釈をして、おばあさんの下から颯爽と去る。

 この場合の「颯爽」は決してカッコ良さを表現するためのものではなく、全力ダッシュで改札を抜け、ホームへ向かったということだ。


 しかし、そんな全力ダッシュもむなしく、階段を一段飛ばしまでして上り切った時には既に電車のドアは閉まっていた。走り出した電車の風切り音を浴びながら、おれの遅刻は確定した。


 ———いいか。別に一回くらい。


 出来るなら遅刻はしたくない。遅刻なんて、しないに越したことはないのだから。


 電光掲示板を見れば、次の電車が六分後に来ることが分かる。空いた上り線のホームは、今出て行った電車から降りてきた人たちで溢れている。


 そんな人だかりから遠ざかるようにして、おれはホームの端っこまで歩いてしまったが、そこに南条の姿があって、思わず足を止めしまう。


 ———南条さんも乗り遅れたのか。


 そんな考えが脳裏を過るが、よく考えてみればおかしい。

 電車のドアが閉まったと同時におれはホームへ続く階段を上り切った。ということは電車の走り去ったホームへ一番乗りしたと言っていい。南条がホームの端にいるのは違和感で、その違和感は南条が電車に乗らなかったと考えれば解消される。


「間に合わなかったね」


 南条の後ろに並ぶかどうかで迷っている間に南条の方から声を掛けてきた。

 ここで無視するわけにはいかないし、かと言ってこの距離感で会話するわけにもいかない。


「南条さんも間に合わなかったの……?」


 南条の隣に並ぶか、斜め後ろに並ぶか迷って、結局、南条の隣に並ぶ。


「う、うん」


 ———嘘つけ。


 あきらかに視線が泳いでいる。


「遠坂君は切符買えた?」

「見てたんだ。切符は買えたよ。久しぶりだったから、ちょっと時間掛かっちゃったけど」


 もっとスムーズに買えていれば電車に乗り遅れてはいなかった。


「遅刻しちゃうよ?」

「もうしてるよ」


 駅から高校までは歩いて向かう。二十分掛からない距離だが、次の電車が高校近くの駅に着くのがチャイムの鳴る十分前くらいなので歩いていたら間に合わない。走っても間に合うかどうか微妙なところだ。


「大丈夫。わたしに任せて」

「え……何を?」

「遅刻のこと。わたしに考えがある」


 何やら自信あり気の南条だったが、その考えとやらは電車を待っている間も乗っている間も教えてくれなかった。というか待っている間も乗っている間も、ろくな会話はなかった。


 南条さんとは後ろの席ってだけの関係でしかない。

 ちゃんと言葉を交わしたのだって、入学式の日と昨日の朝のレシートを数えた時くらい。席が前後なので一言二言の事務的な言葉を交わした覚えもある。よく考えればそれだけだ。


 南条の変わった言動を日々観察してはいるが、それはおれに限った話でもない。クラスの皆も南条の変人さに気付いているし、高橋や矢吹のようなクラスの陽キャとはまた違った方向で注目がある。


 満員電車の中でも南条は異彩を放っている。つり革を掴む彼女の隣に並んで、おれもつり革を掴んでいるけど、座席に座るおじさんがちらちら目を向けている。地雷メイクの物珍しさからか、南条の容姿からかは分からない。けど、すれ違えば誰もが二度見してしまうくらいのインパクトが南条にはある。


 ———ちょっとおじさん、見過ぎでは。


 南条がそのことについて全く無関心っぽいので、代わりにおれが目でおじさんに訴えかけ続けたが意味は成さなかった。電車が駅に到着するまで、おじさんは南条を眺め続けいたし、おれはおじさんを見つめ続けていた。何とも不毛な乗車時間だった。


「善は急げ。早く行こう」

「善は急げって……間違ってるでしょ、使い方」


 駆け足気味で階段を駆け下り、改札を抜けて、そのまま駅を出る。いつもなら駅から学校へ続く道には舞堵高校の生徒が大勢いるわけだが、今は完全に遅刻ムーブをなので全然見掛けない。


「南条さん、このままだと遅刻だよ」


 「任せて」の言葉には南条の自信を感じられた。

 しかし、今のままだと学校へは遅刻してしまう。


「もうすぐ着く」


 ———一体どこに……?


 左手のマンションへ入って行った南条が「私の家」と目的地を明かしてくれた。どこまでついて行っていいのか分からず、マンションの敷地に入る前で足を止めてしまった。でも、駐輪場の方へ向かっていることに気付いて、南条が「任せて」と言った理由は分かった。


 マンションの前で待っていると自電車を押した南条が戻って来た。


「お姉ちゃんの自転車」

「いいの、勝手に使って?」

「大丈夫。お姉ちゃん、もう使ってないから」


 訊くまでもなく、南条はこの自転車に乗って学校まで行こうと提案している。確かに自転車に乗って行けば間に合う。だが、南条の押す自転車は一台だけだ。


 ———要するに二人乗りってことか。


 二人乗りの危うさを危惧しつつ、自転車を南条と二人乗り出来るという事実を噛みしめる。


「わたし、自転車乗れないから遠坂君が乗って」

「乗れないのかよ」


 提案した南条自身が、自転車に乗れないという肩透かしを食らう。そんなおれの反応を間違って解釈したのか。


「もしかして、遠坂君、自転車乗れないの……?」

「乗れるよ。中学は自転車通学してたし」


 若干食い気味で答えてしまったのは、おれが自転車に乗れないかもと思った時の南条の表情が、何とも恥ずかしいことだと言いたげだったからだ。南条自身、自転車に乗れないくせに。


「なら良かった」

「でも、二人乗りは初めてだから」


 上手く漕げるだろうか。

 少しの不安はあるものの南条が自転車を漕げない以上、おれが漕ぐしかない。


「わたしも初めて。二人乗り」


 その言葉におれはドキッとしてしまった。

 「初めて」という言葉にドキッとしたのなら、下心が隠しきれていない。南条を見れなくなってしまったので、サドルに跨がって背を向けてしまう。背後で南条も自転車の後ろ部分に座ろうと試みている。


「跨ったほうがいいかな?」

「跨る……?」


 自転車の二人乗りで後ろの人が跨って乗っているところを想像する。別におかしいわけじゃない。けど、アニメとかだと横向きに座っているイメージが強い。


「安定するならいいんじゃない」


 二人乗り自体危険なものだと言うことは理解している。

 だからせめて、後ろに乗る南条が安定する乗り方をして欲しい。


 背後で自転車に跨る南条の気配を感じ、その距離感の近さに跳ねる鼓動を落ち着かせる。二人乗りとかしたことないから、二人乗りというものが、こんなに近いものだとは思わなかった。


 青空を見上げて鼓動を落ち着かせるつもりが、その直後、お腹に南条の腕が回ってきて、落ち着かせるとかの話じゃなくなった。


 しかし、ここで返って取り乱すのはおかしい。

 南条には安定する乗り方をして欲しいし、自転車のフレームを掴むより、前に座るおれの身体に腕を回した方が安定するのだろう。それは分かるけど、突然されると心臓に悪い。


「行かないの?」


 南条の声が耳もとで聴こえる。

 ぞくっとするような心地良さを感じてしまうおれは、やはり気持ち悪い。


 ペダルを踏み締める感覚は久しぶりな感じがする。そして二人乗りだからか、走り出そうと踏み込んだペダルは異常なほど重かった。想定以上の重さに自転車を走り出せず、一度地面に足を着ける。


「大丈夫?」

「あ、うん。大丈夫だよ」


 ペダルは重い。その上でバランスを取らなくてはならない。

 大丈夫と言っておいて漕げるかどうか心配だったものの、二回目で案外すんなりと走り出せた。進みだしてしまえば二人乗りでもバランスを取るのはそう難しいものではなかった。ペダルも少し重いだけで、普通に自転車を漕ぐのと変わりない。


 ただ、お腹に回す南条の腕に力がこもったことには内心うろたえてしまった。


 それでも高校へは遅刻せずに到着した。

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