第3話 ワッフル日和

 おれは今、レシートを数えている。

 くちゃくちゃになったレシートを一枚一枚広げながら、『LR.waffle』のレシートとそうでないレシートに分けている。レシートの中身は極力見ないよう注意しながら。

 そんな作業は意外と気疲れする。単に緊張しているだけなのかもしれないが、まあ変に身体が強張る。


 軽く息を吸って吐く。

 これで少しは落ち着いただろうか。


「まだあった……」


 レシートを数え終えた南条が、財布の中から新たにレシートの束を取り出した。


「……これさ、貯め過ぎじゃない?」

「『LR.waffleエルアールワッフル』のレシートは捨てられないから、しかたない」


 ———ど、どういうことなんだ……?どうして『LR.waffle』のレシートを貯めてると他のレシートが捨てられなくなるんだよ。


「いや、コンビニとかのは捨てられるんじゃ?そもそも貰わなきゃ……」


 そこまで言って、おれは口を噤んだ。

 南条の細めた瞳が目の前にあったからだ。


「な、何でもないよ……」

「わたし、こっち分ける」

「あっうん」


 こっちはもう数枚ほどしかいない。ぱぱっと分けてしまい、綺麗に並べ直してみる。くちゃくちゃだったレシートの束から見つかった『LR.waffle』のレシートは全部で四枚あった。他のはコンビニのレシートがほとんどで、美容院らしきレシートもあったような。極力見ないようにしていたので、そこらへんは曖昧だ。


 レシートを数える時、南条は小さな声が口から漏れているので『LR.waffle』のレシートが今の所、何枚あるのかは分かる。

 まず五十枚の束が二つと、さっき数え終えたレシートが三十六枚。そしてこの四枚を合わせれば、全部で百四十枚となる。ということは無料ワッフル二十個分だ。


 ワッフル二十個は多い。多いんだろうが『LR.waffle』の店のレシートが百四十枚あることの方に意識が行ってしまう。


 ―——どれだけ通えば百四十枚も集まるんだ……


 上から適当に数枚、レシートを取って内容を確認してみる。『LR.waffle』のレシートくらいなら、見ても大丈夫だろう。数えてるわけだし、南条も見られるのは承知の上だと思う。


 レシートに記載されたワッフルは全て種類が異なっていた。

 プレーン二つのレシートもあれば、チョコチップとアールグレイのレシート、焼きりんご三つのレシートなどなど。上から適当に取ったレシートだけを見れば、南条は毎回別のワッフルを買っていることになる。


 ———ワッフルは好きだけど、これと言って好きな一種類があるわけじゃないのか。


 そんなことを思いつつ、南条を見れば、レシートの仕分けが終わろうとしていた。


「何枚あった?」

「……なかった。ゼロ枚」

「あぁ、そうか……でも、合計で百四十枚あるからさ」

「うん。ワッフル二十個分」


 ワッフルニ十個で嬉しそうな顔をする南条を見ていると、何だかこっちまで微笑ましくなってくる。そんな感情は頭を振って消し飛ばす。気を緩めるにはまだ早い。


「今日、ワッフル交換しに行くから、遠坂君も来ていいよ。一つあげる」


 ———ふぅぅぅ………落ち着け、おれ。取り乱すな。「今日、ワッフルを交換しに行くから、遠坂君も来ていいよ」と南条は言ったな。間違いないよな。ということは、どういうことだ?


 ―——放課後、一緒にワッフル屋へ行こうと誘ってくれたということか。というこだよな。それでワッフルを一つくれると。それってデー


 バチンっと額に手を当てて、己の目を覚まさせた。


 ———んなわけないだろ。アホか、おれは。


「えっと、今日の放課後?」

「うん。用事あるの?」

「あっいや、全然。無いよ、全く!」

「そう。なら来る?」

「うん、行くよ」


 放課後、南条女の子と二人で出かけるという予想だにしない展開に、未だ頭が追いつかないものの、レシートを財布に戻し始めた南条を見て、現実に引き戻される。


「南条さん、それは入れなくてもいいんじゃない?」


 百四十枚の『LR.waffle』のレシートに続けて、コンビニとかのレシートまで財布にしまおうとしたので口を挟まずにはいられなかった。


「……そう、だね」


 これでいらないレシートを財布に戻していたら、またいつか『LR.waffle』のレシートが貯まった時、数えるのに苦労する。


 財布に戻しかけたゴミのレシートを取り出した南条だったが、何故かそのゴミをおれの方へ差し出してきた。


「いらんよ?」

「いらないの?」

「それ、ただのゴミじゃん」


 前にハサミを渡してきたような感じで、ゴミを押し付けてくる。流石に今回はゴミ過ぎるし、いらないならゴミ箱に捨てて欲しい。


 座席前の方、黒板クリーナーの隣に設置されているゴミ箱を指差すと南条も分かってくれたみたいだ。


 ゴミのレシートを握り締め、席を発った。


 ———南条、スカート短いな……脚が長いから、相対的に短く見えるのか。


 南条の後ろ姿を眺めながら、そんなくだらないことを考える自分は大分気持ち悪いだろう。自覚しつつも、南条のスカートに目が行ってしまうのは、男としてしょうがないことだとも思う。


 しかし、だからって見続けるのは普通に気持ち悪い。目を逸らそうとして、勉強する相浦の席の前で南条が足を止めた。そして、握り締めたレシートの束を相浦の目の前に突き出した。


 ———ゴミ箱を指差したつもりだったんだけど……


 確かに、この席からゴミ箱の延長線上に相浦の席がある。


 ———いやいやいや。普通、そんな間違いしないだろ。


 おれはレシートをゴミって言ったし、何でそのゴミを相浦に渡すよう示す必要があるのか謎だし、普通に考えればゴミ箱に捨てるだろ。


 ———そうか……南条は、普通じゃないんだった……


 これは、おれが悪いのだろうか。


 勉強中の相浦の邪魔はしないという一年三組の常識を軽々と破り、南条がレシートの束を相浦に渡した。そんな異様な光景にクラス中の視線が集まる。


「これは何だ?」


 突き出されたレシートの束を、相浦も何故か受け取ってから、当然の疑問を投げ掛ける。


「レシート」

「それは見れば分かる。僕を馬鹿にしてるのか?」


 南条は女子の割に背も高く、地雷メイクも相まって、かなり近付きがたい印象だ。しかし、そんな南条相手でも相浦は全く怯まない。


 相浦の調子が変わったとこに気付いてか、南条は首を横に振る。


「遠坂君が渡せって」

「遠坂が……」


 振り向いた相浦に弁明の言葉ではなく、ゴミ箱の方向を強く示す。すると相浦もゴミ箱に気付き、事の経緯を把握してくれた。


 席を立った相浦が、レシートの束をゴミ箱まで捨てに行った。


「これは僕じゃなくてゴミ箱だ。遠坂もゴミ箱を指差したんだろ。こんなこと考えるまでもなく分かることだろ。南条、おまえは馬鹿なのか?」


 クラス中の視線が集まる中でも容赦なく相浦は南条に言い放った。そうなるだろうことは南条を除いて、この場にいる全員が理解していたことだったが。


 言うことだけ言って相浦は勉強に戻り、南条も帰ってきた。


 ———めっちゃ落ち込んでる……


 肩を落として落ち込むとは、まさに今の南条を言い表すに打ってつけだ。ちょこんと椅子に収まった南条に、どう声を掛けようか迷っていると俯いていた南条の顔が勢いよく上がった。


 頬が小刻みに震えている。


 ———恥ずかしかった……怒ってる?いやでも、勘違いしたのは南条だし………おれのせいなのか?


「やっぱりあげない」

「えっ……?」

「ワッフルあげないから、来なくていい」

「…………何か、ごめん」


 これはおれのせいじゃない。

 全部、相浦のせいだ。


 おれは相浦を許せるだろうか……

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