第2話 進学早々

 入学式のあった先週の月曜日から、丸一週間が経った。

 たかだか一週間通っただけで高校生活に慣れたとまではいかないが、それなりの日常を送れている。それに友達だって出来た。


「二限の国語総合、漢字の小テストがあるぞ」

「知ってるよ。一応、覚えてきたし」


 昇降口でたまたま会った相浦と言葉を交わす。

 そう。出来た友達とは相浦のことだ。


 友達の定義って曖昧だし、相浦に「おれたち友達だよな」とか訊けないから、一応友達みたいな関係と言っておく。教室では基本的に自分の机で勉強している相浦なので、教室外で話すことが多い。


 別に相浦も勉強している時に話しかけたくらいで嫌な顔はしないだろう。そうは思うものの、先週、勉強しているところを邪魔した男子が相浦に詰められていた。いやでも、一応おれはこうして相浦と話す仲だし、そんなことは起きないと思いたい。


 しかし、勉強中の相浦には極力話しかけないと言うのが、今ではこのクラスの常識となった。


「遠坂は部活に入るのか?」

「入らないかな。バイトしたいし、家のことで忙しい。相浦も入んないんだろ?」

「ああ、そのつもりだったんだがな」


 きりっとした相浦の横顔に迷いが浮かんでいる。


「えっ、部活入んの?」

「迷ってる。数学理学会に入るかどうかを」


 ———数学?そんな部活、いや同好会か。


 舞堵高等学校は多種多様な部活があることで有名だ。部活だけでも多いのに、舞堵高校の校則では同好会の設立が認められている。三名以上の部員と顧問を受け持ってくれる先生、活動日程等々の条件と部費が出ないことを除けば部活も同好会も、舞堵高校では変わりない。


「ほんと相浦は勉強一筋だな。で、何を迷ってるんだ?」

「数学理学会が僕のレベルに合ってるかどうか分からないだろ」

「なら一回入ってみて、合ってなかったら退部すればいいんじゃない?」

「それもそうか」


 あっさりと言い切る相浦だが、迷った表情は変わらない。

 自分のレベルに合ってなかったら退部する。何も難しいことではない。相浦だってとっくに思い付いているはずだ。それでも迷っていると言ったのは相浦自身「自分のレベルに合わないから」と言う理由で入って、すぐに辞めるのは気が退けるのだろう。


 相浦の対人関係は非常にドライではあるが、ただ冷たい人間というわけじゃない。こうして相手がどう思うか、ちゃんと頭で理解出来る。その上で自分に非がない相手であれば容赦しない人間だ。


 一年三組の教室は校舎の最上階にある。

 相浦とは教室に入って別れた。席が離れているのも、教室で相浦と話す機会を減らしている要因かもしれない。


 ———南条さん、また何かやってるな……


 席に着く前に見た南条さんは今日も変わらず地雷メイクだった。

 机の端に黒と桃色の長財布が置いてあり、白いレシートの束を一枚一枚数えている。ぱっと見だが、レシートはとんでもない数あった。百はあるんじゃないか。レシートの束にはそれくらいの厚みがある。


 ———めっちゃ気になるんだけど。


 南条は変わっている。

 地雷メイクという見た目もさることながら、言動そのものが変わっているのだ。


 クラス内では『変人』の地位を確立してしまっている。本人が望んで、そう思われるよう行動しているわけではないのだろう。南条は本当に変わった人なのだ。それ故に観察するのが面白くもある。


 椅子に横向きに座って、リュックを漁る。

 レシートの束を数える南条をさりげなく横目で盗み見る。


 観察と言ったけど、入学式の日からずっと南条のことが気になってしょうがない。


「44、45、46………50」


 レシートを数える南条の声が微かに聴こえてくる。

 おそらく五十枚であろうレシートの束を財布の隣へ置き、再度レシートを数え始めた。やはり、レシートは百枚を超えている。


 レシートを貯める人は別に珍しくない。前に見た、ばあちゃんの財布の中にもレシートが貯まっていた。


 百枚以上あると思われるレシートが、一体何のレシートなのかは横目で盗み見るだけの状態ではよく見えない。


「5、6、7……8」


 七枚目のレシートを数えたところで二枚重なっていたことに気付く。重なっていたレシートも数に加え直し、南条はレシートを数え続ける。いつになく真剣な眼差しの南条におもわず見入ってしまう自分を抑し、レシートの内容に目を向ける。


 視力1.5の実力を持ってしても、気付かれないよう盗み見る形だとレシートの文字は中々見えない。


 ———少しくらい大丈夫か。


 南条は今、絶賛レシートを数えることに集中している。少し顔を向けたくらいなら気付かれないし、一瞬見るくらいな怪しくもない。


 教室全体を見渡す風を装って、南条の財布の隣に置かれたレシートの束を視界に映す。


 ―——『LR.waffle』……ワッフルの店か?


 確かに、レシートにはそう記されていた。

 スマホで検索にかけてみるとすぐに出てきた。英語の表記通り、ワッフル専門店だった。公式サイトを探ってみると、あのレシートが全てワッフル専門店のものなんじゃないかという推測が立った。


 『レシートを集めて、ワッフル一つ無料プレゼント』


 公式サイトのキャンペーンに載った文言は、レシートを貯めるに足る十分な理由になる。


「47、48、49、50」


 またもやレシートを五十枚数えたところで一区切りつけ、先に数えたレシートの束の隣に置いた。残るレシートを数え始める南条と入れ替わるようにして、おれは新たに数え終えたレシートの束を盗み見た。


 ―——絶対そうじゃん。


 盗み見た束の先頭のレシートにも『LR.waffle』と表記されていた。五十枚のレシートの束が二つ並び、二つとも先頭のレシートが『LR.waffle』のもの。加えて、『LR.waffle』の公式サイトのキャンペーン。


 どう見たって、南条はワッフルを無料で貰うためにレシートを貯めている。


 ———にしても、とんでもない量だな。


 キャンペーンの詳細はレシートを七枚集めると、好きなワッフルが一つ無料になると言うものだ。百枚はあるので十四個は好きなワッフルを無料で貰える。


 ———南条さんは無類のワッフル好きなのか……


 大量のレシートを数えている時点で異様な光景なのに、南条の数を数える表情は真剣そのもの。声を掛けるのも少し躊躇われるくらいだ。一週間前の自己紹介でのこともあり、南条が教室で誰かと一緒にいるところは未だ見ていない。


 大分、周囲から距離を取られている。

 南条自身も自らクラスメイトに話しかけたりしないため、多分だが、このクラスで南条に友達と呼べる人はいない。かく言うおれも相浦くらいなので人のことは言えないけど。


 しかし、南条は普通に可愛い。

 遠目で見る男子は結構いる。今も教室を見渡せば、南条に目を向けている人が何人かいる。目の保養として見る人、大量のレシートを数えるという謎行動を観察している人と様々だ。


「あっ……」


 ———どうしたんだ……?


「違うの混ざってる……」


 ———なに。そうなると全て数え直しか。


 既に数え終えたレシート五十枚の束二つにも、別のレシートが混ざっている可能性がある。でも、数える時に気付かないものなのか。


 数え終えたレシートの束を持ち上げ、パラパラとめくり始める南条の顔は酷く面倒くさそうな表情をしていた。


 ———それでも、この可愛さかぁ……


 五十枚の束を二つとも確認すると、今度は財布のチャックを開けた。そして何を取り出すのかと思えばくちゃくちゃになった大量のレシートだった。


「貯め過ぎだろ」


 驚きというか、意表を突かれたというか。

 心の声が口から出てしまった。


 南条の瞳と視線がぶつかり、「あっ」と口から声とも息ともつかない音を上げてしまう。もう出てしまった言葉は引っ込められないし、南条の耳に届いてしまっている。上手い言い訳も考え付かなかった。


「レシート、いっぱい貯めてるんだね……」

「うん。七枚集めると一個無料になる」

「何が無料になるの?」


 既に調べ、知っているものの会話のために問う。


「ワッフル。LR.waffleエルアールワッフルのワッフル」


 ———エルアールワッフル……『LR.waffle』これ『リエールワッフル』ってお店なんだよなぁ。


 まぁ、そもそも『LR.waffleリエールワッフル』というお店自体、おれは知らなかったので指摘はしないでおく。いちいち小さいことを指摘して、面倒臭い奴と思われたくないし。


「へぇ、そうなんだ」


 これ以上、話す内容がない。

 南条も財布から取り出した、くちゃくちゃになった大量のレシートを机に広げ始めた。机に散らばるレシートはどれも異なっている。『LR.waffle』のレシートも見つけるが、コンビニとかのレシートの方が比較的に多い。


「数えるの、手伝おうか……?」


 ———な、なにを言ってるんだ、おれは!?


 自分で言っておいて、内心は断られるんじゃないか、ちょっと馴れ馴れしかったんじゃないかという焦りと不安に駆られる。心臓の鼓動もホラー映画を観ている時以上にバクバクしている。


 おれの言葉を訊いて、一度、机に散らばったレシートに目を落とした南条だったが、すぐに顔は上がった。


「この中から、『LR.waffleエルアールワッフル』のレシートをさがして。わたしはこっち数える」

「ま、まかせて」


 ———マジかぁーいいのかぁ。


 変に緊張するおれが、机に散らばるレシートに触れた時、南条の口から「あっ」と小さく声が漏れた。


「……盗んだら、怒るよ」

「盗まないよ……?」

「信じる」

「う、うん……信じて」


 そう言って、真剣な眼差しでレシートを数え始める南条だった。

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