片思い中の先輩と、秘密を共有するお話

くろばね

彼は服ごと変身するのでごあんしんください

 狼男、という概念がある。

 満月の夜だったり、新月の夜だったり、はたまた夜な夜なであったり……言い伝えは色々みたいだけど、まとめると『夜に狼に変身する人間』でだいたい合っているだろう。


 漫画やボードゲームなどなど、最近いろいろなところで見かけるようになったそれだけど。

 実在を信じている人が、この世にどのくらいいるだろう? というか、本当に存在するの? 狼男って。


 いるさっ! ここにひとりなっ!


 四本の足に力をこめ、わおーん! とするどく吠えてみる。窓の外で煌々と輝く、おおきなまんまるお月さまにも届くように、だ。

 黄金の月を見ていると、どうにもテンションが上がってしまう。なので吠えずにはいられない……おれの中に秘められし野生よ……いまここに……! わおーん!


「こーら、奈賀井ながいくん! 夜遅くまで遊んでないで、みんなをケージで休ませてあげてって、いつもそう言ってるよね!?」


 そうして気持ちよく吠えていたら、ばたん、とドアが開く音。おれが吠えているここ、お店の事務所に入ってきたのは見知った女性――大学のサークル仲間で、このアルバイト先を俺に紹介してくれた、斉藤さいとう萌衣もえ先輩だ。


「あれ、誰もいない……って、ん?」


 そんな先輩はおれを見るなり、目をまんまるに見開き停止。きょろきょろとあたりを見回したあと、もういちどおれに目を合わせて。


「えっと……キミ、どこの子?」


 しゃがんで笑いかけながら、優しい声で、そう言った。


「……きゃん」


 そんな彼女の声を聞くなり、スゥ……と頭が冷える感覚。満月の夜? 遠吠え? そんなご近所迷惑を……! どうしてこう……! いつも変身直後は謎のハイテンションになってしまうんだ……!

 そもそも狼男だなんて、おれはそんなに立派なものじゃない。

 たしかにおれは、満月の夜になると変身してしまうことがあるんだけれど。


「ふふ、怖がらなくても平気だよ。ふさふさまんまる、珍しい色のポメちゃんだね~。ウルフセーブルちゃんかな〜?」


 変身後のその姿、愛嬌あふれる小型犬ポメラニアンである。


 初めてこの姿になったのは、中学生のころだっただろうか。わけもわからずキャンキャン部屋で吠えていたおれを、母親は見るなり爆笑して。


「うちの先祖は狼男だったみたいで、たまに先祖返りが起こるとは聞いてたんだけど……まさか息子が灰色のポメラニアンになっちゃうとはねえ!」


 と、簡潔に説明してくれたのだ。


 そんなわけで、おれは秘密を抱えながら生きている。ワーウルフならぬワーポメラニアンだともしも他人にバレたなら、良くないことが待っているのは火を見るよりも明らかだからだ。

 でも見られた。それも、いちばん見られたくない人物に。しまった……満月の夜だったのを忘れて、残業できるなんて言っちゃったから……!


「あんなに元気に吠えてたのに、すっかり大人しくなっちゃったね。だいじょうぶだよ~? 怒ったり、痛いことなんてしたりしないよ~?」


 やさしく声をかけながら、こっちに手を伸ばしてくる先輩。たたっと駆けて逃げだそうにも、ポメラニアンの足はみじかい。すぐに捕まってしまったおれは、ひょい、と簡単に抱き寄せられて。


「あったかずっしり、健康そうでなによりだけど……本当にキミ、どこから来たの? ミキちゃんが連れてきた新しい子、ってわけでもないよね? うーん……ん? んんっ?」


 ミキちゃんというのはこのお店――保護犬カフェを夫婦で経営しているオーナーさんで、先輩の親戚にあたる人だ。おれにとっては雇い主だけど、先輩にとってはずっと昔から、犬好きの頼れるお姉さんだったらしい。その影響で、先輩は動物の保護活動をするサークルに入って、ここでアルバイトをすることを決めたんだとか。


 ……だったらおれにとっても、ただの雇い主じゃないな? 先輩と親しくなるきっかけを作ってくれた大恩人だな?


 そう。


 なにを隠そう、おれはこの人に惚れている。

 ひと目見てビビーン! と見惚れ、サークルを通して人となりを知ってさらにビビビーン!! と来てしまい、ここで動物に接するさまを見てさらにビビビビーン!!! となってしまった。なにひとつ言い逃れのできない、圧倒的な片思いというやつだ。

 だからこそ、この人にだけは、おれの秘密を知られたくはなかった。普通の人間じゃないと知られたら、恋愛どころじゃないんだから……!


「むー……だいじょうぶだよ、心配することなんてないんだよ? だからほら、元気を出して?」

「わぉん……くぅん……」


 よしよし、となでてくれるんだけど、愛想を振りまく余裕もない。月が沈んでしまうと同時に、おれは人間へと戻ってしまう。だから、お願い先輩。夜が明けるその前に、おれを置いてさっさと家に帰ってください……!


「キミがどこから来たにせよ、ひとりにするわけにはいかないよね。明日は日曜日だし、今日は私もここにお泊まりだ!」


 うん知ってた。先輩はとても優しいから、たとえ正体不明の犬だとしても、見捨てて帰るような人じゃないって。

 そうなると、なんとかここを抜け出すほかはない。ないんだけど、保護犬カフェという特性上、犬が逃げ出してしまわないよう、施錠関係はバッチリだ。狼の巨体ならまだしも……ポメボディでは……きびしいものがありますね……


 さらに、もうひとつ問題がある。


「あれあれ、眠たくなっちゃったのかな? わかった、寝床を作ろうか。えーっと……タオルの予備は……」


 小型犬の体は……体力が……ない……!

 ちょっと動くとすぐ眠くなって、どこでもグースカいけてしまう。燃費がいいのか悪いのか、寝たらすぐに回復するんだけれども、今もかなりこう……ヤバい……

 眠気でにぶくなった頭をまわして、解決策を……考え……考え……


 ……これはもうあれだ。「あえて! 寝る!」をしよう!


 幸い、明日のシフトはもとから早朝。夜明け前を狙って起きつつ、しれっと人間の姿に戻り、「保護犬のみんなが可愛くて早めに来ちゃいました! あれ先輩、昨日は店に泊まったんすか?」みたいなノリで通しちゃおう。

 先の見通しがついたとたん、気が抜けたのか夢の世界へ一直線。そんな俺を先輩は、やさしく寝床に下ろしてくれて。


「おやすみなさい。私はずっとここにいるから、安心してまた明日、ね」


 まるで赤ちゃんをあやすみたいに、ずうっと手を添えていてくれた。





 翌朝、作戦は無事成功。事務所のソファで横になっていた先輩に「保護犬のみんなが可愛くて早めに来ちゃいました! あれ先輩、昨日は店に泊まったんすか?」の言葉をキめたおれは、疑われることなく業務をスタート。看板犬のみんなの世話をし、お店を開ける準備もばっちり。


「やー、キミがはやめに来てくれたから、オープン時間よりかなり早く作業が終わっちゃったね。昨日も夜遅くまで残ってくれたのに、ありがとうね」

「いえいえ、声もかけずに帰っちゃいましたから。それに、早めに準備が終わったら、おれもこいつらを独占できてうれしいですし」

「キミは本当に犬好きだよねえ。まあ、私もなんだけど」


 保護犬たちをモフモフしながら、先輩と笑いあう時間がうれしい。よかった……昨日のことがバレてなくて、ほんとうによかった……!

 と、気もそぞろなのがわかったのか、なでていた犬たちはなんだか不機嫌。「がうっ!」「ぎゃふっ!」と軽く吠えられ、ごめんごめんとなで直す。


「……犬好きではあるけど、ちょっとみんなに嫌われがちだよね、キミは」

「言わないでください気にしてます。というか、先輩にはかないませんよ。世話も作業も的確で、どの犬にもなつかれてて。犬の気持ちがわかるみたいだなって、感心していつも見てます」


 それはなんの気なしに出た、なんてことのない言葉だったんだけれど。


「キミはさ、超能力とか魔法とか……そういう不思議なことって信じる?」


 急な先輩の問いかけに、へ? とマヌケをさらしてしまう。信じるもなにも、おれ自身がその不思議を体現しているんですけども……? でも、超能力って……?


「これは秘密のお話なんだけど……私ね、触れた動物の心が読めるんだ。こうしてほしい、これが食べたい――それがはっきりわかるから、みんな懐いてくれるのかもね」

「えっあの……冗談、ですよね?」

「ふふ。あっ、もうお客さん待ってるね! すこし早いけど、お店開けちゃおっか!」


 笑いながらそう言って、先輩はドアを開けに行く。突然妙なことを言われて、しばらくフリーズしていたおれだけど……


 はた、と気づく。


 朝になってポメラニアンがいなくなっていたことを、先輩はすこしも不思議がっていなかったことに……!


「えっあっつまり、あれはおれだったってわかってて、心が読めるって、じゃあ、おれの気持ちも、え、あっ、ええっ!?」


 目に見えてあわてはじめた俺を見て、おかしそうに先輩が笑う。

 そんな先輩と、おたがいの秘密を気兼なく共有できるようになったのは……それはまた、もうすこしだけ未来のお話。


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