番外編 二 『それから』【1】

 夏が終わり、秋が来て、冬を迎えた。

 今年の夏はいつもと違い、毎日がとても目まぐるしかった。

 振り返ればほんの数日間のことだったのに、何年もの月日を重ねた気さえした日々だった。



 ある日突然、嵐のように現れたかと思うと、あっという間にこの屋敷に馴染み、優しい光のような温もりを残して去った人間の少女。

 彼女は今日も、どこかでちゃんと笑えているだろうか――。




「雨天様―!」


「どうした、コン」


「今日のお掃除は終わりました。これから猪俣様のところに行ってまいります」


「ご苦労様。今日の甘味はみたらし団子だ。猪俣様によろしく伝えてくれ」


「承知いたしました。それにしても、よい香りですよねぇ。お団子のタレがピカピカのツヤツヤで、とってもおいしそうです」


「あとでみんなで食べよう。ほら、おつかいに行っておいで」


「はい。行ってまいります」



 コンは元気よく返事をすると、いつも通りに出かけて行った。



「雨天様、お夕飯はいかがいたしますか」


「そうだな……今夜は鮭を焼こうか。確か、ちょうどよいものがあっただろう」


「では、私がお味噌汁を」


「ああ、頼む。ギンはすっかり出汁を取るのが上手くなったからな。安心して任せられる」


「ありがとうございます」



 嬉しそうに笑うギンに、瞳を緩める。

 修業の成果が表れていることが自信に繋がっているのだろう。

 ギンはコンよりも引っ込み思案なところがあったが、最近は以前にも増してよく笑顔を見せるようになった。



 コンとギンが屋敷の前で息絶えたあの夜から、もう二百年。

 先代であるこの屋敷の主を失った私は、いつか主と私のような別離の悲しさを味わうのなら、神使など必要はないと思っていた。

 けれど、私ひとりで屋敷のすべてを担うには限界がある。

 そんなときだった。

 傷ついたコンとギンが現れたのは……。



 双子の子狐の神使なんて、おもしろそうだと思った。

 なによりも、ふたりが互いを想う絆の糸が私の心を動かした。

 そうして、ひとりだった私の元に、賑やかで可愛い二匹の子狐が住み着いた。



 三人でお客様をお迎えし、お見送りする。

 そんな日々は、とても穏やかで、春の陽だまりのように優しくて。

ときには予想外のことも起きたが、ひとりだったときよりもずっと楽しく、たくさんの幸せを知った。



 コンとギンが現れてから二百年。

 あの日から、私が笑わなかった日はないだろう。

 ふたりは『雨天様に救っていただいた』とよく口にしているが、本当に救われていたのはきっと私の方だ。

 主を失った私に、コンとギンはまた誰かと過ごすことの楽しさや幸福を教えてくれたのだから……。




「ああ、やっぱりみたらし団子はおいしいですねぇ」



 おやつの時間に響いたのは、コンの明るい声。

 ギンは大人しい性格で、私もコンとギンが神使になるまではあまり口数が多い方ではなかった。

 そんな私たち三人の中でムードメーカーなのは食いしん坊のコンで、いつも笑いの中心にはコンがいる。



 主を失ってひとりぼっちになったあの頃、こんな日々を送ることになろうとは想像もできなかった。

 穏やかで、優しくて、温かい時間。



「コンはなんでもおいしいと言うであろう」


「もちろんでございます。雨天様がお作りになられる甘味もご飯も、どれも本当においしいですから」


「今朝の味噌汁はどうであった?」



 私の問いに、コンがみたらし団子を持ったまま眉を小さく寄せる。

 不本意そうではあるが、程なくして口を開いた。



「……大変おいしゅうございました」



 コンは、今朝の味噌汁を作ったのがギンだとわかっていたのだろう。

 最近は私とギンが作った味噌汁の違いがわかるようになったらしく、ギンを褒めるのが悔しいとでも言いたげな感情が見え隠れしている。

 兄としてギンの料理の腕前が上達していくのは嬉しいが、ギンばかり褒められるのが悔しい……といったところだろうか。



「それはよかった。なぁ、ギン」


「はい。とても嬉しいです」



 にこにこと笑うギンを見たコンが、喜びと嫉妬を同居させたような顔で両手に持ったみたらし団子を頬張る。

 普段、料理以外の家事やおつかいは、ほとんどコンが担っている。

 私とギンがふたりで台所にいる時間がとても長いため、三人でいてもコンだけ疎外感を抱くこともあるだろう。

 そんなことがないように気をつけているつもりだが、この顔を見るにヤキモチが隠せないようだった。



「だが、その味噌汁を作るために必要なカツオや昆布、煮干しは、コンがおつかいに行ってくれるおかげで手に入る。みたらし団子のタレに必要な醤油はもちろん、隠し味の黒糖や水あめはコンが猪俣様のところでいただいてきたものだ」



 私の言葉に、コンの顔がみるみるうちに綻んでいく。



「いつもありがとう、コン。コンとギンがいてくれて、私はとても助かっているよ」



 満面の笑みになったコンは、頬張っていたみたらし団子を飲み込んで得意げに胸を張った。



「とんでもございません。コンもギンも雨天様の神使にございますから、雨天様のお役に立てることほど光栄なことはございません。家事もおつかいもコンの大切なお役目ですから、これからもなんなりとお申し付けください」



 現金なコンの顔は、おかしくなるほど誇らしげだった。

 しかし、コンのこういうところが屋敷を明るく照らしてくれる。

 コンとギン。

 双子といえども、ふたりそれぞれにまったく違った魅力があり、ふたりとも私にとっては可愛い。

唯一無二の、大切な神使なのだ。


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