番外編 一 『新月の夜の出会い』

 生まれる前から、ふたりで一緒だった。

 母のお腹の中に宿ったときよりも、もっともっとずっと前のこと。

 神様が私たちに言った。



『ふたり仲良く手を取り合って行きなさい』と。



 どこに行けばいいのかわからないと言ったら、神様はにっこりと笑った。



『大丈夫ですよ。ふたりで一緒にいたら、きちんとたどりつけます』



 やっぱりわからなかったけれど、隣にいる小さな命と一緒に手を取り合い、真っ直ぐに歩いた。

 すると、不思議なことに暖かな場所にたどりついた。

 知らない場所だったけれど、不安はなかった。

 だって、ふたりで一緒だったから。



 柔らかな場所で何日ものときを経て、私たちはこの世に生を受けた。

 私はコンと、弟はギンと名付けられた。

 私たちが生まれたのは、日本という場所だった。

 金沢にあるひがし茶屋街と名付けられている場所から程近くの山の、ずっとずっと奥の方。



 優しい母は、ふかふかの毛皮で私たちを包み、いつも一緒にいてくれた。

 父は生まれたときからいなかったけれど、母と私と双子のギンがいてくれたからよかった。

 ときには腹を空かせ、ひもじい思いをしたけれど、母はいつだっておいしいご飯を持ってきてくれた。



 ところがある日、母が病に侵された。

 まだ子どもの私やギンではなにもできず、泣くばかりだった。

 なんとか一生懸命取ってきた食べ物も、母はとうとう食べられなくなり、私とギンを残してこの世を去った。



『ほら、泣かないで。お母さんがいなくても、ふたりで一緒にいたら大丈夫よ』



最後の力を振り絞るようにして、母は言った。



『コンはお兄ちゃんなんだから、ギンをよく見てあげてね。ギンはたくさんコンを助けてあげてね。ふたりでずっと一緒にいたら大丈夫よ』



 嫌だ嫌だと泣いても、とうとう母の息は止まってしまった。




 それから幾月の日が過ぎ去った。

 寒かった冬が終わり、暖かな春が来て、厳しい夏と穏やかな秋。そして、また雪が降る冬がやって来た。



 あるとき、ギンが風邪をひいた。

 食欲もなくなり、まるで母の最期のときのように弱っていく。

 ふたりで一緒なら大丈夫。けれど、ひとりになってしまったら、大丈夫ではない。

 怖くて不安で、ギンが食べられるものを探しに行こうと街へ降りた。

 母がいつも『絶対に街へ下りてはいけないよ』と言っていたけれど、雪が積もる山に食べるものはなく、仕方がなかったのだ。



 小さな洞穴にギンを置いて走り、着いた先は城下町。

 知らない場所は、怖くて怖くて仕方がなかった。

 けれど、私が食べ物を持って帰らなければ、ギンの風邪が治らない。

 人目を避けて川沿いを進み、ようやく見つけたのは果実の欠片。

 もうずっと前に母が持って帰ってきてくれた果実は、とてもとてもおいしかった。

 きっと、これを食べればギンは元気になるに違いない。



 グーグーとなる腹に力を込め、たったひとかけらの果実をくわえた。

 雪に埋もれた草むらに潜んでいると、たくさんの二本足の生き物が目の前を通りすぎていく。

 大きなかごを持った者たちが、長い行列を為してぞろぞろと歩いている。

 あれはきっと、母が話していた人間というものに違いない。

 こっそり隠れて、じっとしていれば、いつか道の向こうに戻れるはず。



 そう思って待っていると、どこからかギンの匂いが近づいてきた。

 ハッとした私の視線の先には、フラフラと歩くギンがいる。



「なんだ、この狐! きったねぇなぁ!」


「こんなところに来るんじゃない! 山へ帰れ!」


「コンッ!」


「ギンッ……!」



 ギンが私に気づいたのと、私が叫んだのは、ほとんど同時のことだった。



 神様が言った。

 母が言った。

『ふたりで一緒にいたら大丈夫』と。



 だから、欠けてはいけないのだ。

 ギンも私も、どちらも欠けてはいけないのだ。

 走り出した私の体は刀で切りつけられ、次いでギン共々蹴り上げられて、高く高く宙を舞った。



 今日は新月だと、このとき初めて気がついた。

 星はなく、月もなく、空からしんしんと雪が降る静かな夜だった。

 目を覚ますと、人間たちが私を見ていた。

 すぐ傍にはギンがいてホッとしたけれど、ギンの体は真っ赤に染まってボロボロで、私も全身が痛かった。

 ギンはもう虫の息で、ギンのために取っておいた果実はどこにも見当たらない。

 私は心の中で唱えた。



(大丈夫。ふたりで一緒にいたら大丈夫)



 震える四本の足で立ち上がり、自力で動けないギンをくわえて一生懸命歩いた。

 山に戻ろう。洞穴は暖かいし、近くには川もある。

 食べ物は、あとで私ひとりで獲りに行こう。

 フラフラとした足取りで、目も霞んでいく。



「ギン……もう少しですよ……」



 ギンの呼吸音がよく聞こえなくて、私の心臓の音も小さく小さくなっていく。

 ひがし茶屋街はひっそりとしていて、狭い路地には誰もいなかった。

 これなら怖くない。ふたり一緒だから怖くない。

 けれど、とうとう力尽き、私はギンをくわえたまま倒れてしまった。

 最後に見えたのは、ギンの姿と大きな大きなお屋敷だった。




「……子狐か。人間にやられたか」



 遠くの方で誰かの声が聞こえた。

 優しくて温かくて、まるで私に初めて話しかけてきた神様のような声だった。



「二匹とも息絶えたか……。もう肉体と魂が離れているな」



 私は助からないとわかっていた。

 せめてギンだけは助かってほしかったのに、もう息がないと誰かが言う。

 母との約束を守れなかった。

 痛い体よりもずっと、心が痛かった。



「子狐、私の声が聞こえるか」



 誰かが私に話しかけた。

 優しくて温かくて、心地好い声だった。



「聞こえ……ます……」


「このまま消えてしまうか、私の神使となって仕えるか、どちらがよい?」


「ふたりで……いっしょでも、いいですか……」



 大切なのは、ギンのこと。

 ふたりで一緒でもいいか、確かめなくてはいけない。

 私はギンの兄なのだから、弟を守らなくてはいけないのだ。



「もちろんだ。双子の子狐の神使とは、毎日が楽しくなりそうだ」



 誰かの嬉しそうな声が聞こえると、霞む視界に大きな手が翳された。

 私の体を撫でる手は温かく、まるで大好きな母に包み込まれているようだった。



「さぁ、お前たちは今夜から私の神使だ。このお茶屋敷のために、しっかりと仕えておくれ」



 柔らかな光に包まれた体からは、みるみるうちに痛みが消えていく。

程なくして目を開けると、銀色の髪を靡かせる青年が立っていた。



「ギンは……?」



 慌てて隣を見れば、知らない少年がこちらを見ていた。

 けれど、私はこの匂いを知っている。

 懐かしくて嗅ぎ慣れた、ずっとずっと一緒にいた匂い。



「コン……?」


「ギンッ……!」



 着物を着た小さな少年も、すぐに私がコンだと気づいた。

 生まれるずっとずっと前から一緒にいるのだ。

 わからないはずがない。

 ふたりで抱き合って声を上げて泣いた。

 わんわんと叫ぶように泣いた。



「コンに、ギンか。よい名前だ」



 程なくして、優しい声の青年が瞳をたわませた。



「あなたは……?」


「私の名は雨天。ひがし茶屋街のこの屋敷に棲む、雨の神様だよ」



 銀髪の美しい青年が笑う。

 初めて見た神様とは全然違ったけれど、私は一目でこの神様を気に入った。

 母のような、温かくて優しい匂いがしたからに違いない。



「今日からよろしく、コン、ギン。お前たちと私はずっと一緒だ」



 嬉しかった。とても嬉しかった。

 ギンとずっと一緒にいられることも、雨天様にお仕えできることも。



 神様は言った。

 母も言った。

『ふたりで一緒なら大丈夫』と。



 今日から三人になった。

 ふたりで一緒なら大丈夫。

 それなら、三人で一緒ならきっともっと大丈夫だ。



 もうなにも怖くない。

 今宵の空には、月も星も見えない。

 雪が降る凍てつくような夜だけれど、雨天様の銀の髪は月よりもキラキラと輝いていた――。


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