お品書き 五 『上生菓子』神様からの贈り物【2】

「でもね、おばあちゃんだけは私をたくさん褒めてくれたんだ」



『宿題をちゃんとして偉いわね』

『好き嫌いせずに食べてすごいじゃない』

『ひかりちゃんがお手伝いしてくれて助かるわ』



 どれもこれも、取るに足らないようなことばかり。

 だけど、些細なことでも褒めてくれるおばあちゃんだけは、私のことをちゃんと見てくれていると思えて、物心ついた時には心の拠り所になっていた。



「だから、長期休みになるとおばあちゃん家で過ごせるのが嬉しくて、いつも金沢に来てた」



 両親の期待が薄れていく中で、おばあちゃんだけは最後に会った時ですら私のことを褒めてくれた。

 本当に些細なことばかりだったけれど、大学生になっても私のことをちゃんと見てくれるおばあちゃんに何度救ってもらったかわからない。



「おばあちゃんとの時間が、私の一番の心の支えみたいなものだったと思う」



 とても思いやりがあって、たくさん褒めてくれて、いつも笑顔で明るくて。

 いつからか、私はおばあちゃんみたいな人になりたいと思うようになっていた。



「おばあちゃんのおかげでグレたりしなかったし、両親と大喧嘩したこととかもなかったんだけど、両親とはずっとぎこちない時とかもあったんだ。でも、ひとり暮らしをするようになってからは、いい距離感で付き合えるようになったとは思う」



 離れてみたことで両親がいることへのありがたみみたいなものを何度も感じたし、期待をされていなくても人並みに大事にされていたんだということにも気づけた。

 離れて暮らしているからこそ、実家に帰った時には今までよりも向き合って話すことも増えた。



「実家に帰っても、前ほど息苦しさみたいなものは感じないし。それに、お兄ちゃんとお姉ちゃんは昔から優しいしね」



 おばあちゃん家の方が居心地はいいとは思うけれど、実家も決して悪くはない。

 そんな風にまで思えるようになっただけでも、ひとり暮らしをしてよかった。



「そうか」


「うん。ただ……」



 安堵混じりの笑みを落とした雨天様が、心配そうに私を見つめてくる。

 暗くなり過ぎないように、少しだけ笑って見せた。



「私はちゃんとした夢も目標もないし、就活でまた両親をがっかりさせるかもしれないって思うと……すごく怖いんだ」



 おばあちゃんが心配しないように、しっかり頑張ろう。

 そう思うようにしても、これから先のことを考えると不安しか出てこない。



「もう子どもじゃないのに、なんだか情けないよね」



 笑っていたいのに、負の感情に負けてしまいそう。

 そんな気持ちを隠して乾いた笑いを上げた私を、雨天様が「ひかり」と静かに呼んだ。



「目標がないことは、別に悪いことではない」



 きっぱりと言い切られて、少しだけ戸惑った。

 共感できないせいで、微妙な顔になっていたと思う。

 だって、現実問題、私は来年に就活を控えた身。夢や目標とまではいかなくても、自分自身のやりたいことくらいはわかっていなければ、就活にも影響するだろうから。



「だいたい、大きなものだけを目標と決めつけるのは、いささか浅はかだ。大きくたって小さくたって、自分が頑張るきっかけになるのなら目標であろう」



 それでも、雨天様の声には素直に耳を傾けたくなる。

 明確な理由を説明することはできないけれど、今日までの日々が自然とそうさせていたのかもしれない。



「たとえば、今日の仕事を頑張ろうと思うことだって、立派な目標だ。それを達成すれば、褒美に大福のひとつでも食えばよかろう」


「でも……普段はそれでよくても、夢とかちゃんとした目標がないとやっぱりダメだと思う。だって、そういうものがないと、将来のことなんて決められない気がするもん……」



 日々の目標は簡単なものでもいいのかもしれないけれど、自分の将来を決めるにはあまりにも心許ない。

 納得できなくてため息を漏らすと、雨天様がフッと瞳を細めた。



「夢なんて、案外そこかしこに転がっている石から見つかることもあるものだぞ」


「え? 石……?」


「石というのは〝ものの例え〟だが、別に大きなきっかけばかりが夢に繋がるというわけではない、ということだ」



 怪訝な顔をした私を見て、雨天様がおかしそうにクスリと笑った。

 からかわれていないのはわかるけれど、子どもを見るような眼差しに思わず唇を尖らせたくなってしまう。



「縁やきっかけがいつどこに転がっているのかなんて、神様ですらわからない。だから、そうして悩むくらいなら、なんでも見て、聞いて、触れて、自分の心と体で感じてみればよい」


「それでも、もし……来年までに見つけられなかったら?」


「ひかりは、随分と心配症だな」



 雨天様の言葉で少しだけ心は軽くなったけれど、不安を拭い切ることができずにいると、困り顔で微笑されてしまった。

 我ながら深く頷けるものの、それが本音なんだから仕方ない。



「よいか、ひかり。夢なんてものは、別にいくつになっても見つけることはできる。退職してから大学へ行ったって、年老いて身体が動かなくなってから恋をしたってよいのだから」



 ずっと未来のことで例えられたから上手く想像できなくて、すべてには共感できなかったけれど……。焦らなくていい、と言ってくれていることはしっかりと伝わってきた。



「もしも、追い詰められるような状況に陥り、心が潰れそうになっている時には、いっそのこと小さな荷物だけを手にして世界中を旅するのもよかろう」


「じゃあ、いつか私もそうしてみようかな」


「ああ、それもよいな」



 冗談のつもりだったのに、雨天様は意外にも本気で頷いてくれているようだった。

 実際にはきっと、簡単なことじゃないけれど……。


「人はみな、人生を楽しむ権利を持っているのだからな」


 雨天様がそんな風に言うのなら、いつかどうしようもなく悩んで身動きが取れなくなった時には、世界中を旅してみるのもいいかもしれない。

 そうすれば、今の私の悩みなんて、ちっぽけなものだと笑えるだろうか。



「楽しむ権利、かぁ……。うん……人生って面倒くさいなって思うこともあるけど、ちゃんと頑張らなきゃね」


「人生とは、人の生き様だ。人はみな、脆く儚い。そして、時には醜い一面もあるものだ。それでも、前を向いて生きようともがく姿は凛と美しい」



 私を見据える瞳が、そろりと緩められる。

 そのまま、おもむろに続きが紡がれた。



「つらくて苦しい日も数え切れないほどあるだろうが、いつか天寿を全うした時、笑っていられればよいのだ」



 麗しいという言葉がぴったりの笑みは、雨天様の相貌をいっそう美しく見せ、瞳を奪われてしまった。



 やっぱり、もっとここにいたかったな、と思ってしまう。

 決して口にはしないけれど、心の中ではその想いが強く主張していた。

 美しくて優しい神様と可愛い神使たちとの、たったの二週間。

 信じられないことばかりの日々は、私の心に優しく寄り添ってくれていた。

 だからこそ、余計に名残惜しくなるのだろうけれど、最後にこうして雨天様と話せてよかった。

 寂しさを隠すことはできなくても、きっと笑顔でお別れを言えると思うから。



「ひかりなら、大丈夫だ」


「雨天様がそう言うのなら、そうなのかな」


「ああ。ひかりがあるべき場所に帰っても、私はここからずっとひかりのことを見守っている」


「え?」



 小首を傾げると、雨天様は足元にあった小さな水たまりに視線を落とした。

 雨天様が手を翳すと、いつかのようにひがし茶屋街の景色が映る。



「こうして私が映せるのは、なにもひがし茶屋街だけではないのだ」


「そうなの?」


「人間のお客様の場合、その者が天寿を全うするまで姿を見ることができる」



 目を小さく見開いた私に、雨天様は頷く。

 その眼差しを受け止めながら、私も視線を落とした。



 そういえば、雨天様は前に来た人間のお客様が天寿を全うしたことを知っていた。

 その時は深く考えなかったけれど、つまりそういうこと。

 私からは見えなくても、雨天様からは私のことが見えるのは、少しだけ不公平だと思ってしまった。

 それでも、心の中にわずかに残っていた不安が溶けていく。



「じゃあ、ますます頑張らないといけないね。雨天様やコンくんやギンくんが、心配しないように」


「そうしてもらえると、こちらとしては気を揉む必要がなくてありがたいな」



 おどけて見せると、雨天様の表情に安堵が混じった。

 私が思っているよりもずっと、雨天様は私のことを心配してくれているのかもしれない。



「だが、いつもいつも頑張る必要はないのだぞ」


「たまには息抜きしろってこと?」


「ああ。そもそも、人間はなんでもかんでも頑張り過ぎだからな。長い人生を生きるのだから、毎日午後に茶を飲む時間を持つくらいでちょうどよい」


「でも、忙しい時にお茶なんて飲めないんだよ」


「だったら、なにかひとつ後回しにすればよいではないか」


「えー……」


「えー、ではない。神様がこう言っておるのだぞ?」



 フン、と鼻を鳴らすように言い切った雨天様に、思わず噴き出してしまう。

 だけどきっと、雨天様の言う通りだと思った――。


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