お品書き 四 『おはぎ』別れるその日まで【3】

「おう、コン。またデートかい」


「お遣いにございます」


「相変わらずお堅いなぁ」



 近頃は、猪俣さんのところに行くと、決まって猪俣さんとコンくんがこんなやり取りをする。

 同じシーンの繰り返しに、私は今日も小さく笑った。



「本当は満更じゃないんだろう?」


「猪俣様はしつこいですよ」



 からかう猪俣さんと、決まったセリフを返すコンくんと、そんなふたりを見てクスクスと笑う私。

 三人の立ち位置が、すっかり定着してしまっている。



「本日は、小豆ともち米をお願いしておりましたが……」


「ああ、ちゃんと仕入れてある。小豆はいつもよりちょっといいものが手に入ったぞ」


「ありがとうございます」


「次の注文は?」


「明後日までに、和三盆をご用意いただけますか? それと、いつもの飴屋さんの水あめも」


「おいおい、和三盆は早めに言ってくれって言ってるだろう?」


「申し訳ございません。私も出かけに言いつけられたものですから」



 猪俣さんは盛大なため息をつきながらも、承諾してくれる。

 これも、もうすっかり見慣れた光景だ。



「こちらが今日の甘味でございます」


「今日はなんだ?」


「塩大福でございます」


「おぉ、それはいいな! 夏にぴったりだ!」



 コンくんに訊きながら風呂敷の中身を確認した猪俣さんが、パッと笑顔になった。

 今日一番の笑顔になったところを見ると、コンくんと同じように塩大福も好きみたい。



「ん? もうひとつ容れ物があるな」


「そちらは、奥様がお好きな豆大福でございます。どちらもおふたりで召し上がっていただけるよう、ふたつずつご用意させていただきました」


「ほう、気が利くじゃないか。あいつも喜ぶよ。豆大福は滅多に食えないからなぁ」


「猪俣様にはいつもお世話になっているからという、雨天様のお気持ちでございます。それと、豆大福はよい黒豆が手に入りにくいので滅多に作りませんが、奥様がご注文くださればいつでもお作りします、とご伝言です」


「ありがとうな」



 フッと寂しげな顔をした猪俣さんを見ていると、猪俣さんは「うちの奴、ちょっと入院してるんだ」と微笑した。



「え? 大丈夫なんですか?」



 思わず尋ねた私と、帰り支度をしていたコンくんは、お互いの顔を見合わせてしまう。

 猪俣さんの奥さんとは一度しか話したことがないけれど、とても優しくて穏やかな人だから、私はその一度会っただけでとても好きになった。



「ああ、ただの夏バテだ。どうも歳を取るとダメだよなぁ」


「あの……じゃあ、大丈夫なんですか?」


「入院は、念のためだとさ。昨日入院して、明日の朝に問題がなければ、午後には帰ってくる予定だ」


「よかった……」



 ホッと胸を撫で下ろすと、コンくんも安堵の息を吐いているところだった。

 奥さんが好きなのはコンくんも同じだし、お互いの顔にはきっと不安の色が濃く出ていたに違いない。



「まったく……。だから、言ったんだ! 昨日はちょっとしんどそうだったから、無理して買い物になんか行かなくていいって」


「体調が悪いのにお買い物に行かれたのですか?」



 手を止めたままのコンくんが眉を下げれば、猪俣さんが少しだけ気まずそうな顔をした。

 なんだろう、と思っていると、皺がたくさん刻まれた顔が照れ臭そうに背けられ、太い指が頭をポリポリと掻いた。



「昨日は結婚記念日だったんだ」


「そうだったんですか? おめでとうございます!」


「この歳になっても、まだ祝うなんて言うから、こっちはいいって言ったんだけどさ。祝うって言って譲らないから、代わりに買い出しに行こうとしたら、それも止められたんだ」


「なにか理由でもあったんですか?」



 きっと、そうに違いないと思いながらも訊けば、猪俣さんは呆れ混じりに笑った。



「ホールのケーキを予約してたらしいんだ。ケーキなんて孫が遊びに来る時くらいしか買わないのに、今年はダイヤモンド婚式だったから早くから予約してたんだとさ」


「奥様はきっと、猪俣様とお祝いしたかったのでしょう」


「気持ちは嬉しいが、それを取りに行くために倒れられたら、こっちの寿命が縮むよ」



 コンくんの言葉に、猪俣さんが苦笑を零す。

 呆れたような物言いだけれど、奥さんを大切にしているのは表情を見ればわかった。



「別にケーキもプレゼントもいらないが、あいつがいなくなるのは勘弁だ。この歳で情けないが、あいつにはまだまだ長生きしてもらわないと困るからさ」


「でしたら、早くお見舞いに行って差し上げてください。我々はもうお暇しますので」


「コンくんの言う通りです。きっと、奥さんは猪俣さんが来られるのを待ってるはずですから」


「いや、それなら午後から――」


「それはいけませんよ!」

「そんなのダメですよ!」



 猪俣さんの話を遮った私たちは、同じようなセリフを口にしていて、思わずまた顔を見合わせていた。

 目配せで察し合い、再び猪俣さんに視線を戻す。



「わかったよ。この大福を持っていけば、あいつもすぐに元気になるだろうしな」



 程なくして、フッと笑った猪俣さんは、二種類の大福を見下ろして頷いた。

 奥さんが無事に退院したと聞いたのは、翌々日に品物を取りに来た時だった――。


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