お品書き 一 『あんみつ』銀の光に導かれて【4】
「失礼いたします」
あどけない声が耳に届いたのは、コンくんの提案に頷いてからすぐのこと。
小さなお盆を持って部屋に入ってきたのは、コンくんとよく似た顔立ちの男の子だった。
「ようこそおいでくださいました。ギンと申します」
お盆を持ったまま深々と頭を下げたギンくんは、コンくん同様とても丁寧な所作で挨拶をしてくれた。
咄嗟に背筋を伸ばし、頭を深々と下げる。
「えっと、ひかりです……」
「はい。存じ上げております」
「え?」
「我々は、ここにいらっしゃるお客様のことは見えていますから」
はっきりとは言い切られていないけれど、それはつまり私のことを知っている、と言いたげに聞こえた。
まだ信じていなかったコンくんの言葉が、妙に意味を持ったような気がする。
「雨天様特製のあんみつでございます。お好みで、こちらの棒ほうじ茶を混ぜた蜜をかけてお召し上がりください」
スッと私の傍に来たギンくんは、あんみつと小さな器に入った濃茶色の蜜をテーブルに置いた。
金箔が輝き、ほのかに甘い香りが鼻先をそっとくすぐる。
あんみつの器には、透明な寒天とともに、抹茶色とピンク色のもの、みかんやあずきが入っている。傍らには、バニラアイスとさくらんぼが載っていた。
「どうぞお召し上がりください」
「……じゃあ、いただきます」
どこか奇妙な雰囲気と、子どもらしくないふたりに囲まれて、戸惑っていたのはほんの一瞬のこと。
目の前でキラキラツヤツヤと輝くような甘味に、喉がゴクリと鳴ってしまい、簡単に誘惑に乗っていた。
手を合わせて「いただきます」と紡ぎ、木のスプーンを手に取る。
まずはなにもかけずに寒天を掬い、待ち切れずにいた口に運んだ。そっと咀嚼すると、寒天特有の食感とともに優しい甘さが口腔に広がっていく。
飲み込んだ直後には、バニラアイスとあずきを一緒に口の中に入れていた。
バニラビーンズが混ぜ込んであるアイスは、こっくりとした甘さだけれど、しつこくはない。それでいて、舌の上ではその存在を主張していた。
あずきは丁寧に炊き込んであるのか、嫌な甘さや口内で皮が貼りつく感じはなく、ひと粒ひと粒がふっくらとしている。バニラアイスとの相性も抜群で、このふたつだけでも飽きが来ないような気がするほどおいしかった。
「おいしいっ! なんですか、これ! こんなにおいしいあんみつは初めてです‼」
和菓子は人並みに食べるけれど、特別好きというわけじゃない。
だけど、このあんみつは本当においしくて無我夢中で口に運び続けてしまい、興奮気味に感想を口にした時にはすでに半分近く食べていた。
「それはよかったです。ですが、この蜜も絶品なのですよ。それも一緒に口にしていただいた方が、きっと雨天様も喜ばれるでしょう」
「あぁっ! 忘れてた!」
ギンくんの言葉に、慌てて蜜が入った小さな器に手を伸ばす。それを残ったあんみつの上からかけると、とろりとした濃茶色の液体と小さな金箔が絡んだ。
さっきよりもさらにおいしそうに見えた理由は、わからない。
ただ、口に運んだあとの感想は、もうわかっていた。
蜜が絡んだ抹茶色の寒天とバニラアイスを、おもむろに口に入れてみる。
直後、蜜に混ぜ込まれたほうじ茶の香りが鼻からふわんと抜け、咀嚼して飲み込んだあとには思わず感嘆のため息が漏れていた。
どう形容すればいいのか、わからない。
ひとつわかっているのは、このあんみつと蜜は相思相愛なくらいぴったりと合っているということ。
炊きたての白米で握ったおにぎりと海苔、焼きたての食パンとバター、ショートケーキの上に乗ったいちご。きっと、そのどれよりもベストな組み合わせ。
飲み込んだら、また次が欲しくなる。そして、またすぐに、この優しくとろけるような甘味を口に運んでしまいたくなる。
うっとりとしたような気持ちで、器と自身の口にスプーンを何往復もさせてしまう。
無心でそうしていた私は、自分自身に注がれている視線なんてちっとも気にする余裕がなかった。
「ご馳走様でした」
すっかり空になった器に名残惜しさを感じながらも、スプーンを置いてからしっかりと背筋を伸ばして手を合わせた。
こんなに丁寧に〝ご馳走様〟をしたのは、随分と久しぶりだったかもしれない。
「お粗末様」
「え?」
返ってきた声に前を見れば、綺麗な瞳が私を見つめて微笑んでいた。
真っ直ぐな双眸は、どこか嬉しそうに丸められている。
あんみつに夢中だった私は、いつから見られていたのかすらわからないけれど……。私の言葉で喜んでくれたことは、すぐに悟った。
「あの、とってもおいしかったです! こんなにおいしいあんみつは初めてで……! 特にあの蜜! ほうじ茶の蜜なんて初めて食べたけど、癖になるおいしさで、止まらなかったです!」
「ひかりの顔を見ていればわかるよ。なぁ、お前たち?」
「はい、もちろんでございます。ギンも私も、ひかり様のお顔を見れば、お気持ちが手に取るようにわかります」
「ええ、雨天様。ひかり様は、雨天様特製のあんみつを大層気に入られたようです。雨天様の弟子として、大変誇らしい気持ちでございます」
三人それぞれの言葉を返してくれたことに、心が少しだけくすぐったくなる。照れ臭いような感覚を隠すように、お茶を飲んだ。
「さて、ひかり。お前は、私たちをどう思う?」
「……神様と神使ですよね? まぁ、そんなの冗談でしょうけど」
「申し訳ございません、雨天様。コンでは信じていただけませんでした」
しょんぼりとした顔つきになったコンくんに、なんだか悪いことをしてしまったような気持ちになる。
自分自身の感覚が普通だと思っているけれど、もしかしてそうじゃないのだろうか。
「泣き言を言うな。ひかりを呼んだのはお前だろう」
「だって、雨天様! ひかり様ったら、あんなお顔で歩いておられて……!」
「ああ、いい。それ以上は言うな」
雨天様とコンくんのやり取りを見ながら、自分自身も当事者であることを自覚しなかったわけじゃないけれど、口を挟むのは憚られた。
そもそも、目の前で繰り広げられる会話を聞く限り、なにを言っても話が噛み合う気がしない。
ギンくんは、黙ったままコンくんの隣に座っている。ふたりはお揃いの赤い着物を着ていて、顔立ちや声の感じも似ていたから、まるで双子のようだった。
そんなことを考えていると、雨天様が私をじっと見つめた。
真っ直ぐな瞳が銀色だということに気づいたのは、彼と会ってからこんなにもしっかりと視線が絡んだのは初めてだったから。
「……仕方ない。コン、ギン」
程なくして、雨天様にため息混じりに呼ばれたふたりは、「はい」と声を揃えて立ち上がった。
「ひかり、コンとギンをよく見ておれ」
話し方が変だとか、コンくんの冗談に付き合うのが普通なのか……とか。
疑問はそれ以外にもたくさんあったけれど、一番違和感があるのは雨天様なんて呼ばれているこの人。
うっかり私も〝様〟なんて付けているけれど、ここがお店で私がお客さんなら、私が彼のことを様付けで呼ぶのは違和感しかない。
ただ、それを口にする前に、「ひかり様」とコンくんに声を掛けられてしまった。
「よーく見ていてくださいね!」
念を押すような口調に思わず頷くと、コンくんとギンくんは顔を見合わせたあと、後ろにクルリと宙返りをした。
あまりにも綺麗な宙返りを見せられて、自然と『わぁ、上手!』なんて言おうとした時。
「わぁ……へっ⁉」
マヌケな声が落下し、そのまま開いた口が塞がらなくなってしまった。
(ふたりの髪が伸びた……? いやいや、そういうレベルの話じゃ……!)
「ひかり様、我々が人間ではないことは信じていただけましたか?」
信じるもなにも、私の目の前にいたふたりは淡い栗色のような毛を身に纏い、尖った耳をピクピクさせて仲良く並んでちょこんと座っている。
その姿はどう見ても、狐にしか見えなかった。
「き、狐……?」
驚きで声が震えそうになっている私に、コンくんが尻尾をゆっくりと振る。ふわふわの毛並みは、とても触り心地がよさそうだ。
「正確には、化け狐といったところです。私とギンはもともと双子の狐でして、不慮の事故で命を落としてしまったあと、この場に魂が引き寄せられたのです。そして、上手く成仏できそうになかったところ、雨天様の神使として受け入れていただくことになりました」
「へぇ……化け狐の神使なんているんだね」
経緯はともかく、私の口から出たのはそんなこと。
他にもっと訊くことはあるはずなのに、思考が上手く働かない。
「神使といっても、その生まれは様々なのです。紙から造られる者もいれば、我々のように魂から生まれる者もいます。これは、作り手の力が関係することもありますが、どちらにせよ神使であることには相違ありません」
「それに、〝どの神使も主のために存在している〟という意味では同じでございます」
コンくんとギンくんは、代わる代わる説明してくれ、「理解していただけましたか?」と言ってもう一度クルンと宙返りをした。
人の姿に戻ったふたりに、また目を見開いてしまう。
「えっと、じゃあ……」
驚きを隠せないまま雨天様をチラリと見れば、彼は私の言いたいことを掬って、「コンから聞いている通りだ」と答えた。
(それって、やっぱり神様ってこと?)
確かに、形容しがたい銀糸のような美しい髪は、染めたようには見えない。
見た目こそ二十代半ばの青年といった感じだけれど、話し方なんて見た目年齢とは遠くかけ離れている。
おまけに、狐になったコンくんとギンくんからは『雨天様』なんて呼ばれているし、そんなふたりの主である。
ここまで見聞きしたことだけでも、充分現実離れしていた。
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