お品書き 一 『あんみつ』銀の光に導かれて【5】
「それで、ひかり。お前はどうしてここに来た?」
「え? どうしてって……だから、子どもみたいな声に呼ばれて……」
「あれは、コンの声だ。だが、あの声は誰にでも聞こえるものではない」
「そうなの?」
思わず敬語を忘れてしまっていたけれど、雨天様は特に気にする素振りも見せない。神様って、案外その辺りは大らかなのだろうか。
「ああ。コンが自分の声が聞こえそうな者に向けて話しかけ、それに魂が反応した者だけが聞くことができるのだ。そして、私の姿かこのお茶屋敷を見つけた者だけが、この場に足を踏み入れられる。我々は、その者を客人として迎え入れるのだ」
要するに、コンくんの声を聞いたとしても、ちゃんと順序を踏まなければここには辿り着けない――ということみたい。
私は、ただ声を聞いたあとに光を見つけ、そこに向かって走った……というだけなのだけれど。
「ひかりは私のことが見えたのだから、お前はここに来る資格があったのだ。いくらコンに呼ばれても、私や屋敷が見えない者は〝気のせい〟で終わってしまうからな」
理由はどうであれ、私には雨天様が見えた。
だから、ここに招き入れてもらえたというのはわかるけれど、そもそもどうしてコンくんの声が聞こえたのだろう。
「声が聞こえる条件は色々あるが、まず〝このひがし茶屋街に深いゆかりがあること〟だ」
「だとしたら、私はその時点で条件に合ってない気もするんだけど……」
私の思考を読み取るように説明してくれた雨天様に、首を捻ってしまう。
考えていることを見透かされてしまうのは慣れてきたけれど、最初の条件からして腑に落ちなかったから。
確かに、ここはおばあちゃんとの思い出の場所だし、金沢に住んでいるわけでもないわりには何度も足を運んでいるとは思う。
だけど、それが〝深いゆかり〟と言えるほどかと考えれば、さすがにそこまでではないはず。
〝ゆかり〟はあるけれど、きっと〝深いゆかり〟じゃない。
おばあちゃんと何度も足を運んだ思い出深い街とはいえ、それならおばあちゃんの家とかの方がもっと思い入れがある。
「そうであろうな。私から見ても、お前はここにそれほど深いゆかりがあるとは思えない」
そんな風に考えていると、雨天様が頷いた。私は、小さなため息を漏らしてしまう。
「神様って、なんでもお見通しなんですか?」
「お前がわかりやすいのだ、ひかり。心を読もうとしなくても、思考が簡単に流れてくる。ここにいれば、私の力で多少は読みやすいものだが、これほど素直に心を見せてくれる者は珍しい」
皮肉を込めるようにあえて敬語で尋ねてみると、雨天様は眉を下げて言い訳染みた言葉を並べ、小さな笑みを見せた。
貶されているような、褒められているような、とても微妙な気持ちになったけれど、不思議と嫌悪感はない。
「気分を害したのなら謝ろう。だが、心が素直というのは、それだけ心が美しいということだ。お前を愛する者に大切にされた証だろう」
「愛する者?」
「家族、恋人、友人……犬や猫も例外ではないが、そういう存在によって無償の愛を与えられると、魂と心が素直になるのだ」
なんだか宗教みたいだな、と少しだけ思うのに、雨天様の言葉はすんなりと耳に入ってくる。そして、その穏やかな声音はとても心地好かった。
「ひかりにも、心当たりはあるだろう?」
優しい問いかけで脳裏に浮かんだのは、柔和な笑顔。穏やかな瞳で見つめられていた日々のことが、まるで走馬灯のように頭の中を駆け巡っていく。
「……っ」
次の瞬間、鼻の奥に鋭い痛みが走り、意図せずに熱を持った喉の奥から声にならない声が漏れた。同時に、頬にもほのかな熱を感じた。
「なんだ、泣けるではないか」
「え?」
雨天様の言葉に目を見開いた直後、決壊を失くしたかのように涙が零れ始め、どんどん雫が落ちていった。
私の意思なんて関係なくポロポロと流れていく涙は、まるで大粒の雨のよう。
「ずっと泣きそうな顔をしているのに、泣こうとはしないから、てっきり泣き方を忘れたのかと思ったぞ」
困り顔になった雨天様が、私の傍にゆっくりと近づいてくる。
そのまま右隣に腰を下ろすと、私の頭をそっと撫でた。
「好きなだけ泣いてよい。明日の朝には、すべてが夢になっているから」
後半の言葉の意味はわからなかったけれど、髪に触れた優しい温もりにますます涙が溢れてくる。
その止め方がわからなくて戸惑いもあるのに、大きくて温かい手に甘えるように涙を止めようという努力はしなかった。
おばあちゃんが亡くなった時も、安らかな顔で眠るおばあちゃんと対面した時も、お通夜やお葬式の日も、誰よりもたくさん泣いた。
だけど、きっと、今が一番泣いていると思う。
気づけば左側にも温もりを感じ、狐の姿になったコンくんとギンくんも傍にいることを知った。
ふわふわの毛並みで私を包み込むように、ピタリと寄り添ってくれている。
優しくて、温かくて、どこか懐かしい。
そんな感覚を抱きながら、いつまでもずっと泣き続けていた――。
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