第5話

 まだ会って二回目、セオリーではこういうことは三回目にあるかないかでしょ? 身体をよじって彼から離れようと思うのに、私の嘘つきな拒絶は彼の舌の動きのさらなる激しさを呼び、私の腰と後頭部に回されたそれぞれの腕の強度を高めるだけだった。


 いやコレダメだって! 

 今すぐここから立ち去らないと大火傷するって! 

 私の脳みその片隅にわずかに残っていた理性が、そう叫んでる。それなのに私の両腕はすでに彼の肩にかかり、私たちの身体がシンデレラフィットするのに一役買っている。まあ夏は始まったばかりだし、キラキラしたいし、ちょっとくらい火遊びもいいか……ダイエットと婚活は、涼しくなったら始めよう。そう思っていた私は、虎屋の水羊羹より甘かった。


「いたっ」

 この夏ヤマトカブトやミヤマクワガタも執り行うであろう例の行為に差し掛かりそうな希望的観測の中、淡い期待は儚くも打ち砕かれた。キスの応戦を試みようと思った最中、花筏の君が、私の下唇を嚙んだのだ。ナニコレ、ドウイウコト? 痛みに驚きながらもその痛みこそが快感となり、自分自身の身体的反応に戸惑う。


「じゃ、そろそろ終電でしょ。はいこれ、タクシー代」

 彼が封筒から二万円を出した。彼の言葉が私の混乱した頭に、さらに追い打ちをかける。芸能界で芸能のことだけして生活できる子は極一部で、特に一人暮らしをしている女子は私も含め、結構苦しい。東京の家賃は高すぎるし、洋服代やメイク代もバカにならない。だから売れないモデルや女優の卵や地下アイドルなどの多くは、バイトやパパ活のようなことをしている。


 夕食はどこかで食べなければならないし友達にも会えるし適当にしゃべるだけだし、ギャラ飲みは不定期で不安定だけど、楽しく効率良く稼げる。だから男たちから渡された金はタクシー代とは名ばかりで、生活費に消えるのが常。方法としては、女子三、四人相乗りで最寄り駅までほぼワンメーターほどタクシーを走らせた後すぐ降りて、電車で帰る。


 渡す側がそのことをどこまで知っていて許してくれているのが何度タクシー代をもらっても謎だったが、こんなにサラリと言われてしまうとどう突っ込んだらいいのかわからない。というか今日はキスだけ? 開いてしまった私の心と身体は、一体どう店じまいすればいいの?


 何事もなかったかのような顔でタクシーに乗ってしまった彼をボー然と眺めていると、連絡先も交換していないことに気づく。もう会えないのだろうか、私の何かがいけなかったのだろうか……。


 彼の気ままな言動による見えない糸にがんじがらめにされ、鱗粉が剥げ飛べなくなりつつあるアラサー蝶々が、身体どころか心まで食べられてしまう恐ろしい想像を慌てて打ち消す。でも見えない糸は彼のものではなく、私自身が吐き出した私自身の糸かもしれなかった。火照った身体が、切なさと甘さに鳴いている。

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