第3話

 なのになんでここにいるのだ。

 花火大会から三日後の、西麻布の午後8時。


 指紋認証で入る会員制カラオケバーの照明は薄暗い。高い天井から吊り下がっている黒く大きなシャンデリアの光に微かに照らされながら階段を降りてきたのは、有名事務所の俳優と、最近CMでよく見る少年グループのセンターだ。事務所違うのに仲良いんだな、あの二人。周囲にテレビ局や芸能事務所が点在する西麻布界隈の店では、時々見る光景だ。  


 この店で三番目に広いパーティルームへ行くと、ソファに腰掛けた花筏の君が「また会いましたね!」なんて三歳の甥っ子みたいに無邪気な表情で言う。先日一瞬悲しげに見えたのは、気のせいだったのだろう。爽やかなストライプシャツの「第二ボタンを外すか問題」を難なくクリアし、胸筋のチラ見せに成功し、可愛い笑顔を浮かべているところがずるい。

 

 今日の女性陣は、同じ事務所の私、雪乃、碧と、系列事務所の笑里、凛音。婚活合コンではなかったので、一人づつ自己紹介したりはしない。適当に飲んでつまんで、芸能界の裏話とか最近行った海外旅行とか処女や童貞を失った日の話を、面白おかしくちょっと脚色して話す。場合によってはお互い名前も知らずに、何時間も喋っていることもある。


 男性陣のメンツはちょっと異色だ。二十年前にミリオンセラーを連発していたらしい冬の貴公子と呼ばれるダンディなオジサマ、最近マザーズに上場したA、これから上場しようとしているB、学生起業家C、そして花筏の君だった。まあ今日はまたギャラ飲みになっちゃったみたいだし、適当に盛り上げて三時間でサクッと帰ろう。


 後で凛音から聞いた話によると、雪乃はこの前の「夏だ! 豪華花火大会クルーズ」と今日の「期待しかない! 優良物件だらけのセレブ合コン」の抱き合わせ販売で、グラドルやら舞台女優やらを仕切り役のオヤジに紹介して、タクシー代のほかに5万もらっているらしい。この前呼ばれていた女の子は十人、今日は五人だから、生活のためとはいえ私は年下の女に、一回あたり約三千三百三十三円で身売りされた計算になる。


 食事を終えた女子たちは、バーカウンターのガラス張りのケースからフルーツを選び、オリジナルカクテルを作ってもらっている。「雪乃さんはどれにします? 私、ギャラ飲みとか初めてで……」碧は金鑚パイナップルと清水白桃で迷っている。「私はいつもこれ」雪乃はフルーツには見向きもせず、いつもワイルドターキーのレアブリードのロックを、チェイサーもなしに飲んでいる。


 ドラムなんて叩いたこともないのにドラムセットを口走った一件で、好きでもなかった男にいつの間にか失恋気分にさせられている私は、モヤモヤを忘れて気分だけでもトロピカルになりたい感じ。夏はまだ終わっちゃいないってことで、太陽のタマゴで作ってもらったマリブベースのマンゴーカクテルを手に、黒い革張りのソファの隅っこに鎮座した。


 冬の貴公子が夏らしいアップテンポのサザンを歌い始める。みんなが話してるのに音量をあまり抑えないのは、そのほうが男が女の耳に、女が男の耳に唇を寄せないと何を話しているのかよく聞こえないからだ。渋谷や六本木のチャラ箱で流れる音楽同様、男女の身体が密着する手助けになっている。


 雪乃は、ロングヘアを時おり掻き上げながら、ぽってりとした唇を寄せ上目遣いで、花筏の君に話しかけている。二人とも時々意味ありげに、こちらを見るのが気になる。雪乃はスタイル抜群のグラドルで有名男性誌の表紙を何度も飾っており、最近はファッション誌にまで仕事の幅を広げている。出版社からの評価も高いが、凛音情報によると、ギャラ飲みや合コンで仲良くなった編集者から仕事をもらうこともあるらしい。


 ワンピースから覗く胸はHカップで、私より三カップは大きい。打算的でズバズバものを言うけど憎めないのは、天真爛漫なところがあるからだろう。きっと両親に愛されて育ったに違いない。


 元気だけが取り柄の私といえば、去年行った浅草サンバカーニバルで、踊り狂っていたイケメン女装男子の腰の振り方が妙にエロかった話を、起業家Bに力説している。左隣に座った座高の高いBが、水色のオフショルダーニットから覗く私の胸の谷間を気にしていることは百も承知なので、撮影時のように左腕と右腕をお腹の上で軽くクロスしてさらに胸が大きく盛り上がって見えるように反射的にサービスしてしまう。これは職業病か、雪乃に対するささやかな対抗心か。


 グズグズ考えてる小っちゃい自分が嫌になって、中島みゆき女史の「化粧」を熱唱して周囲をドン引きさせたい衝動にも駆られるのだが、そこは大人なのでグッと堪える。いろいろ耐えられなくなって「ちょっとトイレに」と言って席を立つ。冬の貴公子が歌うヤマタツの物悲しい夏の歌が、いつまでも耳に残った。

 

 

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