後編


 目が覚めると、私は知らない喫茶店にいた。

 目が覚めるという表現は変かもしれない。だって、私は夢の中にいながら、目を覚ましているのだから。けど、そんなことはどうでもよかった。

 店内にあるものすべてに心を奪われていたのだから。コーヒーを沸かす不思議なガラス瓶に、カウンターから四人掛けのテーブル。ソファまで、映画やドラマでしか見た事ないお洒落なもの。こんな素敵な場所、私の住む田舎町にはない。

 店内に満足した私は窓際の席でガラスにへばりつき、外を見ていた。ひどい土砂降りであったが、立ち並ぶ背の高いコンクリートの森に目を見張っていた。大都会。

 背後に気配がして振り返る。予想どおり、先のナズがいた。


「ねえ、ここって東京なの?」

「ここはどこでもない。ここは、そういう場所だ」

「ふーん」


 でも、東京はきっとこういう場所に違いない。お洒落な喫茶店に、目が留まることを知らない雑貨屋に、すべて欲しくなってしまうようなアパレルショップに、口の中が涎でいっぱいになるデザート屋さん。好きなキャラクターに、田舎とは無縁なコンクリートと鉄の匂い。

 もっと見てみたい。あんな場所じゃ見れない景色を。そして、違う価値観を持つ人を。


「外には出れないの?」

「出れない。なぜなら、ここはずっとだからな」


 ナズは私の横に立つと、テーブルになにかを置いた。見下ろすと、小さな砂時計だった。


「これは対価の砂時計。誰かは不幸返しの砂時計といった」

「へえ……」


 実は知っている。都市伝説やオカルトを取り扱う動画チャンネルで見たことがある。『不幸返しの砂時計』。喫茶店の夢にパーカーを着た男。そして、渡してくる砂時計。全部、誰かが作った創作話だと思っていた。

 私の胸はときめいていた。砂時計を持ち上げ、天井の照明に透かせてみる。砂は逆さに振っても落ちてこなかった。


「この砂は持つ者の理不尽を糧とする。今日までのお前の苦しみは、この砂で清算できる」

「清算?」


 自分で口にして、その意味がわかる。これを使うということは……。

 さっきまでの高まりに冷たいものが流れ込む。戸惑う私に、ナズはいった。


「勇気を使いたいんだろ?」


 ナズは、微笑んでいた。

 ああ、そうだ。私は、引き返せないんだった。


 ◇


 翌日。

 放校後、私たちはいつもの理科準備室へと向かった。毎月行われる、神様おみくじをする為に。


「贄ちゃん、もうすぐで終わるね」


 微笑む萌咲。紗里には表情はなかった。それもそうだ。昼休みの三十分は延々と走らされ、授業中には大学ノート一ページ分にわたって自分の良くないところを書かされたのだから。文字は先に進むにつれて、ひどく尖っていた。

 萌咲は歩きながらくじの入った缶の貯金箱をカラカラと振る。すごく楽しそうだ。


「良かったね。あと二、三分の辛抱だよ。この一か月、よく頑張ったね」


「おい、返事しろよ」と小突くさつき。

「そ、そうですね……」

「だね。次は、誰が贄になるんだろうねー?」


 その言葉に皆がビクリと肩を震わせた。さっきまで意気込んでいたさつきも強張った。階段に差し掛かり、萌咲は私を見下ろしながらいう。


「どう思う? フーカちゃん」


 萌咲の声は踊っていた。それは私への死刑宣告であった。きっと、前回の紗里の様に。誰もいわないが、ずっと萌咲が操作していたんだと思う。どんな方法かはわからないが、絶対にそうだ。


「そんなこと、わかりきったことだよ」


 私は歩調を早め、皆より先に階段を登りきると、クルリと身体を回転させた。そして、まだ上っている最中の萌咲を見下ろした。


「萌咲ちゃん。こんどは私がね、本当のになろうと思う」


 さっきまでの嗜虐的な笑みを掻き消し、穏やかな表情を取り繕う萌咲。


「どういうこと、フーカちゃん?」


「私がね、この倶楽部のリーダーになるの。私がね、すべて決めるの。神様も、贄も必要ない」

「なに? なに言ってるの、フーカちゃん?」


 苦笑気味にいうが、怒っているのがわかった。皆もその空気を察し、私の横を通り抜けると、少し離れたところから様子を伺っている。


「だから、もうおみくじでなにかを決めるのはやめようと思うの」


 体操着のポケットに隠していたそれを掴み、萌咲の前にみせた。キラキラ光る砂時計を見せてあげる。萌咲はついに怪訝な顔をした。


「意味がわかんないんだけど」

「萌咲ちゃんはさ、すべて上手くやっていたよね。自分が贄になっても、うまく逃げてた。自分は痛い思いをしないようにして、私たちにすべて押し付けていた。それって、神様のやることじゃないよね?」


 私の企みに気付いたのか、萌咲ちゃんは肩に力を入れて身構えた。


「なに? フーカちゃん? ちょっと怖いよ」

「そんな小ズルイ神様は――」


 いらないよ。だから――。


「――消えて。ね、萌咲ちゃん」

「やめてよ、フーカちゃ……」


 次の瞬間、驚愕の顔をして萌咲が消えた。正確にいえば、階段の下に落ちた。背後で戸惑う声が聞こえる。私とみんなはほぼ同時に階段の下を見た。

 階段のおどり場に、萌咲の身体はあった。背中はこちらを向いているのに、顔は変な角度がついてこちらを向いていた。さっきまでの可愛らしい顔から生気が消え、目は半開き。竹のように綺麗な指の何本かは折れていて、そのうちに一本は爪が剥がれていた。

 あぁ、なんて無様なんだろう。いつもの萌咲とは大違いだ。


「さようなら、萌咲ちゃん。私が、神様になるね」


 呟いた言葉を合図に、五人は甲高い悲鳴を上げ、一斉に階段を駆けあがっていく。私も急いで追いかける。

 五人は廊下を駆け、事前に鍵を開けていた理科準備室に飛び込む。追いつくと、みんな壁際に追い詰められたようにへばりつき、戦々恐々とした感じで私を見つめた。


「どうして逃げるの? 大丈夫だよ、私は怖い存在じゃないってば」


 みんなの恐怖心を解こうと、微笑む。


「な、なぁフーカ。お、お前が萌咲を――?」とさつき。

「殺した?」

 自分でハッキリと言い切ったあと、「そうだね」と大きく頷いてみせた。


「でも、みんなも見てたでしょ? 私は萌咲ちゃんを突き飛ばしたりしてない。萌咲ちゃんは、自分で足を踏み外して死んだ。私が念じたからそうなった。だから、私が直接殺したわけじゃない。これ、わからないかな?」


 握っていた砂時計を見せびらかす。けど、みんなは差し出した手を懐疑的に見遣るだけ。


「ねぇ、わからないの? ほら、みんなで見たじゃん。あの都市伝説のやつの。あのす――」言いかけた時、私はあることに気付いて言葉を切った。


「……どうして私をそんな目で見るの?」


 一様に刺さるのは、上石萌咲に向けられていた視線だった。畏怖。脅威。敵意。あらゆる疎外的かつ欺瞞を隠した感情から作られる表情。みんな、私に身構えていた。


「ねえ、違うでしょ? そうじゃないでしょ?」


 一番近かった弥生に近づく。弥生なら、わかってくれると思った。だって、中学校に入って一番最初に友達になった子だったから。

 弥生が身体を縮こませ、身を捻る。すると背後にある戸棚のガラスに私の顔が映った。私の顔は、上石萌咲と同じ顔だった。笑っているのに、寒々しさを覚える。瞳の奥に潜む、獣みたいな怖い目。


「い、イヤァっ!」


 弥生が力いっぱい私を押し退ける。思わずよろめいていて、床に身体を這いつくばせた。それを合図に、皆は我さきにと悲鳴をあげながら準備室の出口へと駆けていく。


「来ないでよ、この人殺しっ!」


 弥生が叫ぶ。人殺し? ヒトゴロシ? この私が?


「ね、ねぇってばっ!」


 叫んだ。けど、みんな必死に逃げていく。

 残ったのは、紗里とさつきだけ。ふたりはすっかり怯えていて、膝をついた私を恐怖の対象を見る目で見下ろしていた。いつの間にか、互いに身体を寄せ合っていた。


「違うのっ! わ、私は――」


 慌てて弁明する。だって、私は、みんなの為だったんだよ? わかってよ。


「フーカ、お前……」


 さつきちゃんが恐る恐るいう。私も、そっちなんだよ。起き上がり、近づくと、二人は後ずさりした。行かないで。


「フーカちゃん」と震える紗里。「私たちも、殺すの?」


 違うよ。チガウって。

 あれ?

 ――コレガ私ガ望ンダ結果ダッケ?


「違うんだからっ!!」


 私の感情は爆ぜ、教室を飛び出した。

 背後で、さつきか紗里の声が聞こえた気がする。けど、なりふり構わず駆けた。廊下を抜け、階段を駆け上がり、また廊下を抜け……。気が付けば、四階外の非常階段に立っていた。

 息を切らしながら、丸いステンレスの手摺にしがみついて、周囲を見た。

 グラウンドには、部活動に励む下級生たち。少し遠方には、下校する同級生グループたち。どれも、楽しそう。いまの私とは、とてもかけ離れている。

 さらに遠くを見た。鬱蒼とした森と山。見飽きた田んぼに、虫だらけの自販機。

 最低な田舎だって、思ってた。でも、いまは素敵だ。こんな自分と比べたら、ずっと。

 最低だったのは、私だ。

 最後の最後まで、最低な私だった。

 手摺りにしがみついて、シクシクと泣いた。

 戻りたい。皆で笑い合っていた一年前に戻りたい。あの頃、萌咲だってそんなに悪い子じゃなかった。ただ、ワガママなところがあるだけのいい子だった。さつきだって頼れる女の子だった。紗里は私と同じで、引っ込み思案だけの普通な女の子。弥生も、美来も、美香も、みんな、仲の良い友だちだった。


「イヤだよ。こんなの、イヤだよ。私、神様になったんだよぉ? 私の願い、叶えてよ……」


 何度も念じてみた。祈ってみた。砂時計に縋りついた。でも、なにも起きない。ただ、そこにあるだけ。夕暮れのオレンジも、冷えて湿っぽい風も、靡く毛先も、ただそうあるだけなのだ。

 どうして? そんな失望していく心に涙ばかり流れる。背後の声が聞こえるまでは。


「お前は神様にはなれない」


 振り返れば、ナズがいた。ナズは昨日までの楽しそうな表情はしてなかった。むしろ、呆れたような様子だった。


「お前は人間でしかない」


「上石萌咲を殺しただけの、人間さ」といって、やっと笑った。ナズはなにかを期待してる。


「私……。ねえ、どうして? ナズ。ナズ、こんな……」


 言葉に詰まる私に、ナズは唇の端を吊り上げた。


「どうした、お前の勇気はそんなものか? 誰かに期待されないと、使えない勇気なのか?」


 勇気。そうだ。私は、みんなが良かれと思って……。でも、間違っていた。間違った勇気だった。

 次に、ナズは手摺の向こうを指さした。


「勇気を使いたいんだろ?」


 そうだった。私はもう、引き返せないんだった。

 決意は簡単だった。拳を強く握らなくても、歯を食いしばらなくても。小川のせせらぎのように、あっけなくできる。


「そうだね。最初から、こうすべきだったんだ」


 次の瞬間、私の身体は手摺を乗り越えていた。

 こっちに勇気を使うんだった。

 景色が、真っ逆さまになった。

 落ちる。落ちる。

 。

 ま

 さ

 逆

 っ

 真

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