中編


 放校後、私たち六人は田舎道を歩いた。周囲には田んぼしかなく、人はおろか、車だって全然走ってない。私たち以外は、ただの緑と青。こんなに広いのに、どこにもいけない狭い田舎だ。

 帰り道に、贄である紗里はいない。贄は参加しちゃいけないのだ。


「なあ、明日は贄にケツバットやろうぜ。あの年末のお笑い番組でやってたやつ」


 大概帰り道はさつきを中心に、翌日の贄に何をさせるかの話題になる。みんな、取り繕ってるけど、愛想笑いばかり。学校が終わったあとでも、気が抜けない。


「なあ、萌咲もそう思うだろ?」

「そうかもね。でもさつきちゃん、あんまりやりすぎると、みんなにバレちゃうよ? 〈神様おみくじ〉のルールは知ってるよね?」

 さつきは「お、おう……」と口ごもった。

「『神様倶楽部』は、誰にも知られちゃいけない。先生にも、家族にも、他の友達にも……」


『神様倶楽部』。いつからか、私たちはこう呼んでいる。

 今年の卒業式前日に先輩から呼び出されたのがきっかけだった。

 卒業を間近に控えた先輩はいう。


「誰が始めたのかは知らない。でも、ルールは単純。月に一回、くじ引きを行う」


 小さな缶の貯金箱を改造して作ったもの。中に割りばしを人数分入れる。そして、たった一本だけある『贄』を引いた者は、一か月間、みんなの奴隷となる。

 私たちは参加してしまった。最初は私と弥生、萌咲。

 そして、紗里、さつき。大和田美来に、鈴木美香を呼んだ。呼んだのは萌咲だった。

 最初はちょっとしたおふざけだった。授業中に一発芸する、みたいな。けど、時間とともにタガが外れた。罰ゲームみたいなことから、目を背けたくなるようなことから。

 あの日、気付くべきだった。先輩のブレザーの裾から覗く、包帯を見たときに。

 始まって約半年。まだ、私は贄になってない。それだけが唯一の、希望。

 項垂れていると、おもむろに萌咲はこっちを見ていう。


「でもさ、フーカちゃんは積極的に参加してないよね」

「え……」


 思わず、足が止まった。五人の目が一斉に突き刺さる。途端にイヤな汗が噴き出した。


「だって、私、その……」


 意を決して、私はいった。


「大好きなみんなに、ひどいことなんてできないよ」


 途端にさつきの機嫌が悪くなる。


「お前、贄になってないからわからないんだよ」


 さつきの言葉に呼応するように、他の三人の目もギラついたのがわかった。夕陽をバックに、五人の影が伸びて私を覆っているのに気付いた。この影が、襲ってくるんじゃないかと想像してしまう。さつきちゃんは続ける。


「自分が手を出さなきゃ、贄になっても攻撃されないと思ったら大間違いだよ。弥生だって、最初はそうだった。けど、そうじゃない。このゲームに参加したら、みんな共犯なんだよ」


 途端に弥生ちゃんの顔が暗くなった。弥生ちゃんは三か月前に贄になった。そして、生きた蛇を自分で捕まえて、首に巻き付けた。あと、自分のお母さんの下着を履かされて、写真を撮られた。


「フーカ。紗里みたいに見て見ぬふりするのは一番の罪だよ。なあ、萌咲」


 皆が萌咲ちゃんを見る。萌咲ちゃんがここで頷けば、きっと私は――。


「ダメだよ。〈神様おみくじ〉はいつだって平等。誰が贄になろうとも、恨みっこなしだよ。例え、それが私だとしても」


 それは助け船のようにも取れた。だが、そうじゃない。萌咲は、上手くコントロールしている。あんなことを言われても、萌咲にひどいことはできない。萌咲ちゃんは一度だけ贄になった。始めて二回目くらいの時。思えば、萌咲のあとから贄になった者への対応は過酷になった。


「だから、明日の〈神様おみくじ〉はなにがあっても公平にやろう。ね?」と微笑み、私に歩み寄った。

「フーカちゃんも、そう思うよね?」

 細くて綺麗な指が私の首に回した。ひどく冷めた声音で、ひどく冷たい指先で。生つばをゴクリと呑み込みながら、深く頷くしかない。

 逃げたい。どうにか、これを終わらせたい。

 震えを殺すために拳をギュッと握り込む。何度も強く握ったせいで、手のひらは真っ赤になっていた。


 ◇


 家に帰ると、自室で私は狂っていた。

 壁に向かって千枚通しを振り下ろす。針先には写真。私たち七人がそろって並ぶ写真。修学旅行の時に、撮ったやつ。

 何度も刺して、抜いて、刺して。


 もう、萌咲の顔はわからない。さつきの顔はかろうじて。そして、私に至っては全身が穴だらけ。写真の下の壁はもっとひどい。

 憎い。簡単に人を操ってしまう萌咲が。自分の保身に走るようになったさつきも。そして、なにもできない自分が特に。


 勇気が欲しかった。


 この遊びを終わらせる勇気と、傷ついている友達を庇う勇気。傷つけられる自分を守る勇気も。

 私には勇気がない。情けないほど、勇気がない。

 ついには疲れ果てて、ドサリと尻をカーペットの上に落とした。しばらく茫然としたあと、ベッドの脇にもたれかかって膝を抱える。

 今日のことを思い出し、自然と涙がこぼれた。さつきの怖い目。紗里の背中にピンを刺した手。ピンの細い針。帰り道に告げられた萌咲の言葉。頭の中でいろんなことがグルグルと回りだす。

 明日もきっと、地獄の儀式が始まる。今日の会話の流れでわかった。先月は、紗里ちゃんがやり玉に挙げられてたから。

 ――次は、私だ。


「死にたいな」


 ひとりごちてみる。口にすると、心も朽ちていく気分。

 ホントは生きたい。もっと素敵な青春がしたい。誰も傷を付けることのない、皆が心の底から笑っているような場所へ。

 いっそ、私のことを知らないところに運ばれたい。憧れていた、東京なんてどうだろう? 誰も私のことなんか知らない。私も、こんな醜い自分を忘れて、色んな人と出会いたい。いつか、私のことを理解してくれる人と出会って、このことを許してくれるような人を――。


 淡い思いを抱えながら、手のひらを見た。今日、この手で紗里ちゃんの背中を刺した。私の手は、もう綺麗じゃなくなった。

 怖い。自分が自分じゃなくなっていく感覚。罪を犯すということ。人の道を踏み外すということ。さっきのような想像もしちゃいけない気がしてきた。罪人というのは、とてもじゃないが心が重い。


「死にたいよ」


 明日、神様おみくじが始まる。もし、贄のくじを引いたら……。想像するだけで、胸が苦しい。

 気がつけば、千枚通しの先端を自分に向けていた。

「生きてるより……」


 ――これを首に刺したら。


「生きてるよりマシか」


 明らかに家族の声ではない声に、身体をビクリと震わせた。

 周囲を慌てて見回す――背後にあるベッドの向こう、腰窓に座る男を見つけた。


「わかるよ。あんたは、生きる工程を考えられない。明るい未来なんて煌めいた言葉とは程遠いし、明日も心の虐殺ばかりするんだろ?」


 赤いパーカーに、青いジーンズ。フードを被っていて、その目は見えない。ただ、顔はとても中性的で、女とも男ともとれる。

 すごく、綺麗。それが第一印象。その冷たく感情のない声音で男だと性別を判断できた。


「飛躍した絶望が目の前まで迫っていて、あんたはなにもできない。白以外は、すべて黒。それがあんたの世界」


 顔は見えないけど、その吊り上がる口角の端で男が楽しんでるのがわかった。試している。心理テストでどう転んでも、相手の言いなりになる気分。まるで萌咲みたい。

 警戒すべきなのに、私はただ呆然と眺めるばかり。


「あ、あなたは……?」ゴクリと生唾を呑んだ。「誰なの?」

「俺か? ナズだよ。近道をしてここまで来た」


 パーカーの人物――ナズはニッコリと笑う。


「あんたの願いは、神様が受け取ったよ。とんでもなく、寛大な心を持った神様が」

「神様?」


 ナズの言葉が耳に届いた瞬間、瞼が急に重くなった。疲れたのか? いや、こんな状況で?


「あ、あれ……?」


 頭がふらつく。思考がボンヤリとして、考えが上手くまとまらない。インフルエンザで高熱を出した時の気分。


「まあ、まずはお茶でもしながら話そうか」


 次の言葉で、私は完全に睡魔に負けた。

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