第62話:◆世界の変化

 ケイダ達がアービラを出発しスパーダ王国を旅している時、各国では息をのむような秘密の情報が静かに共有されていた。


 この重大な情報が彼らの運命を少しずつ変えていることに、まだ誰も気付いていなかった。




————ロゼンジ帝国



「何!? スパーダ王国で作戦を行っていたラスターが殺されただと?」


 ロゼンジ帝国皇帝エスカッシン・スート・ロゼンズは突然執務室に入ってきた宰相の話を聞いて声を荒げた。

 五十歳を超えているというのにその目は生気に満ち溢れていて、精強な体躯は彼が戦闘面でも秀でていることを表している。


 ラスターはロゼンジ帝国第六騎士団の団長で、隠密作戦に長けた屈指の魔導士だった。

 第六騎士団は諜報部隊でもあり、彼の指揮によって帝国は情報戦では優位を取っていた。


 彼はソラナが村からアービラに向かう途中で乗合馬車を襲ったが、その後ケイダの能力の最初の犠牲者となった。


「奴は例の一族の存在を嗅ぎつけて工作中だと聞いていたが⋯⋯まさかスパーダの奴らに勘付かれたか?」


「分かりません。帰還した騎士の話によれば、森林地帯で話をしていたところ、突然ラスターの胸が魔法で貫かれたそうです。分隊の他の者はそれ以上の攻撃を受けなかったため、撤退したとのことです」


 宰相のロンバスは冷静にそう言い放った。

 ロンバスは小柄で、いかにも精力に溢れていそうな厳つい顔をしているけれど目を見れば彼が理性的な人間であることが分かる。


「ラスターが魔法攻撃を受けたということか? あのラスターが?」


「そのようです」


 皇帝エスカッシンは絶句した。

 ラスターは帝国内でも屈指の索敵能力を持っているため、奇襲知らずと言われていた。


「スパーダの騎士にでも見つかったのではないかと思ったが、まさか魔導士か?」


「今のところはそのように考えるのが自然ですが、果たしてそんな能力を持つ者がいるのでしょうか⋯⋯」


「分からんな。スパーダの切り札か?」


「その可能性が高いかと」


 ロンバスの答えを聞いてエスカッシンは頭を抱えた。

 ラスカー以外の騎士がいる場面で、全員に気づかれずに攻撃を繰り出し、一撃で葬る実力は脅威という他なかった。


 エスカッシンはそのまま思索に耽りたい気持ちだったけれど、ロンバスがじっと彼の方を見ていた。

 報告はこれで終わりではないのだろうとエスカッシンは分かっていた。

 しかも、それが良くないことであることも。


「陛下、加えて同じくスパーダ王国に潜入していた第四騎士団の分隊とも連絡が取れなくなっています。そこには団長のマスクルもいるはずなのですが⋯⋯」


「マルクスからの連絡が途絶えただと!? そんなことはこれまでなかったはずだが、厄介なことに巻き込まれたか?」


 エスカッシンはたまらず立ち上がった。


「そう考えた方がよろしいかと。最後に彼の分隊から送られてきた情報によると、マルクスもスパーダ王国の南部地方で活動していたようです」


「ラスカーと同じではないか! もしや同じ敵と遭遇したのか⋯⋯?」


「分かりません。ですが、そのように想定して動かれるのが良いかと思います」


 エスカッシンは今度こそ頭を抱えた。

 皇帝らしからぬ仕草だと分かってはいるけれど、目の前にロンバスしかいなかったので構うことはなかった。


 どう対策を取るべきか。

 悩んでいると、エスカッシンはロンバスの手が固く握られていることに気がついた。

 拳は力が入りすぎて震えている。


 ロンバスは冷静な人間だが、冷酷な人間ではない。

 ただ熱を奥に潜めて流されずに職務を全うしようとしているだけの男だ。


「ロンバス、秘密裏に戦争の準備を整えろ」


 エスカッシンは低い声でそう言った。

 そうしないと膨れ上がる激情を抑えられる気がしなかったのだ。


「スパーダ王国に潜入の事態が露呈したら開戦は避けられまい。その時のために動いておくのだ」


「御意に」




 それからしばらくして、帝国騎士団に驚愕の情報が広がった。

 

 最高戦力である騎士団長が二人も同時にスパーダ王国内で討たれた。

 犠牲となったのは”奇襲知らず”のラスター・ガンディン、そして"ダイヤの騎士"マスクル・ヴォイドだった。


 帝国はさまざまな状況証拠から彼らを討った正体不明の敵を"遠隔の暗殺者"と名付け、要警戒戦力だと注意を促した。






————スパーダ王国



 スパーダ王国の若き国王リブエルス・スート・スパルダスは書斎で一人、ワインを嗜んでいた。


 彼は考え事をする時にゆっくりワインを飲むのが好きだった。

 合理的に話を詰めるのは素面の時が良いけれど、それだけだと行き詰まってしまう。


 酒でも飲んで論理的思考を投げ打ったときにこそ、至上のアイデアが浮かんでくるのだと彼は信じている。

 実際にはワインは器に一杯しか飲まないし、ほとんど酔うこともない。

 だからこれはある意味では儀式のようなものなのだ。 


 リブエルスの頭の中では、先ほど部下から伝えられた情報が巡っている。

 

「ステラの亡霊が動き出したか⋯⋯」


 切れ長の目を細めながらリブエルスはワインを灯りに透かした。

 熟成が進み、ワインの色は褐色になっている。

 味はまろやかだけれど、香りは豊かだ。


「監視員を送り、弱毒を仕込むところまでは良かったが、その後は運が良くなかったようだ」


 腕利きの工作員たちが全員死んだという報告が入った。

 彼らはただの野盗に負けてしまうほどやわではない。

 ではなぜ彼らは討たれ、亡霊の行方が分からなくなってしまったのか。


 リブエルスは原因が知りたかった。

 偶然が積み重なったのか、それとも誰かの作為なのか⋯⋯。

 それが彼にとって何より大事だった。


「帝国の匂いがするな」


 もし何者かの介入があったとしたらそれは帝国なのではないかとリブエルスは直感した。

 だけどそれだけでは説明できないことが起きているようにも思えてならなかった。


 ハルト王国かクラブ聖教国が横槍を入れてきたか、それとも冒険者か⋯⋯。

 リブエルスは目をつむり、最善の手が何かを考えることにした。

 刻一刻と事態は動いているはずなのに現場は遠いので、先の先を予想して動かなければならなそうだ。


「最も良いのは検問だろう⋯⋯」


 リブエルスは再び器に入ったワインを見つめた。

 彼は琥珀色の瞳をほんの一瞬だけひそめたあとで、またワインを口に含んだ。


 アイデアは出した。

 あとは明日合理的になるように細部を詰めて、行動を始めさせれば良い。

 事態がリブエルスの想定の範囲内に動くのであればこの対処で事足りるはずだ。

 けれど、もしこれでも動きが遅すぎたのだとしたら、本腰を入れなければいけないだろう。


 リブエルスは王位争いですら本腰を入れずに終わってしまった。

 冷血とも言えるほどの思考力に加えて、時にセオリーを超える采配、そしてそれらを積み重ねることによって実現される高度な予見能力⋯⋯。


 十年前、弱冠二十四歳で王位を継いだ俊才は事態が自分の想定を超えることを願いながら、今日も退屈な日を終えた。

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