第56話:真夜中の部屋で

 アービラに戻った僕たちは散々街の人に揶揄われた後で、改めてみんなにお礼を言った。

 その後、明日の午後から警備隊の聴取を受けることになるとだけロルスさんに言われ、僕らは宿に帰った。


 宿の人もソラナのことが心配だったらしく、体を拭くためのお湯を僕たちのために用意してくれ、あたたかいスープを僕たちに振舞ってくれた。

 ソラナはあれから僕との距離が少し近い以外はいつもと変わらない様子で、僕たちはいつもの通り他愛のない会話を続けた。


 気になることはたくさんあった。

 例えば結局今日何が起きたのかというのをまだちゃんと聞いていないし、ロルスさんの言っていたように隣国の大物が何故ソラナを攫ったのかということも分からなかった。


 それに拉致されたというのにソラナは不自然なくらいにきれいな格好をしていた。

 暴行を受けたという形跡もないし、衣服もちょっとは乱れているけれど、服を無理やり剥かれたということもなさそうだった。


 この世界の犯罪のことについて詳しい訳ではないんだけれど、わざわざ美少女を狙っておいて、結構な時間があったのに何もしないものだろうか。

 きっと単に少女を攫うという以上の目的があったのだと思うけれど、それがなんなのかは僕には見当つかなかった。


 だけど、僕はそれをソラナに聞かなかった。

 ふとした隙に思い詰めたような表情を見せることもあったから悩んでいるのかもしれないし、何より今日彼女は捕えられたのだ。

 その恐怖や助かった安堵を整理する時間はきっと必要だろう。

 僕たちはすぐに旅に出ることになるのだろうし、話す時間がこれからもいっぱいあると思う。


 そんな訳で僕たちはお互いに波風立てず、いつも通りになるように心がけた。

 いつもと言ってもここ何日かのことだけどね。


 そして僕は自分の部屋に戻り、ベッドの上で一人眠りもせずに項垂れていると言う訳なのである。


「反省もあるけど、僕がんばったよね。ソラナさんも助かった訳だしさ。よくやったよ」


 自分があんなことができるだなんて思っていなかった。

 初対面の人にみっともない姿を晒してしまったなぁと思って恥ずかしい気持ちにもなるけれど、不思議とそれが誇らしいように思えてくる。


「本当に助かって良かった⋯⋯」


 この世界は僕が思っていたよりも物騒だった。

 それなりに平和な日本という国に生まれて、しかもずっと病院にいた僕はすっかり勘違いしてしまっていたようだ。


 セミとして生きていた時は当然危機感を薄く持っていたのだけれど、人になった途端に前世の感覚に戻ってしまった。


 高度な文明があるにせよ、強いものが力を握り、弱いものから何かを奪ってゆく。

 ある意味では単純な価値観だ。


 だからこそ、二度目の人生を謳歌するために必要なのはやっぱり力なのかもしれない。


「もっと強くならないとな⋯⋯」


 ソラナがいなくなったと気づいた時のあの焦燥感がまだ少しだけ心に残っている。

 身体中の臓物がじりじりと焼かれるような不快感はきっと忘れることはできないだろう。


 僕はベッドの上でうだうだ言いながら何度も寝返りを打った。





 眠れそうになかった僕は天井についたホコリの数を数えるのに夢中になっていた。


 入院生活が長くなると誰でもこういう暇つぶしの技能が身につくものだけれど、僕は目につくものの数を数えることが好きだった。

 この身体になってからはとにかく目が良いので色々なものが目に入る。


 ホコリの数が三万に達したとき、『トントン』と僕の部屋が控えめにノックされた。

 今が何時なのか分からないけれど相当な深夜なはずだ。

 誰だろうか。そう思っていると小さな声が聞こえてきた。


「ケイダさん、ソラナです。起きておられますか?」


 僕にははっきりと聞こえたけれど、ひそひそ声だった。このまま反応がなかったら帰るつもりなのかもしれない。


 僕はすぐさまベッドから飛び起きて、扉を開けた。

 そこには髪を下ろして真っ白な顔をしたソラナがいた。


「ケイダさん⋯⋯。よろしければ少しお話しできないでしょうか。眠れなくなってしまって⋯⋯」


 あんなことがあったのだから仕方がないのだろう。

 俯きながら申し訳なさそうにするソラナの顔を上げさせてから僕は彼女を部屋に招いた。


 狭い部屋なので僕とソラナはベッドに横並びで腰かけることになった。

 すぐ横に儚げな様子の金髪碧眼美少女が座っていて、僕は鼓動が早くなるのを感じた。


 ソラナは厚手のカーディガンのようなものを着ていて、大きめの木のボタンで前を留めている。

 ボタンというよりは削った木という方が適切だけれど、とにかくよく似合っていた。

 ふわぁっと良い匂いが香ってきて目がくらみそうになるんだけれど、必死に正気を保とうと努める。


 僕の部屋に入ってきてからソラナは黙り込んでしまっていた。

 だけど意を決したように息を吐いた後で顔を上げ、ついに口を開いた。


「ケイダさん、あなたに隠していたことがあります」


 その言葉に僕は二重の意味でドキッとした。

 一つは何か秘密がありそうだったソラナがそれを話そうとすることに驚いたことで、もう一つは僕も彼女に隠し事があることを改めて思い出したからだ。


 だから僕はソラナの言葉に頷きながらこう答えた。


「僕も話したいことがあるんです」


 ソラナは神妙な様子で頷いた。

 そこから僕たちの長い長い夜が始まった。

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