第41話:◆ロルス・ローランドの驚愕

 ロルス・ローランドはA級冒険者だ。

 以前『女神の楽園』の攻略を目指して足を踏み入れたけれど、たった十歩入っただけで逃げ帰ることになってしまった。


 だけどロルスはその判断が正しかったと思っている。

 あの地では常識が通用しない。

 何か変だと思ったら仲間が死んでいて、気づけば死に物狂いで逃げることになったという話に事欠かないのがあの場所だからだ。

 それこそ一歩一歩攻略範囲を広げていって、勝てる相手と戦い経験値を積んでいくしかないのだ。


 いま『女神の楽園』は十九番目の死神デスナインティーンというセミの魔物が大量繁殖していて足を踏み入れることができない。

 このセミは体が非常に硬くて一匹でも厄介だと言われているけれど、十九年に一度一斉に羽化して森を埋め尽くすほどに発生する。


 余程の強者か防御の術を持つ者以外はこのセミにたかられて一瞬で体液を飲み尽くされてしまう。

 そのため、奴らが発生する年は女神の楽園に近づくことが禁止されているし、辺りから動物が消失する。

 賢い動物は自ら離れるし、無知な動物は全てセミに吸われてしまうのだ。


 そんな中、ロルスは好奇心に駆られて『女神の楽園』の近くまで足を運んでいた。

 中に入る気はもちろんない。

 いまのロルスでは一瞬でセミに取り囲まれ、すぐに骨を皮だけになってしまうだろう。

 それが分からないほどロルスも無知ではない。


 それではなぜこんなところまで来てしまったのか。

 それは単純にその悪名高いセミを見てみたかったからだ。

 うまく誘き寄せて一匹だけになったら討伐してみようという下心もロルスにはあった。


 セミの活動圏だと言われている領域からほんの少しだけ離れた林の中で、ここにくるまでの間に捕まえてきたネズミを取り出した。


 ネズミは気絶している。

 全力でここまでやってきたのでさぞ揺れたと思うけれどリュックの中で目を覚ますことはなかったようだ。


 ロルスは魔法でネズミの背中の辺りに小さな傷をつけた。奴らは血の気配を感じて集まってくるらしい。

 起こさないようにできるだけ丁寧に作業したお陰でネズミは気絶したままだ。


 ロルスは傷をつけたネズミをわしづかみにして、出来るだけ女神の楽園に近づくように強く投げつけた。


 ポスッと小さな音がしてネズミが地面に落ちた。もしかしたらその衝撃で死んでしまったかもしれないけれど、新鮮なことには違いがないだろう。


 落ちたネズミを見ているとふらーっと黒いものがやってくるのが分かった。

 黒い体に金色の目のセミ。間違いない、目当ての魔物だ。


 やってきたセミは早速口から管を出して早速ネズミの体に差し込んでいる。ロルスが傷をつけた場所をそのまま抉るような様子だ。


 今がチャンスだ。

 ロルスはそう思って腰の剣に手をかけた。

 セミはネズミの体液を吸うのに夢中になっている。


 そっと近づいて一太刀で斬りふせる。

 そんなイメージを描いて足を出そうとした時、ロルスの視界に黒い塊がチラついた。


 直感的に危機を感じたロルスは移動した体重を必死に戻し、そのままの体勢を維持した。

 ロルスのその行動が明暗を分けた。


 黒い塊はセミの群れだった。

 数十匹にもなるセミが一斉にネズミに群がり、隙間なくしがみついた。

 何匹ものセミがあぶれているが、他のセミを退けようと果敢に攻撃を仕掛けている。


 セミ同士で激しい攻防を見せながらも良い位置を得たセミはネズミの血を吸い続けている。

 みるみるうちにセミの群がりが小さくなっている。

 すごい勢いで液が吸われているのだと気づいたロルスの背に怖気が走った。


 もし欲をかいて歩き出していたらああなっていたのはロルスだったかもしれない。

 さすがにあの数を相手にしたら勝ち目がなかっただろう。


 ロルスはネズミが吸い尽くされてセミ達が元の場所に帰っていくまで息を潜めながらじっと佇むことしかできなかった。



『ロルス・ローランドのセミ狩り:狩る前に群れの姿を見て退散』







 それからロルスは一目散に逃げ帰り、野営を挟みながらやっとのことでアービラの街に着いた。


 帰り道の間、どうやったらあのセミに勝てるようになるか考え続けてみたけれど、その方法は思い浮かばなかった。


 半ば憔悴しながらアービラの門に向かうと同年代くらいの男女の二人組がちょうど街に入ろうとしているところだった。


「嘘だろ⋯⋯?」


 遠くに見える男が尋常じゃない実力を持った魔導士であることがロルスには分かった。


 ロルスは反射的に距離を取り、ゆっくりとその二人組を観察することにした。

 門番には見られているかもしれないが、会うのが気まずい知り合いだったと言えばごまかせるだろう。


 男は焦茶色の髪でほっそりとした体型だ。顔付きには特徴がなく地味だと言える。

 一見するとその辺にいる無害な男に見えるけれど、異常な点がいくつもあった。


 まずは保有している魔力だ。

 体内に異常な濃度の魔力を保有していて、それを巧妙に隠している。

 そこいらの凡夫では見抜けないほどだ。


 魔力の扱いにはロルスもそれなりに自信がある方だけれど、あれだけの魔力を持っていたら爆発させてしまうかもしれない。

 その一点だけでも大魔導士であることに疑いがない。


 男の着ている服もおかしかった。

 平民の服として違和感はない形なのだけれど、それらは全て魔力で形成されていた。

 しかも女の方は泥や砂で汚れているというのに男には汚れ一つなかった。

 硬い物体であったら本物っぽく見せることはできるかもしれないけれど、あんなヒラヒラした生地を魔力で再現できる人間が他にいるようには思えなかった。


 ロルスは驚愕した。

 出世の早さには自信があったロルスだけれど、あの男の前では形無しだ。

 敵対してしまったら勝てる気がしなかった。


 だが、男は非常に情けない顔をして女の方に何度もペコペコ頭を下げている。

 へりくだる様子から見て彼の立場はかなり低そうだ。

 あれほどの男がなぜ⋯⋯?


 そうなると当然女の方に興味が湧いてくる。

 ロルスは女の方に目を向けた。

 今は旅の汚れがついているが顔の作りは整っている。

 金色の髪も丁寧に手入れをすれば艶が出てきそうだ。


「磨けば光るタイプのようだが⋯⋯しょっぱいな」


 門番に対する所作からしてお忍びで旅をする貴族の少女だろうか。

 立ち振る舞いには品があるけれど場慣れ感がないのでおそらく田舎の貴族だろう。

 魔法の素養が高そうなところから見ても間違いなさそうだ。


 綺麗なことは認めるがロルスの好みではなかった。

 何より胸が薄すぎる。

 ロルスは胸の大きな女性にしか興味を持つことができないため、一目見た時から対象外だと気づいていた。


「女の好みが違うのは良いことだけどな」


 二人組は門番にお金を渡し、街の中に入っていった。

 ロルスは門番の方を見て手を振りながら近づいていく。


 何はともあれ、ロルスは今日も生き残ることができた。


 最近美味いスープを出す店を見つけたのでそこで早いところご飯を食べて休もう。

 そんな風に思っていたら店にあの男がやってきたので、ロルスはできるだけ友好に接してみた。

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