第8話:地上への道
気が狂いそうになるほどに『地上に出ろ!』という声が頭に響いてきたので、僕は地上に向かうことにした。
こんな衝動が湧いてくるということはきっと羽化の時が近づいているのだと思う。
地上に出た後はちょうど良い高さの場所を探して、今度は羽化をしろという衝動がやってくるに決まっている。
となれば最初から羽化をするつもりで行動を起こした方が良いはずだ。
幸い僕はいま木の根っこの近くにいる。
この根を辿って地上に向かえばいずれは幹に辿り着き、地面から顔を出すと同時に木登りを開始できることになる。
おぼろげな記憶だけれどセミの幼虫が地上に出て移動するときと、羽化をするときは死ぬ可能性が高いと聞いたことがある気がするのだ。
僕はのっしのっしと地中を進みながら記憶を辿っていた。
セミに転生してからいったいどれぐらいの時間が経ったのだろうか。
とても長い時間を過ごしたようにも思うけれど、あっという間だったという気もする。
ほとんどの時間を一人で過ごし、誰かと関わることもなかったからか時間の感覚がやけに曖昧だ。
当初の計画だと十年ぐらい修行をして天才魔法使いになる目論みだったのだけれど、実際どれぐらい強くなったのかも分からない。
それにいつのまにか前世の記憶も薄れているような気がする。
覚えていることも多いのだけれど、忘れてしまったこともかなりたくさんある。
この前驚愕したんだけれど、人だった頃の自分の名前を僕は忘れてしまっていたのだ。
ずっと僕をお世話してくれた看護師さんの名前とかは思い出せるのに、どうしても自分の名前を思い出すことができなかった。
だけどそのことに落胆することはなかった。
多分いまの生活を結構気に入っているからなのだと思う。
最初はセミになって不服な気持ちも持っていたけれど、今ではセミに生まれてよかったと心の底から思っているのだ。
それに、これから羽化するのだとしたらついにメスのセミとも出会えるかもしれない。
時々妄想していたけれど、僕はそれなりに強くなっているはずなので、もしかしたら空前絶後のセミハーレムを築ける可能性すらある。
おそらくセミは本能が強いはずなので強靭なオスに惹かれるはずだと思う。
きっとそうだと信じている。
そうですよね? お願いしますよ!
愉快な想像を膨らませながら根を辿っていくと、細い根が合流してどんどんと太くなっていく。
ある程度太くなってきたら水平方向の移動はほとんどなくなり、どんどんと上の方に向かうようになっていった。
そして土の層が変化するのを感じながら上昇していくとついには木の底にたどり着いた。
あとは移動しながら顔を出せる場所を探してゆけば良いはずだ。
ちなみにここまでほかのセミには全然会わなかった。
この木の樹液は刺激が強すぎて全滅してしまったのかもしれない。
もう少しで地上に出るのだと思うと、なんだか緊張感が湧いてきてしまった。
セミになってからずっと地中にいたので不安を感じる。
僕は外でやっていけるのだろうか。
外の世界は地中よりも怖い世界なんじゃないだろうかと思う。
ここではゴミムシやオケラが幅を利かせているのみで同じ虫の僕でもどうにか対抗することができた。
時たま花モグラさんみたいなバグキャラが現れたけれど、そんな花モグラさんですら外の世界では非力な獣でしかないはずだ。
あれ、なんかやっぱり怖くなってきたんだけれど⋯⋯。
でも僕が歩みを止めようとするとまた頭に騒音のような声が響き渡り、どうにか地上に進出させようとする力が働いてくる。本当に勘弁してほしい。
僕は覚悟を決めなければならないんだろうな。
住み慣れた場所を離れて、知らない土地に足を踏み出さなければならない。
それは人だったら幼稚園から小学校へ。小学校から中学校へ行くようなことなのかもしれない。
生活する範囲が変われば事故に遭うかもしれないし、いじめにあう可能性だってある。
だけど残酷な程にその歩みを止めることはできなくて、僕らは前に進むように強いられる。
きっとセミにとってもそれは同じなのだろう。
やっとのことでここまで生き残ることができたのに、今度は環境を変えてまた別種の生存競争が始まる。
そこで何が起きるのかは分からないんだけれど、結局のところ楽しむしかないんだろうなぁと思う。
病人だった僕は死んで、セミに生まれ変わった。
幼虫での生活で前世ではできなかったことをたくさんやらせてもらったから、ある意味満足している部分もある。
これからの生活は余生だと割り切って積極的に楽しんで行こうかな。
「うん。それが良い!」
僕はこれからセミになる。
羽化してセミになるんだ。
決心のついた僕は上に向かってがむしゃらに動き出した。
アタックを何度か続けていけばいずれ地面から出られるだろう。
そう思っていると一度目のアタックで僕はすぽっと土から抜け出してしまった。
「あ、明るくない⋯⋯」
久しぶりにお日様を見られると思っていたけれどどうやら夜のようだった。
◆
外に出てみると僕の想定通りに目の前には木がある。
だけど、その木は思っていたよりも馬鹿デカかった。
セミ目線だから大きく見えるということではなくて、多分人目線でもかなりでかいと思う。
だって、普通の木ってセミが何匹か並んだら外周が埋まると思うけれど、この木は何百匹並んでも埋まる気がしないんだ。それぐらい異常に太くて大きい木だ。
僕はのっしのっしと樹表を登り始めた。
気分はロッククライミングだ。
適度な凹みを見つけて前脚を出し、引っ掛ける。
そしたら今度は後ろ脚を引きつけて固定できる場所を探す。
魔力での体の強化のおかげか大抵の場所には前脚の突起を刺すことができるんだけどね。
首が回らないおかげで下を見ることができないのはよかった。
実は高所恐怖症で、歩道橋とかですら上がるのに恐怖を感じていたんだ。
いまはかなり高くまで登っているから見下ろしたらかなり怖く感じるはずだ。
そうやって進み続けると不思議と「この辺りで良いな」という感覚が芽生えてきたので、僕は止まった。
そして精神的に一息ついているとまた僕の頭に恐ろしい衝動がやってきた。
『羽化しろ! 羽化しろ! 羽化しろ! 羽化しろ! 羽化しろ!』
ノイローゼになりそうな気持ちになりながら、僕はなんとなくいきんでみることしかできなかった。
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