第二十三話 会話

 ああ、どうして自分は、この子の名前を忘れてしまったのだろうか。自分の過去を思い出した代償なのかもしれないが、どうしても思い出せない。玄関で自己紹介をしようとしたときに場面が変わって現在の状況になったため、名前を聞かずにここまで来ている。きっと名前を聞いたら、それはパズルのピースが埋まるようになり、過去を思い出すことがようやく「完成」するのだろう。だけど「完成」したならば、この時間も終わってしまうのではないか。また会えたのに、何だかそれは悲しく感じた。

「おにいちゃん、だいじょうぶ?」

 ハッ……!深く考えすぎてしまった。今は少女としばしの会話を楽しむことにしよう。

「うん、大丈夫だよ。少しぼーっとしてたみたい。アイス、美味しいね。」

 目線を合わせながら言うと少女は笑顔で、

「えへへ。おはなし出来てうれしい」

 と言った。よく笑う女の子だ。大きくなっても、君に笑顔が溢れますように──。そう願わずにいられなかった。

 

 二人がアイスを食べ終わったあたりに、少女の母がレジャーシートを持ってきて敷いてくれた。そのため、そこに二人で座った。角部屋だからこそできることだ、と改めて実感した。また、冷たいお茶も持ってきてくださったため、二人で沢山の会話を楽しめた。

 自分は主に聞く側であり、少女からは色々な話を聞いた。

 保育園で起きた出来事、引っ越してきたばかりで片付けが大変だったこと。そして、“明日お母さんが休みだからウヌプラスでお買い物をする”ことも。本当なら行ってほしくなかったが、足りないものを買うために行くらしい。この近辺で何でも揃っている商業施設はウヌプラスしかないため、止めることは出来ないようだ。

「ねえ、おにいちゃん。」

「ん? どうしたの?」

「やっぱりさっきから顔くらいよ。わたしとのおはなし、たのしくない?」

 しまった、起こりうる不安についてまた考えてしまっていた。当時はネットショップは今よりも発達していないだろうし、遠出するにも大変だろうから、行くのはやはり不可避のようだ。とにかく、落ち着かせることにしよう。

「ううん。お話しするのは楽しいよ。だからこそ、君にお願いがあるんだ。」

「どうしたの?」

「今から言うことをよく聞いてね。」

 なるべく被害を最小限にするために大切なこと。自分はどうなっても構わないから。

「明日買い物に行くときは、お母さんと絶対に離れないでね。」

「うん、ずっと手をつないでおくね!」

「それから、ウヌプラスで知らない人に話しかけられてもついていかないでね。」

「うん、わかった!」

 分かってくれないんだよなあ……。

「だけど、もしもね」

「うん」

「分かってくれないかもしれないけれど……。もしも何かあったら、君のことを必ず助けに行くから。例えはぐれてしまっても、犯人扱いされても。絶対に君を守り抜くから。そして、どこかでまた会えたら。」

……その時は。

「その時は、どうか笑って。」

「……うんっ!」

 数十年経って忘れてしまってもこの出来事が、どうか君の支えになれますように。

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