セカイのヒミツ

泉花凜 IZUMI KARIN

セカイのヒミツ


 

 秘密主義、という言葉の字面が、個人的に好きだった。


「秘密」という密やかな色香を持った言葉の響きに、「主義」という強い語調がくっついて、確固とした意志のように表れる「秘密主義」という言葉。好きだと思った。かっこいい言葉だと思った。


 幼い頃、「私は秘密主義だから」とよく自慢げに言っていた。その約束を誇らしく胸に掲げ、友だちやクラスメイトの内緒の話に花を咲かせたものだった。いわゆる、どこにでもいるごく平凡な女子だったのだと思う。


 私はその他の例に漏れず、仲間内でしゃべるのが好きで、次の流行を追うのが好きで、オシャレが好きで、メイクが好きで、勉強が嫌いで、男子にはまだちょっと興味を持てそうで持てない、危うげな季節を過ごした、少女としての少女そのものだった。


 ――あいつは、違ったけれど。


 あいつとの縁、というか因縁は、学生時代にまでさかのぼる。



  *



「秘密主義だというわりに、けっこう口を滑らすよね。もしかして君、わざとやってる?」


 そいつは至極失礼な口調で、軽く小馬鹿にしたように私を見上げた。まだまだ私の背を追い越せていないガキのくせに、まったくそのことを恥じていないどころか気にもしていない風を吹かせるのがますます気に食わず、私は誰にでも向けるニコニコなスマイルをこいつにだけは向けてやる気が起きなかった。


 中学二年の初め。私たちの学年は十四歳という、世間で言うところの最も多感で繊細な時期に突入していた。しかし実際の十四歳というのは、意外とちゃんとしてるやつはしてるというか、いわゆる厨二病みたいな拗らせ方をする輩はごく一部で、大多数の人は私みたいにごく普通の毎日を送っている。だから私は、世界を嘆いたりもしないし、大人に対して何か思うことも一切ないし、そんなことに神経をすり減らすよりは今日見たテレビ番組とか、ネットでバズッたやつとか、動画サイトで最近ランキング入りしてるあの子がイケてるとか、そういった話題ではしゃぐ方がよっぽど中学生の健康にいいと思っているのだ。私の持論は正しいようで、みんなは私がいると場が楽しくなる、明るくなると嬉しそうに言ってくれ、私を愛してくれた。求めてくれた。


 学生生活は周りに愛されてなんぼだ。せっかくの青春の季節を拗らせてどうする。より幸せに、未来への選択にあふれた進路を手に入れるのだ。

 私は使命のように、自分が十四歳である事実を楽しんでいた。


 その気持ちに水を差したのは、まさしく隣の席の拗らせ系ひねくれ男子、鈴城空すずしろ そらである。


 こいつは席替えで私の隣になった時からまったくなびかなかった。たいていの男子は、「おー、姫路ひめじか。お前は話しやすいし気さくだし助かるよ!」とありがたい台詞を頂戴してくれるのに、こいつは女子に対しての態度の一切が洗練されていなくて、だから私の仲間からは「げーっ!」と嫌がられる確率が百パーに近い、ある意味であわれなやつだ。でも本人は女子に嫌われようが、何なら女子の中心的立ち位置の私に嫌われようが、だからどうしたと言わんばかりに自分の半径の一切を無視しているゴーイングマイウェイの男である。しかも人に対して言う呼び名が「君」って、何でそこだけ今風じゃないんだ? こいつの性格がわからなさ過ぎて、いっそうっとうしい。


 そんな鈴城は今、小学生がよく持たされる自由帳みたいな真っ白の紙のノートを机に広げて、何やら一心不乱に絵を描いていた。


「何それ、漫画?」

「漫画なんていう大衆的で俗物的なものとは違う。俺が書いているのは絵画だ」


 そうだ、確か、こいつは美術部だった。漫画を馬鹿にするとは、クラスの輪に入れないことと同義である。全国の漫画ファンを敵に回すようなセリフを堂々と口にする鈴城は、およそ私たちとは相容れない精神を持ち合わせている。


 普段、友だちとしゃべっているのが楽しい私は、無言を過ごすのがつまらなくて、こいつに話しかけている。が、口を開けば気の合わない返答ばかりだ。


「そんなに一生懸命描いてさあ、あんたは将来、何かになりたいの?」

「見てわかるだろう。画家だよ」


 当然だとばかりに鈴城は断言した。私はそれを聞いて、はあ、そうですかとしか答えられず、再び冷たい目を向けられる。執念を持った男は怖いなあと心の中で舌を出す。


 しばらくノートにペンを走らせる摩擦の音が響いていた。それほどに教室内はしんとして静かだった。三十席以上が並ぶ空の机に囲まれると、学校の教室は意外にも広いのだと実感する。


「必死にやってて疲れない?」

「必死になりたいんだ」


 私の質問に被せる勢いで鈴城は言った。


「俺は、世界の秘密を知っている」


 鈴城はいきなりサイコなことを発言した。


 何だ? 電波でも受信したのか? と私が思っているメッセージはもろに顔に出ていたらしく、キッと非難されるような視線を浴びた。


 鈴城はもう一度、一息に言った。


「君たちがわからなくたって、俺は知ってるんだよ。今ここで自分の人生の道を決め、その道にひたすら邁進する者と、勉強も夢も放ったらかしてその場しのぎの娯楽や遊びに惚ける者とで、将来が真っ二つに分かれるという、この世界の秘密を。人生は短いんだ。どんなに医療が進んだって、人間の寿命は永遠じゃない。人生百年といわれても、元気に体が動くのは何歳までだと思う? そう考えたら、とにかく健康に生きているうちに何かをやり遂げなくちゃいけない気持ちになるだろう?」


 早口でまくし立てるそいつは、何かに急かされているように机上の白いノートをペンでガリガリと書き殴っていた。


「生き急いでるなあ。何でそんなに思い詰めてるの?」


 私は意味不明という風に肩をすくめる。何から何まで生きづらさを体現しているような、面倒くさいやつだ。


「君が何をどう言おうと、俺と君はこの先の人生、真っ二つに分かれるよ。どちらに明暗が分かれるのかは明白さ。俺は必ずこの世界の秘密を暴露してやる。年老いてからでは何もかもが遅い。何かをやるには結局、若いうちからやらなければならないという残酷な真実を、俺は世界中のみんなに突きつけてやるんだ」


 彼は芸術家なのだろうか。私たち凡人には理解できない物の見方をする。


 人生一度しかないのだから、どう生きようが個人の自由だけど、それならなおさら、マイペースに気ままにだらけて生きるのも楽しくないか? そりゃ、だいぶ前から流行っている転生もの漫画みたいに、二度目、三度目の人生が経験できるなら、少しくらいはこの社会を何とかするために貢献活動でもしなくちゃなあとか思えるけど、どうやらそうではないみたいだし、一回きりの姫路愛以ひめじ あいなら思う存分ゆっくり気楽に生きていきたいと望むのが人情だ。


 そういう意味で、私はやっぱり、こいつとは何もかもが合わない。


 成績不振の私と、出席日数の問題で居残りになったこいつ。私たちは補習の課題をやらされている最中、お互いの人生観や教育観について気まぐれな議論を交わしていたのだった。



  *



 世界の秘密とは、何だったのだろう。


 あいつと交わした、会話とも取れない不毛なひとときは、妙に私の記憶に焼きついていた。


 夜七時の街は帰路につく人で満ちている。みんな足早に街灯の下を通り過ぎ、すれ違う人を通り過ぎ、よそ見もせず自宅へと向かっていく。この中の何人に、帰りを待っている家族がいるのかは私にはわからない。ただ、私と同じく独り身の立場は今多くなっているし、私だけが特別というわけではないだろう。昔から、私に特段際立った個性などはなかったのだから。


 マンションとは名ばかりの、アパートすれすれの三階建ての自宅が見えてきた。帰りにコンビニで夕食を買ってこよう。今日は疲れたから出来合いのものでかまわない。気楽に自分の支度を済ませられるのは独り身の特権だ。


 適当に総菜とメインの食べ物を買い、梅酒も購入しようとして、酒税が高くついてしまったご時世だから控えた。それほど酔いたい気分でもない。


 定時をいくらか過ぎたものの、そこまで遅い帰宅ではないから今日はついている方だ。上司も部下も、動きは遅いが特に無能でも突出して有能でもなく、まずまずの能力でまずまずの人柄だし、私とよく似て、いい意味での強烈な個性を持たない、朴訥なキャラである。私自身がそうなので、私の周りに集まる人たちもそういうタイプが多い。


 テレビを点ける。最初はスマホもネットもあるし、必要ないと思っていたテレビが、今では私の必需品となった。誰も訪れない家では、一日中流れてくる地上波放送が、絶え間ない無音をかき消してくれるからだ。


 チャンネルを合わせ、電子レンジで温めた食材をテーブルに広げ、いただきますと手を合わせて口に入れる。良くも悪くもないコンビニの味。すぐに慣れてしまった化学調味料の味。一人暮らしをした初めの頃、がんばっていた自炊は、三十を迎えた頃からいつしかそんなにやらなくなっていた。


「推し、いつ出てくるかなー」


 画面左上の時刻は番組を見始めてから二十分ほどが経過したことを知らせていた。ぼんやりと眺めているので、待たされてもそれほどそわそわしない。


 三十分になる頃、推しが画面に映った。


 夕飯を食べ終え、流しに持って行って洗っていた私はあわててテーブルに戻る。

 推しは美容院に行ったばかりか、前に見た時よりも髪型がちょうどよく整えられていて、小綺麗になっていた。仕立てのいいスーツを着(番組側が用意したやつだとは思うが)、目元は変わらずちょっとだけ神経質に光り、しかし本人から醸し出される落ち着いた雰囲気は、あの時代と打って変わって、大人に成長した年月の長さを物語っていた。


「推しが今日も尊いわー」


 SNSを開き、タイムラインに投稿を連続して打ち出す。教育テレビを熱心に見るコアなファンが私と同じように、推しについての感情をつぶやいている。


『鈴城ソラさんは、新進気鋭の画家兼イラストレーターとして早くからインターネット中心に創作発表をしており、小説の装丁画から個展の主催、その活動ジャンルは多岐にわたります。

 三十歳で文化庁メディア芸術賞を受賞。SNSのフォロワー数は絵師として異例の数字を叩き出しており、まさに『神絵師』の名をほしいままにする、令和時代の新世代アーティスト……』


 司会者が快活とした口調で推しの活動歴を語り始める。私はその一言一言にうなずき、相槌を入れ、指を動かして投稿を投げる。タイムラインは続々と埋まっていく。


 インタビューは幼少期の生い立ちから、夢を目指すまでに至った経緯まで続いた。


『この道を目指したきっかけは』


 画面から推しの声が心地よく聞こえてくる。


『シンプルに、絵を描くのが好きだったというのが理由ですが、強いて言うならば、世界の秘密を知ってしまったから、ですかね』


 推しは相変わらず、芸術的センスに満ちた台詞を言ってのけ、周りをポカンとさせていた。クスリと笑えてきて、私は中学時代の、傾きかけた西日が差し込む教室を唐突に思い出した。


 懐かしい。すべてが懐かしい。


『世界は嘘をつく。世界には秘密がある。子どもへの、大人への、優しくも残酷な秘密が。それは、やりたいことを、進みたい道を選ぶには、人の一生はあまりにも短すぎるという事実を指します』


 私の推しは、本名をそのまま世間に公表していた。下の名前をカタカナにして。


 最初にネットニュースで推しの名前と写真を見た時、記憶の底のあいつとしばらく結びつかず、呆けたまま突っ立っていた自分を覚えている。


 私は新卒で入った会社を三年目に入るか入らないかのところで退職していた。毎日は驚きの連続で、すぐにできた新しい友だちと上司の愚痴で盛り上がったり、飲み会には毎週参加したり、職場の恋バナに積極的に乗ったりして、少しずつ社会人の生活に慣れてきていた。後輩の指導をする立場になって、徐々に年齢を重ね、ある日ふとトイレの鏡に映った自分の顔を見て――私は、何もかもが怖くなった。


 何をしたのだろう、私が。ここまで生きてきて、社会にわだちを残せるような何かを、私ができたことがあったか? 


 一度頭についた考えはしつこく私を苛み、気がつけば休憩時間をとうに過ぎたトイレの鏡の前で、途方に暮れていた。突如として襲った虚無感。自分に関わるすべての事柄から逃げ出すように、私は会社に行かなくなった。


 今、勤務している職場は五件目の転職先だった。何かに転がされるように毎日を生きるしかない、薄氷の上を歩く感覚にも似た暮らし。これが姫路愛以という人間のすべてだと定義されれば、そうだとも思えるし、そうじゃないともわずかに思っている。


『僕は自分のやりたいことをやりたかったし、好きなことを仕事にしたかった。茨の道でした。けれど後悔はしていません』


 画面の中で推しが微笑んでいる。めったに笑顔を見ることのなかったあいつは、今、私の推しとなって、夢を追う若者の背中を押す大人となっている。


 同年代のはずなのに、推しは私よりいくつも年上に見えた。テレビを眺める私と推しの視線が交じり合うかのように一瞬、交差する。推しがカメラの方を見ただけだとすぐに納得するも、見据えられた私は瞬間、退屈な日々を放課後の遊びに費やした教室に、意識がタイムスリップする。


 私の隣に、あいつがいる。何も知らなかった私と、何も知らなかったはずのあいつが。


『あんたは将来、何かになりたいの?』

『見てわかるだろう。画家だよ』


 愚問だとばかりに言い切ったあいつの意識は、学校という箱からとっくに外界に飛び出していた。その表情はちょうど西日に当たり、逆光となって私の目を焼いた。まぶしいと感じた。日差しが、鈴城が、世界が凝縮されたようなこの時間が。


 推しは私に問いかけるかのように、魅力的な言葉を画面上で放っている。


 人生を切り拓く道は、羽ばたく勇気を持った人の前にしか用意されないのだろう。


 そんなことを思い、私はちょっとだけ泣いた。



   了



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