第8話 帰る場所~セナ・アヤビシの業務報告【番外編】
【セナ・アヤビシ】
「……ふう」
アニムスにとどめをさしたリリティアが、軽く息を吐いて、綺麗に着地する。彼女が背負う東の空には、太陽が頭を出し始めていて、空は紫と橙との混じった微妙な色をしている。
「お疲れ様、姉さん。フォローありがとう」
少し慌てて駆け寄りながらロロティオが姉をねぎらった。リリティアは一瞬そちらに視線を返してから、スカートについた埃をはらう。
「あんたに言われると腹が立つわ」
また始まった。姉弟喧嘩にも似た、ただの八つ当たり。
「ロロが取りこぼしたから、あたしの手間が増えたの。わかってる?」
「ごめん」
ロロティオの謝罪に、リリティアはわざとらしく溜め息をついた。変身を解き、長い髪をかきあげる。
「──まったく。しっかりしてよね」
言い過ぎじゃないか、とも思うが、この姉弟の場合はこれがデフォルトだ。
「幸運なことに今日は休日だ。ゆっくり休むといい」
僕が二人にそう言うと、リリティアは何度目かの溜息をついた。
「言われなくてもそうするわ。そもそも休日じゃなければ、こんな時間の任務は引き受けない」
本部に戻り、受付に向かう。こんな時間に受付の寛和沙友が出勤しているわけもなく、機械を相手に『ルナティック、セナ・アヤビシ以下三名、帰還した』とだけ報告をし、研究室へ足を向けた。
後のために先程のリリティアの言い分、及び状況を振り返っておく。
リリティアとロロティオの姉弟……フィオーレ家の直系は、他のエレスとは異なり、変身形態が二種類ある。
そもそもエレスは基本的に、火、水、土、風、光、闇の六属性のうち、一つが適応している。エレス以外の人間も、精密に計測すれば適応した属性があるのだが、今はその説明は割愛する。
その中でも僕たちルナティックは、全員が二つの属性に適応し、リリティアとロロティオ以外は二つの属性を組み合わせた魔法を使うことが出来る。
極端かつ分かりやすい例を挙げるとすれば、白夜桃月。火と闇の属性を持つ彼女は、炎を起こしながらも周囲を暗闇で覆い、視覚的に認識されずに相手を燃やし尽くすことが出来る。
フィオーレ家は、そうではない。二つの属性を同時に使用するのではなく、二つの変身形態を持ち、それぞれに適応した属性がある。
リリティアは闇属性の『ローザ』と光属性の『ムゲット』。素早く正確な動きが出来る、レイピアを使うのが『ムゲット』。一方、パワー重視でスピードに欠け、大剣を扱うのが『ローザ』だ。
今回のケースに移る。
討伐対象の動きが俊敏だった為、リリティアは当初『ムゲット』で戦っていた。僕がロロティオにとどめをさすよう指示したところ失敗、リリティアにフォローを指示。彼女は『ムゲット』ではパワー不足と判断し、『ローザ』に変身し直した、ということだ。
彼女曰く、『ローザ』の方が燃費悪いからあまり使いたくなかった、とのこと。
僕個人の見立てでは、リリティアはわざわざ変身し直さなくとも、あの距離、あの相手であればとどめを刺せただろう。
そうでなければ彼女にフォローを指示しなかったし、僕自身がどうにかした方が早かった。
彼女の判断と、僕の判断が噛み合わないのは、今に始まったことではない。
小さく首を振って思考を終えると同時に、研究室に着いた。
研究室に入ると、真っ直ぐ個人スペースに向かう。ロッカーから白衣を取り出してから、今は白衣は別に要らないか、と戻す。
濃いめのブラックコーヒーを淹れ、冷蔵庫から作り置きしておいたケーキを出す。
「……はぁ」
今更、会社の寮にはほとんど戻っていないことに気付く。
生活に必要なものは、この建物……マナクレセンツ本部内で揃っている。食事も、ルナティックの部屋に行けば台所があるから、そこで作れば良い。作る暇が無い時には小さいが食事処もある。
所属している会社は、社会的な立場を取り繕う為だけのものでしかない。
悲観したってどうにもならないことだ。
どうにもならないことを嘆きそうになる時、小さく首を振って思考をやめるようにしている。
けれど、喉の奥に流し込んだ珈琲の苦味が、思考を引き戻してくる。
鈍る頭を抱えて天井を仰ぐと、光源がどこなのか解せない間接照明が視界に入った。
時計の針の音が鼓膜から脳に伝わって、時間の経過を感じさせる。
時間が常に流れていることを忘れないために、意図的にアナログ時計を置いているのだ。
学生という立場を卒業する数ヶ月前に、事実上ルナティックのリーダーになってしまい、あまり住居に戻らなくなったのだったか。
小中高と十二年も過ごした場所だったというのに、卒業式に感慨が大して無かったのは、当時それだけ切羽詰まった生活をしていたからだろう。
あの頃のルナティックは、僕、カズサ、時遼、ミワネス、桃月の五人だった。時遼が入って間もない頃だったか。
当時と比べると、今は随分と明るく賑やかになった。
状況に慣れぬうちにちらほらと増えていき、僕ひとりだけ年が離れているという状況にも慣れていた。自然とそうなった、とでも表すべきだろうか。
視線をデスクに戻して、ケーキを口に運ぶ。
クリームの甘い香りが、喉に残っていた珈琲の苦い香りと混じって、何とも心地良い。
思わず目を細めると、まぶたが異様に重い。
そういえばここ暫く、満足な睡眠をとっていなかった。
少し仮眠でもとるべきだろうか。ああ、移動するのも億劫だ。身体が重くて動けない。
仕方ない、ここで寝ることにしよう。
思考の端にあったタスクを追いやって、眼鏡を外し、デスクに伏せた。
淡い、花のような香り。何か、暖かい。
「ん……」
物音がする。誰か、居るのか?
「セナさん、ぐっすりなの」
「そうですね。このまま寝させてあげましょう」
「じゃあ、これ、どうしよう……」
話し声がする。……アリエラスとカズサだ。
「うーん。珈琲とケーキ、一口だけ手をつけて寝ちゃったみたいですね。とりあえず差し入れは冷蔵庫に入れておきましょう」
「お手紙しとけば良いかな」
声は聞こえるが、体が重くて動かない。どうやら、ブランケットをかけてくれたみたいだ。柔らかさと重みが身体を包んでいる。
「そうですね。アリスちゃん、書いてください」
「うん」
何かを書く音。アリエラスが慣れない万年筆でも使っているんだろう。
「……セナさん、いつも、お疲れ様です」
カズサの柔らかい声と、ぼんやりと緩い回復魔法を感じる。
「ゆっくり休んでください」
優しい声。相手は年下だというのに、安心せざるを得ない。
「ヒメちゃん、書けたよ」
アリエラスの明るく幼い声。出会った当初と比べたら、随分しっかり話すようになったと思う。
「じゃあ、行きましょうか。セナさん起きる気配無いですし」
「うん」
二人の足音が遠ざかってゆく。……姉妹のように仲の良い二人だ。あの二人は何をしに来たんだろうか……。
「セナさん、寝てるのか」
また誰か来たみたいだ。そんなに時間が経過したのか、単に来客の多い日なのか。
「そうみたい。珍しいな」
「そうだな。いつ見ても休んでるイメージねぇし」
時遼とミワネスか? 何をしに来たんだ。
「いつから寝てるんだろう。珈琲、だいぶ冷めてる」
僕はそんなに寝ているのか? 今は何時ぐらいなんだろうか。
「さぁ? リティとロロと一緒に、明け方に仕事終わらせて帰ってきたみてぇだし……。それからずっとじゃねぇの?」
「起こすべきかな」
「良いんじゃねぇ? たまの休日なんだろ」
「そうだな。じゃあ、書類はここに置いておくか」
「あ、ハル、これも」
なるほど。どうせ、司令官あたりから僕に渡すよう頼まれた書類だろう。……ミワネスのは何だ。
「何これ。日記……?」
「こら、見るなよ」
「どうしたの、日記なんて」
「なんでもねえよ。……記録をつけろって言われて」
「野菜食べないから?」
「なんで勝手に飯の話だと思ったんだ」
ああ、上総朝人に頼んでいた記録か。向こうに出せばいいんだけどな。
「うーん。やっぱ似てるな」
「どうしたの、ミワにぃ。セナさん、誰かに似てる?」
「ハル、知らねぇのか? うちの学校に、セナさんの弟が居るんだ」
「……弟?」
そういえば。弟という存在自体を忘れかけていた。
「会ったことねぇか、タクマって奴」
その名前を聞いたのは、いつ以来だろう。
前に実家に帰ったのは、卒業してすぐ、荷物の整理に行った時。その頃だろうか。たまに研究資料の中でその名前を見るのと、本部の中で見かけるくらいだ。
「タクマ……? あぁ、桃月とかロロと同学年の?」
「あー、確かそれぐらいの歳だな。普段は全く似てねぇって思うのに、こうやってちゃんとツラ見たら、似てるな。やっぱ兄弟だな」
兄弟、か。僕にとってのタクマは、ただ「同じ組織に所属する他人」になりつつあるんだがな。
「キョウダイ、なぁ。リティとロロは似てるよな。俺と音乃は全然似て無いけど」
「んなことねぇよ。ハルと音乃は、目とか髪の色合いがそっくりじゃねぇか。まぁ、リティとロロほどは似てねぇけど」
「あいつら、似てるって言ったら怒るよな。そういうところも似てるんだけど」
そうそう。戦闘中にするミスのパターンもそっくりだ。多少リリティアの方が幾分かマシではあるが。だがその分、ロロティオはミスを認めるから、成長が速い。
「キョウダイ、か。オレとは無縁な言葉だ」
ミワネスの渇いた笑い声。……やはり、気にしているんだな。自分の生い立ちについて。
「ミワにぃ……」
「んな顔すんなって。オレにはアリスが居るし、ルナティックみんな、オレの兄弟姉妹みたいなもんだよ」
ミワネスは、出会った頃から考えると、確実に成長している。アリエラスのお陰? いや、ルナティックの他のメンバーのお陰か。
「お、そうだ。ハル、耳貸せ」
ミワネスが何か思いついたのか、時遼に耳打ちしているようだ。小声で聞き取れない。何の話だろう。
「なるほど。悪くないね。じゃあ、一旦部屋に戻ろうか」
何がなるほどなんだ、時遼。
「オレは直接行く。みんなにはハルが伝えてくれ」
「はいはい。人使い荒いなぁ」
二人の気配が遠ざかる。何の話だ?
……ひどく頭がぼんやりする。もう少し眠ろう……。
「……ーい。セナさ~ん」
このぽやぽやした呑気な声は音乃か。
「セナさ~んってば。起きてよ~?」
「起きない? その眼鏡、気でも失ってるんじゃないの?」
辛辣な言葉は桃月だな。
頭がひどく痛む。もう少し寝ていたいんだが……。
「もう、そんなこと言わないで、桃ちゃんも一緒に起こしてよ」
「嫌だよめんどくさい。大体、どうしてボクがわざわざこの眼鏡の為にこんな場所に来なきゃいけないのさ」
ひとの個人スペースを「こんな場所」扱いしないで欲しいものだな。
「じゃんけん負けたからだよー? ほら、桃ちゃんも手伝って~」
じゃんけん、って……何の。
「はぁ……。こら眼鏡。さっさと起きなよ。冷蔵庫の中のケーキ、全部食べるよ。ねえ、聞こえてる?」
明らかに冷蔵庫からものを出す音をさせながら言わないで欲しいものだ。
仕方なく、ゆっくり頭を上げた。
「……聞こえている。少し静かにしてくれ」
「あ、セナさん起きた~」
やっと絞り出した声は、たぶん掠れていた。
「音乃、眼鏡とってくれないか」
「メガネ~? はい、これ」
「あぁありが……って、何だこれは」
「ミワにぃに渡された眼鏡だよ~。セナさんにプレゼントしろって」
渡されたものを数秒かけてから、すぐに外す。
目を細めて見ると、太く丸いレンズに白ペンキが塗りたくってあり、油性マジックで渦巻きが描かれている。ハッキリ言って悪趣味だ。
「あっはは! よく似合ってるよ!」
桃月が腹を抱えて笑う。そんなに可笑しいか。
「……馬鹿馬鹿しい!」
ふざけたブツを置き、ぼやけた視界で眼鏡を探して、かける。ようやく鮮明になった視界で、時計を見た。
……七時……午後七時?
僕は十二時間以上寝ていたのか。
「ほら、起きたならさっさと行くよ」
桃月が面倒そうに踵を返し、歩き出す。
「行くって、何処に」
そう問うと、やたら嬉しそうに音乃が僕の腕を掴んだ。
「良いから良いから~。ほら、行っくよー」
桃月と音乃に連れてこられたのは、別に特別な場所でも何でもなく。
「ほらセナさん、開けて」
いつも僕らが集まる、ルナティックの部屋。
「何だ。新手のドッキリでも仕掛けているのか」
「良いから早く開けなよ。時間が勿体無い」
何なんだいったい。よく解らない困惑に包まれたまま、ドアを開けると、あらゆる香り、色彩が飛び込んできた。
「あ、セナさん。やっと起きたんですね」
香辛料系のにおい。クリームのような甘いにおい。
テーブルの上には、やたら大量の料理。
どれも綺麗に盛り付けられ……いや、よく見ると、皿によってクオリティが違う。焦げ付いて、盛り付けも歪なものもある。菓子の袋がそのまま置かれているだけの皿もある。
「何だ、調理実習か」
眉をひそめていると、愛想の良くカズサが笑った。
「珍しく晩御飯どきに揃えそうだったから、みんなで食べようって話になったんです。ミワ君が『ひとり一品用意しようぜ』って。私とアリスちゃんは二品用意したんですけど。セナさんも召し上がってください」
そう言って、箸と取り皿を渡された。
……なるほどな。それで、統一感の全くないメニューで、クオリティもバラバラなんだな。
「あ、ちなみに冷蔵庫に入っていたババロア、セナさんの作ったやつですよね? 勝手に並べてありますので、悪しからず」
事後報告で並べるあたり、強かな奴だと思う。
思わず口角が上がる。
ああ、そうか。僕は、嬉しいんだ。
こうやって大勢で馬鹿みたいに食事をするのも、悪くない。きっと今、このメンバーだから、そう思えるんだろう。
「セナさん、食べないの?」
そう聞いてくる、『普通』の高校生、時遼。
「悪かったね、料理できなくて! 良いじゃん死ぬわけじゃないんだから」
「ミワにぃは『用意しよう』って言っただけで、作れとは言ってなかったよ?」
「知らないよ! ずるいって! だからって買ってきたロロはずるいっ!」
「わかったわかった。桃月のやつ、俺が食べるから」
「良いよ別に。どうせおいしくないし」
子供じみた会話を繰り広げる、生意気なはぐれ女子中学生の桃月と、普段は虐げられている不憫な優しき男子中学生のロロティオ。
「アリスが作ったやつは、全部オレが食う」
「ミワ君、駄目ですよ。私もいただきますから」
「ミワ君、ヒメちゃん、そんなに急いで食べなくても……。追加で作るから、取り合いしないで」
過保護で勉強嫌いな男子高校生のミワネスに、優等生ぶった女子高校生のカズサ。幼いながらも侮れない小学生のアリエラス。
「あっれ~? リティちゃん、さっきからそればっかり食べてない~?」
「気のせいよ。……何、あたしの顔に何かついてる?」
「ううん。リティちゃんが笑ってるなぁって思っただけだよ」
「はぁ?」
「リティちゃん、いっつもムスッとしてるもん。リティちゃんが楽しそうだと、音乃も嬉しい」
「だ、誰が楽しそうなのよ」
やたらに明るい女子中学生の音乃に、無愛想な生徒会長のリリティア。
どいつもこいつも、手のかかる奴ばっかりだ。
だけど、僕は知っている。この場の全員が、決して「普通」には生きられないことを。 「普通」じゃないから、こうしてこの場所に集まっていることを。
「どうかした? セナさん、さっきから黙ってニヤニヤしてるけど」
時遼が怪訝そうにこちらを見ている。僕は、眼鏡の位置を直して、小さく咳払いをした。
「何でもない。ほら、冷めないうちに食べるぞ」
願わくば、この平穏が、長く続きますように。
そうして祈るようになるなんて、僕自身、かなり感化されているんだろう。
まぁ、それも悪くないかもしれない。
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