第7話 笑顔の彼方に⑥

【常磐時遼】

全身が溶けるかと思うほどの灼熱。視界は、赤いドロドロのマグマと、ゴツゴツした岩。

「ハル! 早くして!」

リティの鋭い声が聞こえる。言われなくても、解ってる。魔力を細く糸のようにして、組み上げ、包囲網を…………おかしい、どうして、上手く組めないんだ。

何かが引っかかったみたいに、思うように魔力が組み上がらない。今回の討伐対象は、やけにふてぶてしいサイみたいなアニムスが三体。マグマの上を、まるで地面を歩くかのように移動している。

そのうちの一体が明らかに俺の方に近付いてきている。

まずい。早くしないと。あの一体だけでも動きを止めないと。

慌てたところで、できる訳でもなく。

──ああ、やられる。

灰色の大きな角が赤く光って、目の前に迫る。

手も足も動かせなかった。こういう時、咄嗟に逃げることも出来ないものなんだな。

やけに数秒が長くて、でも何も出来なくて。

次の瞬間。

「どいて!」

桃月の声がして、同時に浮遊感がした。どうやら押し飛ばされたらしい。

飛ばされた先で腕を岩にぶつけた痛みに、思わず桃月を恨みそうになる。が、そんな気もすぐに引いた。自分がさっきまで居たあたりを見ると、数秒前に立っていた足場は、跡形も無くなっていた。

ひどく熱い場所だというのに、背筋が冷えた。

桃月はというと、鎖鎌を器用に壁の突起に引っ掛けて、体勢を立て直している。恐らく、あれを振ってあいつを牽制してくれたのだろう。

上手く立てずに居ると、ロロが風の刃で足場を平らにしてくれた。

「時遼さん、大丈夫? 調子悪いなら無理しないで」

姉のリティとは違い、気遣ってくれるロロ。その優しさが、今はむしろつらい。

ザ、っと強い音に視線を向けると、リティが不安定な岩場に大剣を突き立て、その上に立っていた。

何か考えごとをしているようだが、よくあの状況で頭を回せるな。

リティは顔を上げて、小さく頷いた。

「ロロは風であいつらの周りだけ気温を下げて。アリスと陽芽で動きを止める。桃月とハルは補助。一体ずつでもいいわ、あれでも、動きさえ止まれば……砕くだけよ!」

リティがよく通る声で叫ぶ。

頷く間も考える暇も無く、各々が言われた準備を始めた。

「姉さん、俺のこと扇風機とでも思ってる?」

「言ってないで早くしなよ」

苦笑しながらも槍を軸にぐるりとまわり、ロロが小さな竜巻を起こす。桃月がそれを鎖鎌で器用に奴らの近くに運ぶと、奴らの赤くなった角が徐々に元の色へ戻っていった。

続いて、ジャラ、と重い鎖の鳴る音がして、

「……うん、できる。『時計の針は午後六時。そろそろ涼しくなる時間』!」

銀時計を掲げながらアリスが詠う。

銀時計を中心に大きな陣が浮かぶと、水の精霊が現れ、あたりを舞い、冷たい雨を降らせる。

「ヒメちゃん!」

アリスが叫ぶと、カズサは凛とした笑みをうかべて、確かに頷いた。

鍵型のペンダントがチャリ、と少し乾いた音をたてて跳ねる。

「いきます」

大きくはないけど、力のある声。

片腕を振り上げ、緑色の石のついた「鍵」をいくつも出現させて、方々に放った。

鍵は散らばると停止して、

「舞え、風よ。大気をかき回して」

カズサの言葉を合図に、見えない扉を開けるような動きをして、空気に溶ける。

そして、場違いな涼やかな風が循環し始めた。

アリスの発生させた雨を、カズサが回してるんだ。

雨と風がマグマを冷やし、冷えたマグマが奴らに纏わりついていく。その光景を、ぼんやり眺めていた。

​───────何か、おかしい。一体、何が。

「ハル、サボってないで動きなよ」

桃月の呆れた声がして、俺は弾かれたように立った。そうだ。不調なりにも、出来る事をしなければ。少しでも、何か。

魔力を編んで、地中に巡らせる。奴らの進行方向に広げて、少しでも引っかかるように……。

「よし」

動きを鈍らせる術をかけることができた。

思わず安堵するが、でもやっぱり、なんとなく不調だ。

「いくわよ!」

リティの声に、俺たちは軌道に入らないように退く。

見ると、アニムス達は足場が冷え固まり、身動き出来なくなっていた。とはいえ、すごい勢いで動こうと抗っているので、長くは続かないだろう。

リティが俺の真横の地面を強く蹴り、高く跳ぶ。狙いを定め、

「はぁぁああっ!」

大剣で、三体を一刀両断した。

断末魔をあげるでもなく、奴らは輪郭を失っていき、それから、魔力の粒子となって消えていった。

軽やかにリティが着地すると、そこを中心に集合した。口々にリティを労う。

「時遼さん、大丈夫? やっぱり調子悪い?」

自身も疲れた表情をしつつも、ロロは心配そうに俺を見た。

「ああ、すまん」

生返事をしながら、俺はカズサから目が離せなかった。

理由はわからない。だけど、いつもと何かが違う、そんな気がした。

熱風に、柔らかそうな髪と鍵型のペンダントがせわしなく揺れている。

「時遼君? どうかしましたか」

視線に気付いたのか、カズサがこちらを見た。

……少し顔色が悪い? 気のせいか?

「いや、何でも。……ただ、なんとなく見てただけで」

当たり障り無く返したつもりが、どうやら逆効果だったらしく。

「へぇ? 任務中でもカズサに見惚れてるから、近頃ずうっと不調なワケだ?」

小馬鹿にしたように桃月が笑った。

いや、本当に違うんだが。この前、桃月と同行した時は、カズサは居なかっただろう。

反論すべきかと困っていると、アリスがふわふわの服と髪を揺らしながら、無垢な瞳を輝かせる。

「なるほど……。ハル君とヒメちゃんは、『りあじゅう』ってやつなんだね」

頼む、そこは納得するところじゃ無いから。

「時遼さん……。反応に困ってる……」

ロロは口ではそう言いながらも、明らかに目元が笑っていた。

──あぁもう、顔が熱い!

分かってはいたが、チーム内でそういう言われ方をすると、恥ずかしいやら何やらで反応に困ってしまう。

カズサはと言うと、肯定も否定も、何かを言うでもなく、穏やかに笑っている。

「……馬鹿みたい」

リティは少し輪から離れた場所で小声で呟き、帰路を開く。

何故か、それが異様に耳に残った。


【上総陽芽】

本部に戻ると、みんな他の用事があるから、と任務の完了報告を任された。

報告自体は構わないけれど、受付の沙友さんとは、あまり話したくない。

「常磐時遼、白夜桃月、リリティア・フィオーレ、ロロティオ・フィオーレ、上総陽芽、アリエラス・キャンベル。以上六名、帰還しました」

感情を抑え過ぎないように笑顔を作って、沙友さんに話しかける。

私は正直、この人が少し苦手だ。

「お疲れ様。相変わらず真面目な報告」

端末を手早く操作しながら、沙友さんは言葉を続ける。彼女は情報処理について、組織内でも指折りの実力だと聞いている。だったら何故、研究室の配属ではなく、この席に居るのだろう。

彼女の直属の上司は司令官にあたると聞いた。つまり、組織図上では私たちと似た位置になるらしい。

組織内の大半の決定権を持っているであろう司令官の考えることは、私には到底分かりそうもない。分かりたいとも思わないけれど。

「ルナティックが六人も出動したにしては、苦労したみたいね」

どうしたの、と沙友さんは返してくる。

元々はルナティックであれば五人想定とされた難度のところを六人で行ったのだ。ごもっともの指摘。

別に、指摘に悪意がある訳じゃないことは知っている。

「貴方たちが行った近辺の地脈が乱れているわね。後始末が悪い。皆、疲れでも溜まっていたのかしら。地脈の乱れなら、常磐の兄が主要因?」

こうやって手厳しいのが苦手な原因なんじゃない。むしろ、甘やかされるよりは少し厳しいぐらいが、私としてはやりやすい。

でも。

「それとも、貴方が原因かしら?」

ほら、来た。

そうやって、じわじわ痛いところをえぐってくるから苦手なんだ。

沙友さんは、兄さんの恋人だから。兄さんが愛するような人だから。悪い人じゃないのは理解している。

冷静で、情報処理能力が高く、それでいて個々のこともよく見ている。誰とでもコミュニケーションも取れる。魅力的なのは、私の目でも判ることだ。

だけど。二人きりで話すとなると、心の奥を探られてるみたいで、苦手だった。

「さあ、どうでしょうか。私に聞かなくても、どうせ解ってるんでしょう」

今の私、絶対に嫌な笑い方をしてる。自分で、それがわかる。

わかるから、余計に笑顔を偽れなくなる。沙友さんは、モニターから顔を上げると、とても綺麗な笑顔を私に向けた。

「ええ、解っているわ。朝人があれだけ苦しんでるんだもの。朝人が目を背けたくなるような事実。彼が目を背けるなら、私が代わりに直視すればいい」

悲しく強く美しい笑顔。献身的で理想的な恋人ね。

良かったね、兄さん。

「陽芽」

やけに重々しく、沙友さんは私の名を呼んだ。

全身が、呪いにでもかけられたようだ。返事すら、口から出ない。

「解っているんでしょう。貴方、これ以上魔力を使ったら……」

さぁ、その先を何て言い表すの、才女さん。端的に言うの? それとも、才女らしく回りくどい言い方をするのかしら。

​───────あぁ、私、嫌な子だ。

何を言っても無駄な気がして、ひたすら無言を貫く。

「……良くて、あと任務二回よ。わかってる? 頭では解っていても、分かりたくないのかしら」

ええ、そうよ。解ってる。だけど……認めたくない。

ぐるぐると回る、全身の何か。どろどろして、何色かも分からなくて、けれど冷たい、それ。

その中から、やっとのことで、声を絞り出す。

「……話は以上ですか。失礼します」

いい加減、耐えられなかった。私は大袈裟に、沙友さんに背をむけた。ペンダントが、チャリっ、と音をたてて跳ねた。

「貴方の妹は強情ね、朝人」

沙友さんの独り言は、聞こえなかったことにした。

受付から離れた物陰で、ゆっくり息を吐いて、壁にもたれ掛かる。どっと、重く疲労がのしかかってきた。

右手を左腕にかざして、自分でかけていた幻覚魔法を解除する。

あらわになった左腕を見た。もはや人体とは言えない、翡翠のような結晶。やっぱり、左腕は、動かない。もう、痛みすら無かった。

「やはり幻覚魔法をかけていたんだな」

突然、声がした。見ると、久しく会っていないチームメイト……最年長であるセナさんが、そこに居た。

「セナさん……」

嘘、いつから見ていたの?

やはり、って……知っていたの?

「僕はこれでも研究室の副室長だ。お前の兄の上司でもあるんだ」

ふ、と少し呆れたように口元を緩める。すぐに引き結んで、言葉を続けた。

「お前なりのプライドもあるだろう。だから、僕は何も言わない。好きにすれば良い。だが、これだけは言っておく」

セナさんは人差し指で、わざとらしく眼鏡をあげて、レンズの奥の瞳を鋭くした。

「今のルナティックは、九人のチームだ。纏まって動くことはごく稀だが、九人であることに変わりは無い。それぐらい、解っているな」

そう言って、こちらの返事も聞かずに、白衣を翻して去っていった。

それぐらい、解ってる。解ってるから、皆に知られたくないの。

左腕と同じように結晶化しつつある左脚を少し引きずりながら、幻覚魔法をかけ直し、私はルナティックの部屋へ向かった。なるべく自然な、笑顔をつくって。


【常磐時遼】

大掛かりな任務の翌日。

授業終わりに寮の部屋に向かいながら、大きく欠伸をした。

流石に眠い。授業中何度も居眠りしそうになって、教師にあてられ、変な恥をかいた。

昨日あんなにボロボロになったところなんだ、今日くらいはルナティックを休んでも許されやしないだろうか。

──と思いつつ、気がついたらチームの部屋の前まで着いていた。

習慣とは怖いものだ。

部屋に誰もいなければ、仮眠をとろう。そうしよう、と思いながら中に入る。

中には、セナさんとミワにぃが居た。

会話をするイメージの無い二人だが、珍しくミワにぃが学校の課題をしているみたいで、セナさんが書類片手にちらちら様子を伺っている。

「あっ、ハル」

顔を上げたミワにぃは、すこし嬉しそうだ。

少しだけ同情した。セナさんと部屋で二人きりなど、俺も出来れば避けたい。

「珍しいね、課題なんて」

どうしたの、と聞くと、ミワにぃはまあ座れよと隣の席(アリスが座っていることが多い)を引いた。促されるまま座り、とりあえず話を聞くことにする。

「普段課題を見せてくれる奴が、熱を出して休んでて」

「あー、それは」

困るね、と同意しそうになり、視線の端でセナさんの顔色を見て、とりあえず苦笑いしておいた。

セナさんは、何も悪い人ではないのだ。

少し気難しくて、真面目で、頭のいい人で。

任務が一緒になると、中心となってくれるので、とても頼りになる。

ただ、自分にも他人にも厳しい。そこが難点で。

「教えてくれよハル」

「そう言われても……」

ちらりと様子を見るが、まあ分かるはずもない。

ミワにぃは学年で言うと一つ上だし、同学年だったとしても、俺は人に教えられるほどの学力は無い。むしろ教わる側だ。

せめて勉強が得意そうなカズサかリティに聞いて欲しい。どちらも今この場に居ないけど。

「こんなのも分からないのか、ミワネス」

どうしたものかと思っていると、セナさんがテキストを手に取っていた。

「なんだよ、悪いか」

ミワにぃを一瞥してから、セナさんはふっ、と鼻で笑い、テキストを元の位置に戻した。

「隣のページに書いてある公式の二つ目を、そのまま展開するだけだ」

「は?」

「後は自力で解け」

それだけ言うと、広げていた書類を抱えて、部屋から出ていった。

「……何しに来てたんだよ、あいつ」

ミワにぃが苛立ったように溜息をつく。

そんな気はしていたけど、やはり相性が悪いようだ。

「まあまあ、ほら、隣の二つ目の公式って……」

それとなく宥めようとするが、ミワにぃは苛立ったまま、バッグからペットボトルを出し、中身を一気に流し込んだ。

捲った袖から見える傷跡や、首から鎖骨にかけての何かが巻きついていたような跡。

今まで気が付かなかったそれらに目がいって、ドキリとした。

「ここの大人は、どいつもこいつも……。どうして、腹の立つ奴ばかりなんだ」

空になったペットボトルをくしゃりと握り潰して、ミワにぃは肩を震わせた。

赤い瞳が燃えているように見えて、またしても少し怖くなった。

ああ、俺は。いや、俺たちは。

お互いのことを、何も知らないんじゃないか。

言い返したいことは山ほどあったのに、何も言えなくて、その場に立ち尽くした。

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