第6話 笑顔の彼方に⑤
【上総陽芽】
「お疲れ様」
検査箱から出た私に言ってすぐ、兄さんはモニターに向かい、険しい顔をした。
そんな顔、滅多にしないのに。
やっぱりなぁ。やっぱり、良くないんだ。
分かっていたけれど、実感が無かった。
「陽芽、検査の結果だけど……」
兄さんは、他人には敬語だけど、私と話す時は普通にくだけた口調で話す。本人曰わく「家族に敬語ってのもおかしいだろ」。
でも私は、物心着いてから学園に入るまでの間、微妙に遠い親戚……母親の従姉妹、だったかな……に育てられたから、いつ誰にでも敬語を使うようになってしまった。
その頃には兄さんは寮に住んでいたから、一緒に暮らしていた記憶は無い。
「大体は言われなくても解ってますよ。……自分の身体ですから、明らかな不調ぐらい判ります」
努めて笑顔でそう言う。兄さんは、普段見せないような、とても悲しげな顔をした。
私が兄さんにしてあげられることと言えば、
「兄さんの所為じゃないんですから、そんな顔をしないでください」
そうやって、その場しのぎで笑うだけだった。
私が今こんなことになっているのは、誰の所為でもない。
生まれつき身体は弱いくせに、魔力は強かったからだ。
だから悪いのは、強いて言うなら、私をそんな風につくった神様だ。
もっとも、私は神様の存在なんて信じていないけれど。
「兄さん。このこと、皆には黙っててくださいね」
痛む左腕を、もはや人体とは思えない石のようになった腕をおさえながらそう言うと、兄さんはただ俯いた。
機械音と電子音だけが、物々しい研究室に響いている。
ああ、困ったな、なんて。
他人ごとみたいに、溜息をついてみた。
【常磐時遼】
「判りません。身体は至って正常で、魔力の波形も正常なのに、周期だけが不安定です。こんなの、僕が知る限りは初めてです」
俺が検査箱から出ると、カズサのお兄さん……アサさんは、眉をしかめながら苦々しく言った。「困っている」というよりは「わからないという事態が不快だ」とでも言った方が正しそうな表情。
温和な性格とはいえ、アサさんも優秀な研究員。それなりのプライドとやらはあるんだろう。
そういうところ、カズサと兄妹だよな、と感じる。
「何か、精神的に不安定になるような出来事とかありませんでしたか? 精神的なものかもしれません」
桃月に散々馬鹿にされたあの日から、一週間以上が経っている。その間、ずっと不調は続いてて、むしろ悪化しつつある。
どちらかと言うと大雑把な性格と自認しているが、さすがに心配になって、アサさんに検査して貰っている。
タオルで検査液を拭いながら、俺は思考をぐるぐると巡らせた。
精神が不安定になるようなこと、か。
不調が続いてて、正直不安ではある。でもそれじゃあ原因と結果が入れ替わってる。一週間以上前に、不調になる前に、何か……。何も思い当たらない。
「いや別に。……アサさん、近頃ルナティック全員での身体検査の回数が増えてることと、何も関係無いんですか。俺と音乃とカズサだけ再検査もしたし、昨日ひとりで研究室に入っていくカズサを見たんですけど……カズサひとりだけで、検査でもしてたんですか」
とても無関係とは思えない。
俺の言葉に、アサさんは表情を消して黙り込んだ。時計の秒針の音や機械音、電子音に耳を澄ませているようにも見えた。まるで、俺なんか居ないかのように。
出会って五年以上経つが、こんな「他人みたいな」アサさんは、初めてだった。
「僕にもわからないんです。……実を言うと近頃、ルナティック九人全員の魔力波が少し乱れています。中でも顕著なのが、音乃ちゃん、時遼君、そして陽芽」
そう言ったアサさんの目は、何処を見ているのか判らなかった。俺を見ていないのは確かだ。
普段はあまり気にならない室内の機械音が耳に障る。電子音が耳に刺さる。時計の秒針の音が、ひどく不快に感じた。
「三人の中でも音乃ちゃんはかなりマシですが。原因は判っていません。どうしてその三人なのか」
淡々と言いながら、俺と目を合わせずにあれこれ片付け始める。
筆記用具とかをカバンにしまい、パソコンや機械類の電源を落とす。
「すみません時遼君。僕はこれから室長たちと会議を控えています」
室長と言うと、研究室の室長さんのことだろう。
アサさんの口調は、いつもより明らかに硬い。
「お引き取り願えますか」
明らかな拒絶が、その声には乗っている。
借りていたタオルを返し、急いで検査着から制服に着替える。ズボンを履き替え、Tシャツの上にシャツを羽織り、腕時計をつけ、カーディガンとネクタイを掴んで、「ありがとうございました」と早口で言い、研究室を後にした。
あの人のことを怖いと思ったのは、たぶんこれが初めてだ。
安心したくて検査に行ったのに、どうしてこんな……いいや、考えるのはやめた方が良いな。
「時遼君。検査、終わったんですか」
研究室を出てロビーへ出ると、地図の映る大モニターの前に、カズサが佇んでいた。
今日は制服なんだな、と思ってから、平日の夕方だから当然だろう、と思い直す。自分も制服を着用しているのに。
合い服の制服姿を見たのは久々だ。秋冬の深い青とは違う、爽やかな青のセーラー服に、ベージュのカーディガン。どこの学校も衣替えの時期か。
俺の在籍する学校は、個人に一任されていて、衣替えの概念が無い。そういえば最近は、ブレザーのジャケットを着てる奴は少ない気がする。
「ああ。カズサ、一人か。他の連中はどうしたんだ?」
聞いてはみたものの、俺たちルナティックの九人が揃って行動することは稀で、単独行動は珍しくない。仲が悪いわけでは無い……と思いたいが、どうだろう。
「のーちゃんとアリスちゃんは、一緒にブラウニーを焼くって買い出しに行きました。ロロ君とミワ君は任務に行って、セナさんは……今日は会ってないので、研究室か学校でしょう。桃ちゃんも会ってないですが、どこかで発散しているんじゃないでしょうか」
スラスラと答えるあたり、周りをよく見ているカズサらしい。……あれ?
「リティは?」
尋ねると、カズサは一瞬眉をしかめた。
「生徒会の仕事です。学校に居ますよ」
話す中身は普通だが、口調が少し荒い気がする。カズサにしては珍しい。
「どうした? 何かあったのか」
思わず俺は、そう尋ねた。
するとカズサは、俺の目をじぃっと覗き込んだ後、柔らかく、意味深に微笑んだ。
「時遼君。立ち話も何ですし、お茶しませんか」
たまには店で、ということで、俺とカズサは本部の上空にあるカフェに来た。
雲の上にあるカフェ。原理はよく解らないけれど、雲に魔力を加えて、人が乗っても大丈夫なようにしたとか何とか。
眺めは最高だし、空気も良い。何より、値段設定が学生に優しい。
「それで? 何かあったのか」
それぞれ注文した飲み物が来ると、改めて尋ねた。
カズサとこうして二人での外出は、よく考えたら初めてだ。任務で二人になることも無い。
カズサは黙り込んで、こちらを真っ直ぐ見た。
翡翠みたいな目が、俺を、見ている。
かち、かち。腕時計の秒針の音が、 やけに鮮明に聞こえる。
かちゃり。風が、カズサの胸元のペンダント揺らし、かちゃりと堅い音を鳴らす。
すぅ。カズサが、息をゆっくりと吸う音。
その次に聞いた音の意味を理解するのに、俺は、かなりの時間を費やさなければならなかった。
「時遼君。私と、お付き合いしてくれませんか?」
何のことか、わからなかった。
付き合う? 何に? 仕事か?
いや、カズサ、そんなに困ったように、何を……言ってるんだ?
「付き合…う……え?」
頭の中がこんがらがって、上手く言葉にならない。
いや、解ってるんだが、分からない。どういうことだ?
目の前の、ひとつ年上の美少女は、何を言ってるんだ?
茶化すように笑って、カズサは続ける。
「私と、恋人として、お付き合いしてください、時遼君」
丁寧に言葉を区切るカズサ。やわらかそうな髪が、風に穏やかに舞う。胸元のペンダントが、カチャカチャと小刻みに揺れる。
「え、あ、えっと……」
カズサの顔が赤らんで見えるのは、まだ高い陽の所為か。
断る理由なんか無いはずだ。相手は進学校の副会長様。しかも美人。
いや……そんなんじゃない。カズサはカズサだ。俺の知る上総陽芽は、そんな安易でちゃちな言葉で形容できるような奴じゃない。
もっと面倒で、複雑で……そう、こいつと何だかんだでずっと一緒な、高飛車な生徒会長にも遅れをとらないほど、厄介な、美人様。
「えっと……お願い、します」
たどたどしいなぁ、俺。最高に最低で格好悪い。
顔が燃えそうなのを無理やり堪えながら、カズサを、まっすぐ見た。
「はい。ありがとう」
そう言ったカズサの笑顔は、最高に綺麗だった。
時が止まれば良いのに。
そんな事を考えながら、傾く陽と、俺の恋人になった人物を、見つめていた。
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