第5話 カゲに咲く花【番外編】
ロロティオ・フィオーレは、姉のリリティアが苦手だ。
「所詮、ロロはその程度なのね」
そう言って、いつも自分を笑うから。自分なりに精一杯生きてるのに。
周りに「顔だけは似てるのにね」って言われるたびに、劣等感に苦しんだ。
そもそも、どうして姉と比べられなければならないのか。
好きで「見るからに姉弟」と判る顔に生まれた訳でも無いのに。
好きでフィオーレの家に生を受けた訳でもないのに。
「……ーい。ロロ? ロロってば」
なんとなく、甘酸っぱい、果物のような香りがする。誰かが自分を呼んでいるのだろうか?
「……ん?」
全身の重だるい感覚が、意識を現実に引き戻す。
ブランケットを押しのけ、ロロティオは反射的に上体を起こして見回した。
無機質で無彩色な壁や床、機能性を重視された家具。
洗練された雰囲気でありながらも、節々に生活感……と言うよりも、個々人が私物で散らかしている形跡……のある部屋。ロロティオの所属するチーム、「ルナティック」の部屋の、ソファの上だった。
どうしてこんなとこで寝ていたのだろう。
首を傾げて、ぼんやりとした頭で考える。
「あ、生きてた」
そう言って、ショートカットの少女……桃月が、クスクスと笑う。
どうして彼女がここに居るのだろう。何を笑っているのか。思わず目をぱちぱちとした。
自分の任務を待つ間に、部屋で学校の課題をしようとして、それで……?
「ロロ、何回呼んでも起きないから、過労死でもしたのかと思ったよ」
冷蔵庫からペットボトルの飲み物を出して、投げてくる。反射的に右手でキャッチ……しようとして失敗、
「ちょっ、待……よっ、と……投げるなよ、もう」
なんとか左手におさめて、ふぅ、と息をつく。呆れ半分にペットボトルを開封すると、
「うわっ! ちょっ、何やってんだよ!」
勢いよく噴き出した液体が、顔面と服を派手に濡らした。
甘ったるい香料、べたべたの甘味料、濃い着色料のフルコンボが、制服の白いシャツに吸い込まれていく。
「あははは、傑作! さすがロロだね。投げたし、あれだけペットボトルで遊んでたもんね、そりゃ泡立つさ」
桃月は声を上げ、腹を抱えて笑う。よく通る声が部屋に響いて、なんとも滑稽な光景だ。
「何だよ、もう……」
ロロティオは慌ててカバンからタオルを出して拭うが、シミになってしまいそうだ。まだ週の半ばだと言うのに、洗濯物を増やしたくない。
一通り騒いでから、べたべたの白いシャツを脱ぎ、Tシャツの上にカーディガンを羽織るという微妙な格好になってから、ロロティオは改めて椅子に座った。
座ってから、カーディガンもべたべただと気がついて、結局Tシャツ一枚になった。
溜息をつくことすら面倒に思いながら、ゆっくり息を吐いて、桃月に尋ねる。
「そういえば他の皆は?」
自分と桃月しか居ない状況は珍しい。いや、今までこんなことあっただろうか?
そう考えると、何故か微妙に緊張した。
桃月、今日の私服は珍しくスカートなのか。脚をぱたぱたとさせる度に揺れる裾が危うくて、視線に困ってから、自分は何を確認しているのかとぐるぐる思案した。
「よく寝たね。十五時間も寝てたよ」
机に腰掛けて、桃月は返事になってない返事をする。………十五時間?
「え、……いま何時?」
そもそも、どうしてここで寝てた?
いったい、いつから?
今は何時?
焦りと諦めと困惑が混ざって、目の前がぐるぐるした。
「火曜日の午前十時過ぎだよ。真面目な学生たちと先生は学校で授業中」
桃月は、机上のデジタル時計をロロティオの方に向けた。
「誰も起こしてくれなかったのか……」
そんな慈悲のあるチームじゃないのは百も千も承知だったが。
「カズサさんとか時遼さんあたりが起こしてくれ………ないか。二人とも、他の人が面白がって放置決めこんだら、悪乗りするし…………」
頭を抱えていると、桃月は呆れたように笑って、ロロティオを見た。
「覚えてないの? 昨日の晩九時ぐらいに、任務終わってこの部屋に戻るなり『仮眠とる』って自分で寝たんじゃん」
そう言われると、そうだった気がする。あまり回らない頭で、昨晩のことを思い返した。
「昨日、桃月と時遼さんと音ちゃんと、四人で出て…………散々な目にあったんだ」
「そうそう。ロロとハルがドジするから」
他の人たちからの救難を受けて、慌てて駆けつけたのだ。
クタクタでこの部屋に帰ってきたのは夜九時前。学園の寮まで戻る気力も無く、仮眠をとってから帰ろうと思って、二時間後に目覚ましを……と、そこまで考えて、ロロティオは眉を寄せた。
「二時間後に鳴るよう、目覚ましかけたはずだけど」
目覚ましをかけていたら、自分が寝過ごすなんて有り得ない。ましてや仮眠のつもりだったのだから。予想通り、桃月は目を細めて、にやりと口角をあげた。
「いやぁ、あまりに安らかな顔で寝てるから、起こすのも無粋かなーって思ってね」
絶対違う。面白がっているだけだ。白夜桃月はそういう奴だから。
「これでも夜中に一回起こしたんだよ? 寝過ごしたら可哀想だったから」
わざとらしく、さも残念そうに言う。
「なんだよ、もう……」
芝居めいた仕草で足をばたばたさせるものだから、ついそちらに視線がいってしまう。スカートの中身が見え……ない。実はその手の魔法でも使ってるのか?……何だよ「その手の魔法」って。と、思わず自分自身に突っ込む。
溜息をついたり、頭を抱えたり、怒ったり、そんなロロティオの表情を見ながら、桃月は続ける。
「そしたらロロが『何時?』って聞くから、正直に『草木も眠る丑三つ時だからまだ朝じゃないよ』って答えたんだ。そしたら『じゃあおやすみ』ってまた寝始めたのは君だよ? ボクは悪くないね」
嫌な笑顔を浮かべ、スカートを揺らして机から降りた。そして、今度はひどく嬉しそうに笑った。
「いやー、でも何か新鮮だね。平日の日中に、ボク以外の誰かがこの部屋に居るって」
その言葉に、ロロティオは今更な事実を改めて認識した。
桃月は、学校に通っていないのだ。年齢上は、中学三年生のはずだが。
理由は知らない。聞いたことがないし、そういえば聞こうと思ったこともない。
学校に行かず、この部屋の隣にある部屋を自室にして、生活してると聞いたことがある。
同じチームになって数年が経過するが、そういえば自分たちは、互いのことをあまり知らない。
チームとはいえ、自分たちが纏まって行動することはごく少ない。
自分たち「ルナティック」の仕事は、他のエレス達のサポートや救助、司令部からの直接の任務が主。必要になった時に手が空いている人があたる。
全員が揃うのは、定期的な会議やバイタルチェックの時くらいだろう。
各々が高い能力や特殊な能力を有しているメンバーなので、一目置かれている、はずである。
「ねぇロロ。学校って楽しいの? 話をきいてる感じ、そうは思えないんだけど」
今日はいつもより、心なしか桃月が可愛いと思った。理由はわからなかった。
普段の私服と、雰囲気が違うからだろうか。机に座ったり、他人に炭酸を投げて爆笑したりしてるような人物が、私服の雰囲気だけで、こうも変わるものか。ロロティオは首を傾げる。
「人それぞれなんじゃない? 俺はあんまり楽しいとは思わないけど」
あれこれ考えつつ、正直かつ適当に答えた。
どうもさっきから、ミニスカートとニーハイソックスの間から覗く、白い肌に目がいく。
不本意だ。意図している訳では無いし、決してやましさなど無いのに。……無い、はず、なのに。
「ふぅん」
あまり興味が無さそうに、桃月は頷いた。
ふらふらとキッチンへ行き、冷蔵庫に上半身を突っ込んで漁り始める。
「アリス、マカロン作り置きしてないのかなぁ。あの眼鏡がシフォンケーキぐらい焼いてたりして」
そう大きくない冷蔵庫。探して何かが見つかるような場所じゃないのにな、と思いながら、桃月の様子をぼんやり眺めた。
「ちぇっ、つまんない」
不機嫌そうに頬を膨らませて、冷蔵庫から顔を出す。何もなかったのだろう。
誰が置いたのかもよく分からない冷蔵庫は、時折、誰かが気まぐれに作ったものが置いてあったり、極稀によそからの差し入れがあるくらいだ。
基本的には、各々が自分の飲み物なんかの保管に使っている。
スイーツは諦めたのか、紙パック入りの紅茶……さくらんぼのイラストが描かれているので、チェリーティーだろうか、いかにも甘そうだ……を取り出し、ストローを差して飲み始めた。
「あのさぁ」
どうでも良い話だけど、と前置きをつけて、桃月は呟くように言う。
「ロロって、ハルと良い勝負なぐらい『ルナティックっぽくない』よね」
何を言い出すかと思えば、またその話か。
ロロティオは天井を仰ぎ見て、軽く溜息をついた。
よく姉のリリティアに言われるのだ。「あんたはルナティックとしてのプライドすら無いわけ?」「それでもあたしの弟?」と。
「なんだよ、何か悪いのか」
わざとらしいぐらい不機嫌に返してみる。すると、桃月はクスっと笑った。いつものようなバカにしたような笑い方ではなく、軽く。
「いや。むしろ羨ましいなって」
少し切なげな、どこか泣きそうにも見える笑顔。
ドクン、と心臓がやたらと速く激しく動いて、頬がじわりじわりとあつくなる。
今日の自分は何かおかしいのではないか。いや、それは向こうもではないのか、と思いながら、ロロティオは返す言葉を探す。
「う、羨ましい?」
とりあえず何とか会話を繋げる。
たぶん、もっとよく考えて返事をするべきなのだろうけれど、思考は見当違いな方向にばかりカラカラ回る。
「だって、他の連中に紛れて仕事しても、ちょっとしか目立たないって、最高じゃん」
普段の彼女であれば、侮辱だと感じて、不快に感じたのだろう。だけど、何故かそう思わなかった。
自分にとっては、そのことは結構屈辱なんだけど、と口から出そうとしても、形にならなかった。
パクパクと口を動かすが、口の中がカサカサで声が発せない。
「終わった後『お疲れ様~』って、一緒に達成感を味わえるんでしょ?『ありがとう、また機会があったら』って、笑顔で別れるんでしょ?羨ましいよ」
「そうでも、ない、けどね」
やっと出た言葉は、自分で腹が立つぐらいたどたどしいものだった。ようやく酸素が循環し始めた脳で、落ち着いて言葉の続きを探す。
「皆みたいに、俺だって一般エレスから敬われたい。もっと……認められたいよ」
ルナティックの主な仕事は、一般エレスだけでは困難な任務のサポートだ。ロロティオは、ルナティックの中でも印象が薄いらしく、褒められたり敬われたりした記憶がほとんど無い。いつも敬われるのは、自分じゃなくて、他の皆だ。そして姉は言う。『もっとルナティックとして、しっかりしなさい。フィオーレ家の人間でしょ』と。
「ボクは嫌だけどな」
桃月はキッパリ言う。声色があまりにはっきりとしていて、ロロティオはその表情を見た。声とは違って、どこか不安そうに見えた。
「皆、『すごいね』とか言いながら、『自分とは違う生き物』を見るような目で見るんだよ。カズサやリティ、ミワ、アリス、音乃なんかは上手くやってるけど。上手くコミュニケーションとって。あの眼鏡はメインの仕事、研究員だから、なんか違うじゃん」
名前が出なかったのは、自分、時遼、そして桃月本人。その三人であることを頭の中で考えつつ、改めて桃月を見た。
寂しげな顔で、桃月は続ける。
「ハルは……あれだ、日曜日夜のラジオ。あれがあるから、皆から『ラジオの人』って認識が強いみたいだよね。それ以外のみんなはさ、ちゃんと一般エレスと話すじゃん。学校でも、マナクレセンツでも。ハルもちゃんと一般エレスと話してるだろうし。ロロだってそう。学校では普通に友達として接してるんでしょ?ハルとロロは、『一般エレスに近いルナティック』だよね。音乃も、かな」
だけど、と桃月は言葉を切る。その一瞬の静寂が、ひどく重い。ロロティオが次に聞いた桃月の声は、堅かった。
「ボクは、違う。ずっとひとりで過ごしてるから。そもそも話す気自体あんまり無いけどね。自分を人外扱いするような人間と話す気なんて、無いんだ」
そう言うけれど、話す気が無いんじゃないだろう。きっと桃月は、話し方が解らないんだ。ずっと……孤高に生きてるから。
嘲笑みたいな表情になり、桃月は続ける。
「マナクレセンツではそんなだし、家でもボクは『二番目』だから。白夜家は、第一子が優秀なら、あとは必要無いんだよ」
桃月の双子の姉……白夜桜月。
ロロティオは、彼女をよく知っている。同じ学園の、同期だからだ。
白夜桜月はずっと学年委員長を務めているので、当然名前は知っている。今年に至っては同じクラスだ。桃月は紅茶を飲み干し、グシャッと紙パックを握りつぶした。
「あぁでも、家での扱いは君も大して変わんないか」
屈託の無い笑顔。無邪気な悪意。そんな顔で、ロロティオを見た。何かに刺されたように、その視線が痛い。だけど、苦痛だとは思わない。不思議な感覚だった。
「君も、『二番目の子』だもんね。姉は優秀だし」
嬉しそうに笑う。
そこで、ロロティオは気が付いた。
そうか、自分と桃月は、立場が似てるんだ。
だから、なんとなく話しやすいのか?
話していて、心地良いのか?
桃月はぺたんこになった紙パックを投げた。スコンっと小気味良い音を立てて、ゴミ箱に吸い込まれた。
「二番目、って点だけ見たら音乃もなんだろうけど。常磐家は、そこまで血脈意識はガチガチじゃないし」
軽い身のこなしで、桃月は再び机に腰掛けた。やっぱり今日の桃月は……いつもより、「被ってるもの」が無いように思える。
「あのさ。あいつ、元気してる?」
言いにくそうに、少し顔を赤らめて、でも切なげに、桃月は言った。あいつ……白夜桜月のことだろう。ロロティオと彼女が知り合いということを、桃月は知っている。
「まぁ、元気そうだよ。委員長様だし」
そっか、と笑い、黙り込んだ。脚をぶらぶらさせながら、彼女は何を考えているのだろう。白夜桜月の事だろうか。それとも、自分自身の事だろうか。
「何か伝言とかあるなら伝えるけど」
なんとなく空気に堪えきれなくなり、ロロティオは軽い気持ちで口にした。
す ると桃月は、えらく難しい顔で何やら考え始めた。
桃月の真剣に悩んでる顔なんて、珍しい。こうやって見てたら、同じクラスの、エレスですらない普通の女子と、何も変わらないように思えた。
どうして、ただ双子の姉に何か言うだけで、こんなに考えなきゃいけないんだろう。なんか、可哀想だ。
じゃあ、と桃月は顔をあげた。
「とりあえずボクは元気だってことと……」
そこで、いったんうつむく。そして。
「……それだけでいいや。ロロに頼むのも変だもんね」
照れたような、けれど柔らかい笑顔で、そう言った。
翌日。授業間の休憩時間。
「あの、白夜……さん」
開け放たれた窓から風が吹き込んで、薄緑のカーテンを揺らす。
ロロティオは、小さく息を吸って、白夜桜月の席に近寄った。
単なるクラスメートというだけで、別に親しくもなんともないから、少々気まずい。
仲が悪いというわけでは無いが、そもそも接点が無い。
「あらロロティオ君。どうかなさいましたか」
とても双子とは思えないほどかけ離れた、丁寧な口調。でも、容姿は、対照的な髪型以外は似ている。
黒い髪。大樹を思わせる焦げ茶色の瞳。
背丈は小柄めではあるが、華奢という訳ではない。
「えっと。桃月は元気にやってるよ。それと……」
何か言おうとした。だけど、他の伝言を預かっていないのに、勝手に自分が付け足すのも不自然だ。
クラスメートからの突然の報告に、桜月は目を丸くした。彼が困ったように言葉の続きを探しているのも、何とも不思議な光景だ。
桜月は何度か瞬きをしてから、ふわりと微笑んだ。
「わかりました、ありがとうございます。まったく、人に頼むなんて……いや、これ以上は直接言った方が良いですね」
カーテンを揺らした陽が、桜月を照らす。
その笑顔は、桃月のそれと、とてもよく似ていた。
顔立ちが似ていることは日頃から思ってたが、こうして見ると、他人の空似では無いことを実感する。
ああ、目の前の彼女と、自分のよく知る家出少女は、同じ血が流れているんだ。
ただ、
「……そうしてくれると助かるよ」
咲く場所が違う花だと、明確に感じて、ロロティオは何かを誤魔化すように苦笑した。
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