第4話 笑顔の彼方に④
深夜の研究室。
人の気配は無く、機械音だけが響いている。
設備に囲まれたスペースに、モニターを見つめる二つの人影があった。
「……やっぱり、か」
その片方である青年は、頭を抱え、溜息をつく。
モニターにうつるのは、込み入ったグラフや数字の羅列。青年は、携帯を取り出し、連絡用アプリを開く。数秒画面を見た後、再び深々と溜息をつき、何もせずにポケットに戻した。
「ごめんな、陽芽」
青年……上総朝人は、この場に居ない妹に謝罪した。
「朝人。あまり思いつめないようにね」
もう片方である女性……寛和沙友は、そんな恋人を見て、ひどく胸を痛めるだけだった。
自分まで落ち込んだって、現状が良くなる訳ではない。
そう、理解しているから。
【常磐時遼】
検査から一週間ほど後。部活の用事も無い日曜、俺は朝からマナクレセンツに行くことにした。
「おはよう」
挨拶しながらルナティックの部屋へ入ると、来ていたのは、カズサとリティの二人だった。
「おはようございます、時遼君」
そう挨拶を返してくれたのは、カズサ。ハタキを片手に、部屋の掃除をしていた。今日は私服か(休日だから当たり前か)。
ふわふわしたシンプルなワンピースと、丈の短い上着。それに、いつものペンダント。
「ああ、ハル」
こちらを無愛想に一瞥し、眼鏡を直して勉強に戻るのは、リティ。こちらも私服だ。
黒いブラウスに白いスカート。それに、普段はあまり掛けていない黒縁の眼鏡。……勉強なら、この部屋じゃなくて寮の自室の方が集中できるんじゃないのか。
「また勉強か、リティ。今日は何だ、数学か」
リティは、仕事が無くて待機している時は、大概勉強してる。ルームメイトのカズサいわく、寮でもずっと、らしい。
「うるさい黙って話しかけないで」
容赦ない三段活用。
……たまには普通に話してくれたって良いのに。チーム内で唯一の同い年なんだし。
斜め後ろからノートを覗き込むと、恐らく物理の数式のようなものが見えた。
そういえば、リティやカズサの在籍するトネリコ学院は、勉強に力入れている、いわゆる進学校だったか。
高等部に上がる段階で、文系理系が分かれるとか何とか。リティは理系で、カズサは文系だった気がする。イメージ通りだよな。
「はいはい。まあ、せいぜい頑張れよ」
適当に応援して、自席に座り、カズサが淹れてくれたお茶をすする。
「そういえば時遼君。今日は、のーちゃんは一緒じゃないんですか?」
カズサは本棚を整理しながら俺に問う。
音乃と俺は、部活が同じということもあり、曜日を問わず二人一緒にここへ来ることが多いからだろう。
「音乃は今日は、部活行ってる」
「そうなんですか。時遼君、また部活サボりですか?」
クスクスと、少し馬鹿にしたようにカズサは笑った。少しムッとして、軽く睨みながら返す。
「中等部と高等部では、細かい予定が違うんだよ。大きい合同ライブとかは中高別出場だし」
俺と音乃は、学校では軽音楽部に所属している。ルナティックが忙しいのもあり、そこそこ休みがちではあるが。
それでも、俺も音乃もそれなりに部活を楽しんでいる方だとは思う。
組んでるバンドは別だが、俺はリズムギター、音乃はキーボードだ。
「なるほど、そうなんですね」
さほど興味が無さそうにカズサは頷いた。
俺たち三人しか居ないこの部屋は、なんとなく広い。カズサの趣味でBGMとして流しているクラシックの弦楽器の音が、やたらとクリアに聞こえる。気まずいとも心地良いとも言えない無言状態。
「え、何。空気重っ」
それを破ったのは、ざっくりしたショートカットの少女……桃月の登場だった。
「何なのさ、朝から空気悪いなあ」
おはようとも言わず、ふてぶてしく自分の席に座る。
「おはようございます、桃ちゃん。別に何も無いですよ。メンバーがメンバーなので、いつも通りです」
桃月にお茶を淹れ、カズサは穏やかに笑う。あっそ、と桃月は気のない返事をして、お茶をすすりながら、それぞれの席に備え付けの小型モニターを眺める。ひとりでも行ける任務を探してるんだろう。
わざわざ探さなくても、この部屋で待機していたら、そのうち司令部からお呼びがかかるというのに。
一般的なエレスだけでは危険度が高いと判断された任務の補佐や、少人数での危険な仕事なんかが主なものだ。
後者はともかく、前者は同行者の安全に気をつけながらの行動になるのもあり、桃月は好きでは無いらしい。
「暇ならさぁ、誰かボクと行こうよ。お守りに呼ばれる前にさ」
お守り、とは散々な言いようだ。否定もできないが。
カズサもリティも無反応に、それぞれの作業を続けている。まあ良い、元々今日は暇だったし。
「俺で良いなら行くけど」
「ハルかぁ。ハルとなら、誰か近接型も居た方が連携しやすいんだけど……別にいいや。じゃ、行こう」
不服そうな反応が気に食わないが、気にしないことにする。
桃月は、よほど自分の能力に自信があるらしく、年齢なんざ気にせず、年上であろうと、自分より弱いと判断した相手のことは平然と見下す。
それでも、出会った当初よりはかなりマシな扱いをして貰えるようになったとは思う。決して良いとは言えないが。
「ほら、放ってくよ」
はいはいと返事をし、俺は気まぐれな天才様を追いかけた。
「ハル、遅いよ!」
よく通る怒号が飛んでくる。ひどく耳に刺さるが、反応しようにも身体が思うように動かない。
身動きが取れない、ってほど酷いわけじゃない。が、何故か思うように戦えない。
「あっ……! すまん!」
頭に身体が追いついていない感覚。困惑している間に、俺の方に飛んできた雑魚をスルーしてしまう。
「グズ! どこ見てんのさ!」
暴言を吐きながら呪符を投げて、俺が逃がした奴を仕留める。相変わらず、鮮やな動きだ。惚れ惚れするほどに、身のこなしが軽い。
「ったく。これじゃあボクひとりと大して変わんないじゃん。ほら、フォローして」
苛立たしそうに言って、大技の詠唱に入る。いくら桃月でも、詠唱中に狙われると危険だ。大きく息を吐き、気を引き締める。大丈夫、ちょっと調子が悪いだけだ。いつも通りやれる。
「こっちだ!」
大量に誘導トラップをばらまき、さっき仕掛けておいた催眠網に誘い込む。うまくかからない個体は射撃で追い込む。
「いくよ! ハル!」
桃月の声がして、俺は大きく飛び退いた。その一瞬後に膨大な魔力が放たれる。
「……はぁ」
討伐対象が全て消えたのを確認すると、桃月は変身を解き、ため息をついた。帰路を開いてから、俺も変身を解く。
「お疲れ様」
そう言うと、呆れたような顔で桃月は振り返った。
「ほんとお疲れだよ。何さ、今の。大丈夫? 耳はきこえてる? 目は見えてる?」
馬鹿にしたように桃月は言う。この様子だと、しばらく根に持たれそうだ。
「元々ハルには大して期待してないけどさ。それにしても酷かったよ。何年エレスやってんのさ。昨日今日入ったばっかの初心者並みに酷かった」
帰路を歩きながら、申し訳なさに桃月の方を見られなかった。
「ボクより二つも年上だろ? エレス歴だって、ボクより長いんだろ? ま、長さの問題じゃないことくらい知ってるけど」
怒りより、呆れと侮蔑のこもった口調。普段は聞き流すが、今日はとても痛い。何の反論も出てこなかった。
本部に戻ると、受付に向かう。
「あら、ミスが酷い。桃月、不調だったの?」
レポート要員精霊の作ったレポートを見ながら、沙友さんは微笑を浮かべた。楽しげな視線を向けられ、桃月は露骨に不機嫌な顔をした。
「ボクなわけ無いだろ。ハルの馬鹿が馬鹿でグズで阿呆でノロマだったんだよ」
「そう。じゃあ司令官にも、そう報告しておくわ」
「えっ、なっ……、なんで玲架さんに!」
頼むから、それだけは止めて欲しい。絶対、何らかの形で「注意」をされる。
「当然でしょう。彼女はマナクレセンツ全体を取り仕切るトップよ。そもそも貴方たちルナティックは、司令官直属の精鋭部隊ってことになっている。違う?」
ぐうの音も出ないとは、このことを言うのか……。はぁ、今度は何だろう。個人訓練の追加か、雑用の手伝いか……。
報告が終わると、桃月は早足でルナティックの部屋に向かい、荒々しく入っていった。
「ハル以外の誰か! 任務行こうよ!」
そう声を張り上げる。部屋に居たのは、カズサ(読書中)、リティ(次は化学か)、アリス(お菓子を作っている)の三人。なんか今日は女子ばっかだな。俺以外の男連中はどうしたんだ。
「貴女と二人ってのは、武器の相性が良くないから」
顔も上げずにリティは淡々と拒否。カズサも同じようなことを言い、アリスに至ってはそれどころじゃなさそうだ。桃月は数秒黙り込んだ後、無言で立ち去った。たぶん、ひとりで行ったんだろう。
「……あれだけ露骨に機嫌が悪い桃ちゃんも珍しいですね」
少しだけ驚いたようにカズサが呟く。リティがシャーペンを置き、小型モニターを操作しながら呟く。
「ハル、さっき本当にボロボロだったのね」
さっきのレポートでも見てるんだろう。その口調や視線は、蔑み以外の何でもない。カズサもそれを覗き込む。
「本当。時遼君、大丈夫ですか? こんなに酷いのは珍しいですね。レポートを見たところ、今日は特に……身体が頭について行って無い感じですね」
ちゃんと(たまには)心配した口調で言ってくれるのはカズサぐらいだ。俺の知り合いの女子の大半…まあ、男もだが……は、基本的にプライド高い奴が多くて、「他人に優しくする」という概念をほとんど持ち合わせていないみたいだからな。
「そうね。元々酷いけど、今日は更に酷い。……どうしたの、体調不良? 何かあった?」
リティが珍しくマトモに心配してくれてる?明日は大雨か?
「珍しく心配してくれてるのか、ありがとう」
リティの目を見ながらそう返すと、リティは俺から目をそらした。
「違うわよ。チームメイトが不祥事おこしたら、チーム自体の評価に関わるでしょ。ただでさえ、組織内で正式に『チーム』の形をとってるのはあたし達だけなんだし。あたし達はマナクレセンツ内では目立つ存在なのよ。もう少しプライドとかそういうのを持ちなさい」
一気にまくし立て、「常磐」でしょう、と付け加え、リティは勉強に戻った。それを見て、カズサは何故か少し悲しげに笑った。カチャ、とカズサのペンダントが音をたてた。
「できたー!」
突然、アリスの明るく可愛い声が咲く。そういえば、甘い匂いがする。
「あらアリスちゃん。今日は何を作っていたんですか」
妹に言うかのように、優しくアリスに声をかけるカズサ。
「今日はね、フィナンシェ作ってたの。みんなで食べよ。ほら、リティちゃんも」
嬉しそうに無邪気に笑うアリスを見、思わず頬が緩む。
「今日はアリスちゃんのお菓子の日? やった~」
そこに更に天真爛漫な我が妹……音乃が入ってきた。
「えへへ。のーちゃんも食べてね」
「ありがとー、アリスちゃん」
一気に明るくなった室内を見渡し、俺は、何か違和感を抱いた。
何だろう。
……あれ、俺の腕時計、壁掛け時計と五分ずれてる。この間調節したばかりなのにな。
腕時計のずれを直しながら、俺はなんとなく、気が気じゃなかった。自分の不調の原因も、不明なままだったからか。
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