第3話 笑顔の彼方に③
【上総陽芽】
その夜。私は寮の部屋で、課題をしながらリティに問いつめられていた。
「それで? 三人だけ残った理由、何だったの」
私とリティは、学生寮のルームメイト。私達の在籍しているトネリコ学院では、寮は二人部屋で、ルームメイトは他学年になるという仕組みだった。ちなみに私はリティに(というか誰にでも)敬語を使っているけど、私の方がひとつ年上だ。
「言っているじゃないですか。設備側の不調だって」
あくまでも笑顔を崩さず、英語の文法問題を片付けながら答える。
「ハルと陽芽と音乃って……どんな組み合わせよ。ハルと音乃の二人ならまだ分かるわよ、兄妹だし」
私の主張を聞かず、リティは問い続ける。
「しつこいですよ、リティ」
「何よ、あたしは陽芽を心配して……」
リティが整った眉をつり上げてそう言い返してきて、私はその綺麗な顔をじっと見た。
「……何、あたしの顔に何かついてる?」
リティは照れたように目をそらす。いや、これは照れてるんじゃない。
「リティ、嘘をつくとき、自分の前髪をさわる癖がありますよね」
リティのアメジストみたいな瞳を覗き込み、にこやかに言った。あくまでも、笑顔で。
「え?」
そう言われてリティは、自分の無意識の行動に気がついたのか、バッ、と手をおろす。
ほら、やっぱりね。
私は、笑顔のまま続ける。
「私の、じゃなくて時遼君の、心配をしてたんじゃないですか?」
時遼君、という固有名詞が出た途端、リティは赤くなった。
なんて分かり易い人。
立ち上がり、必死に反論してくる。リティが口論で私にかなうわけないのに。
「はぁ? 誰があんな奴の心配しなきゃいけないわけ?」
それを聞いて、私はリティから視線を外し、机上に置いてある錠付きの小物入れに触れた。そして笑顔は崩さずに、言い返す。
「リティ。貴女はいつも、寮では勉強ばかりしています。生活最低限の行為と勉強以外のことをしているのを、私はほとんど見たことがありません。貴女から私に話し掛けてくる事は、ほとんど無いですよね。……時遼君の話以外は」
「っ……!」
リティは声にならない声をあげると、勢いよく立ち上がり、部屋着を持って、浴室へ入っていった。
「……リティ。私は……貴女の事が、解りません」
散らかったリティの机の上を見ながら、呟いた。
リティは、とっても分かり易い。だけどちっとも、解らない。
リティとロロ君の家、フィオーレ家は、エレスとして名のある家らしい。その長女であるリティは、常に「優等生」でなきゃいけない。マナクレセンツで。そして、学校で。
私とリティの在学するトネリコ学院は、いわゆる進学校だ。全国でトップクラスに入るような人間も少なくない。
そんなトネリコ学院で、リティは生徒会長まで務めている。
「……リティ。貴女は、幸せなんですか?」
呟いて、私は右手でオーディオの電源を入れ、ラジオをつけた。
『常磐兄妹の』
『まな◇くれラジオー!』
ラジオから、聴き慣れた二人の声が聞こえてくる。
紅茶でも飲んで、ひと息つこう。今日は何にしようかな。たまにはリティの好きなローズティーにでもしてあげようかな。
日に日に痛みが増していく自分の左腕が視界に入り、私は、幻覚魔法をかけ直した。
【リリティア・フィオーレ】
あたしは、浴槽に浸かりながら、防水ラジオで間の抜けた番組を聞いていた。
『はい今週も日曜九時、まな◇くれラジオのお時間になりましたよー♪』
相変わらずハイテンションね、音乃は。何がそんなに楽しいのかしら。
『落ち着け音乃。えっと、このラジオは、マナクレセンツのメンバー及びOB、OGの方にのみ配信しているラジオです。パーソナリティは俺、常磐時遼と』
『妹の音乃でお送りします!はい!ってことでハル君』
『ん?』
『今週も人類は「魔獣ゲツヨウビ」の撃退に失敗するみたいだねぇ』
『何だよ魔獣ゲツヨウビって。日曜の次に月曜が来るのは当然の事だろ?』
相変わらず、馬鹿でくだらない内容。
だけど、だからこそ。
頭を使わずに聞いていられるから。
あたしは、この番組が大好きだった。毎週この時間、浴槽に浸かりながらこの番組を聞くのが、数少ない楽しみだった。
『ノリ悪いなぁハル君。そんなんだから、いっつもチーム内でいじられるんだよー?』
『そこか。そんなことが理由なのか?』
相変わらず、ハルより音乃の方が盛り上げがうまい。ハルは、何をやっても「普通」だ。「常磐」のくせに。
『ノリなら、俺以外にも悪い奴いるだろ』
『はい!では最初のコーナーいってみましょー』
『おいこら音乃!スルーしてんじゃねぇよ!』
『だってハル君がひとりで話してても、面白くないんだもん』
ハルは、「常磐」の長男なのに、ちゃんと「常磐」じゃなくて「常磐時遼」として生きている。
正直、「常磐」である圧力は、あたしにかかっている「フィオーレ」である圧力より緩いとは思う。
「フィオーレ」みたいに、ゆくゆくは他人の上に立つわけじゃない。ただ「常磐」としての能力を行使して、あるべきモノをあるべきカタチで維持すれば良いだけなんだから。……なんて言ったら、ハルに失礼なのかしら。
「はぁー……。わかんないなぁ」
あたしは、「自分」がわからない。さっき陽芽にあんな事を言われて動揺したってことは、「あたし」の中で的を射た事だった、ってことだろう。
あたしが、ハルを心配?
……する筋合いなんか無い気がする。でも、なぜか否定出来ない。
あたしが、ハルの事を好き?
有り得ないわ。あたしは「フィオーレ」なんだから。恋愛なんてしてる暇ないんだから。確かにハルは変な奴よ。ルナティック内では馬鹿にされてるのに、実は優しいし。弱いくせに、ピンチのときフォローしてくれるし。
……ああ、もう良いわ。さっさと風呂から上がって、今日は早めに寝ましょう。疲れてるのよ、きっと。
今すぐハルに会いたい、なんて。
疲れておかしくなってるんだわ。
ラジオの音量を少しあげ、あたしは、髪を洗い始めた。父親と同じ、少しグレーがかった茶色の髪を。
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