第2話 笑顔の彼方に②

幾つものよくわからない機械が立ち並ぶ、無機質な部屋。

適温に保たれているはずだけれど、何故か薄ら寒く感じるし、たぶん空気も綺麗とは言えない。

いや、空気清浄機の類は回っていて、空気中に塵は飛んでいないはずだが、何だろう……。機械や薬品の独特の匂いがする、というのか。

何にせよ、俺はこの部屋があまり好きじゃない。

「よし、じゃあ入ってください」

自分の場所を間違えないようにね、とアサさんに言われ、決まった位置につく。俺は思わず、両隣の音乃とロロを見た。

俺たちの目の前には、縦長の水槽のような、ロッカーのような、大きな箱がずらりと九つ並んでいる。

音乃は、躊躇うことなくその中入る。いつもと変わらず、どこか楽しそうですらある。

ロロとは目が合った。リティと同じ色(と言うと本人は嫌がるだろう)の眉を下げて、肩を竦めていた。仕方なく頷くと、二人して苦笑した。

たぶん、ロロも検査があまり好きじゃないんだ。

ふぅ、とゆっくり息を吐いて、意を決して足を踏み入れた。

「みんな入りましたね? 始めます」

アサさんがそう言うと、背後でガシャンと扉が閉まって、足元から青い液体が溜まっていく。

この時間が嫌いだ。なんかこう、じわじわと溺死させられそうで。

検査時はいつも、白のワンピースか、白シャツに薄手のズボンという専用着だ。どちらも研究室から配布されたもので、特殊素材で出来ている、らしい。俺にはよくわからないが。

検査自体は、この水槽みたいな箱に一人ずつ入り、よくわからない液体に浸され、十五から四十分程度スキャンされる。

その液体の中では、水の中のようにふわふわと足元が浮くけれど、呼吸も出来るし、目を開くことも出来る。「精神を安定させる為」とアサさんが音楽を流してくれるから、なるべく不安は無いように配慮されている。

それでも俺は、この時間が嫌いだった。

足元からじわじわと液面が迫ってくる感じ。中で呼吸できるとわかっていても、嫌なものは嫌だ。水泳が得意では無いから、その影響なんだろうか。いや、まさか。音乃だって泳げないのは同じはずだ。

「全員ちゃんと呼吸できてますね」

スピーカーからアサさんの声が聞こえる。ガラス一枚を隔てた先で、パソコンに何やら打ち込みながら、こちらに指示を出す。

「深呼吸して。目を閉じて、リラックス」

頭の先まで液体に浸されてしまえば、そこまで嫌悪感は無い。まあ気持ち良いってわけでも無いが。

すぅ、と息を吸う。当然のように、液体を吸いこんでしまう。だが、息苦しさは無い。

何回やっても、この全身の力が抜ける感じには慣れない。酒に酔うとこんな感じなんだろうか?

「はい、数値が安定したので、目を開けても良いですよ。でも暴れないでくださいね、リラックス、ですよ」

穏やかな声色で微笑みを絶やさず、アサさんは言う。

「なあ朝人。今日、液の濃度がいつもより高くないか」

セナさんの怪訝そうな声が聞こえる。俺には何も判らないが、研究室にも籍のある彼が言うのなら、そうなのだろうか?

「気のせいですよ、アヤビシ先輩。少し疲れが溜まっているみたいですよ。大丈夫ですか」

何なら後でログを出します、とモニターを小突く。自分より年上のセナさんに指摘されても物怖じせず言い返すあたり、アサさんはさすがだ。それくらいじゃないと、検査担当なんてやっていられないのだろう。

「……そうか」

納得したような腑に落ちないような、微妙な返事。ここからセナさんの表情は見えないが、きっと不服そうに眉を寄せているだろう。

それから十五分程度の沈黙が続いた。別に慣れたものなので、気まずさとかは無いんだけれど。いささか退屈ではある。

それを破ったのは、桃月の不服そうな声だった。

「ねぇ。ここ最近、検査多くない?」

言われてみればそうかもしれない。

だいたい月に一回程度だったが、最近は二週間に一回以上検査している気がする。

気にしたことなんか無かった。元々記憶力はあまり良い方ではないし、スケジュールを把握している方でもないから。

「近頃、検査液の成分や、機械の設定なんか色々と調整しているんですよ。ルナティック

の皆が忙しいのは知っているんですが……。すみません」

心底申し訳無さそうにアサさんは苦笑した。

色々と調整、か。俺には、何も変わっていないように思える。俺が鈍いだけなのか。

「そうなの? 液の調整って……何か変わってるようには思えないんだけど」

いぶかしげに桃月は問う。感覚の鋭い桃月が判らない、というのは余程微妙な調整なんだろうか。

「かなり微かな調整ですので。気付かないのも無理ありません。むしろ気付く人は、余程神経質なんでしょう」

「ふぅん」

アサさんが言うと桃月は、興味を失ったように素っ気なく返事をした。

更に数十分後。

「はい、終わりましたよ。全員出てください」

液体が箱から抜かれ、俺たちは箱から出る。『風』の属性をもつカズサとロロが、二人係りで俺たちの身体についた液体を吹き飛ばす。

「何か異常ありましたか?」

リティが長い髪を手櫛でとかしながら尋ねる。アサさんは、少し待って、と何やら入力したりモニター相手に眉をしかめたりしている。十数秒後に顔をあげたアサさんは、複雑な……苦いとも、悲しいとも、嘲笑ともとれるような笑みを浮かべていた。

見たことの無いそれに、少し背筋が寒くなった。

数秒としないうちに、いつも通りの穏やかな雰囲気に戻って、俺の気のせいだったと思いたくなった。

「とりあえず、陽芽、時遼君、音乃ちゃんの三人はもう一度検査したい。それ以外の六人は帰ってくれて構いません」

構わないというよりは、三人以外は帰れ、と言ってるように聞こえた。音乃を見ると、不思議そうに首を傾げていた。

「じゃあさっさと帰って任務行こうぜ」

特に言及もせずミワにいが踵を返したのを引き金に、俺、音乃、カズサ以外の六人は各々の面持ちで研究室から出て行った。

「アサ君~。どうして音乃たちだけ検査し直すの」

音乃が子供みたいに(事実子供だが)頬を膨らませる。確かに、どうしてこの三人なんだ。何の見当もつかない。

「三人に入ってもらっている検査箱は、調整を色々重ねてるんです。その都合で、上手く結果が出ない」

俺と音乃とカズサのを?この三人の分だけ?

「俺らの身体に何か問題でも?」

アサさんとの間合いを一歩だけ詰め寄り、俺は尋ねた。アサさんは、真面目で穏やかな笑みを浮かべた。

「そういうわけじゃありませんよ、時遼君。君と音乃ちゃんは、血脈が少し他の皆より特殊ですよね。だから、他の皆とは……君たちのチームの中でも特に、複雑な魔力波をしているんです」

俺と音乃の「常磐」の血脈は、少し……いや、かなり、特殊なようだ。

今から千年以上も前。俺たちのように魔力を持つ「エレス」と呼ばれる人間を、束ねていた人物が居た。その名前は「常磐ときわ奏唯かなた」。俺と音乃は、その直系の子孫にあたるらしい。だから何があるのか、正直よく知らない。ただ、自分と妹は、他のエレスと比べて「普通じゃない」ということだけは判る。明らかに魔力の流れが「違う」から。

「じゃあじゃあ、ヒメちゃんはー?音乃たちの魔力がトクベツだからって理由なら、音乃とハル君だけで良いじゃない」

もはやこうなった音乃は、好奇心の塊でしかない。確かに俺も気になるが。カズサの血脈は、そこまで変わったものではなかったはず。兄のアサさんは、非戦闘員程度の魔力しか持ち合わせていないし。

「陽芽は単純に機械の不調です。どんな機械でも、調子の悪い時はありますから」

なんとなく、これ以上は聞くな、と言われてるような気がした。当のカズサは、ペンダントを鈍く光らせ、困ったように笑うだけだった。

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