第9話 笑顔の彼方に⑦

【常磐時遼】

「ごめん、待ったか?」

駅前の喧騒の中。肩で息をしながら、頭を下げる。ただでさえ気温も湿度も高いのに走ったから、かなり汗だくだ。

「いえ、いま来たところですよ」

カズサは俺を見て、そう、柔らかく笑った。

「そうか」

息を整えながら持参した水を飲み、カズサを見る。

なんとなく、いつもと雰囲気が違う気がする。

いつもは右肩で束ねている髪をおろしている。私服は、いつも着ているような私服より少しスカートの丈が短い気がする。お馴染みの鍵型ペンダントは、所在なさげに、でも堂々と揺れている。

「どうかしましたか? 何か変、でしょうか」

心配そうに眉を下げて、カズサは首を傾げる。なんとなく申し訳ない気持ちになり、目をそらした。

「いや、そんなこと無いよ」

「そうですか、良かった。じゃあ、行きましょうか」

鞄を持ち直し、カズサは嬉しそうに笑った。

曖昧に吹いた風が、その前髪を揺らして、どこに行くでもなく消えた。それに何故か違和感を抱いたが、気にしないことにした。

「ああ」

こうして、俺とカズサの、いわゆる初デートが始まった。


数時間後。目的の映画を何事も無く観終わり、俺たちは喫茶店に入った。

「面白かったですね」

手でティースプーンをもてあそびながら、カズサは笑う。

​───────まただ。何か、変だ。一体、何が。

ボタンをひとつズレてかけてしまっているような、本のページの端が折れているような、そんな違和感。だけど、その正体はわからない。

「時遼君? どうかしましたか」

顔をあげ、カズサは俺をみた。目の前にいるのは、いつもと変わらない彼女だ。

「いや、何でも」

「そうですか」

その時。

ぼんやりと、俺が左手首につけているブレスレットと、カズサがつけているチョーカーが光った。誰かからの「通信」だ。

(どうしたんですか)

真面目な表情になり、カズサは声に出さずテレパシーで通信を受ける。送り主はアリスだった。

(ヒメちゃん、今どこなの? ハル君と一緒?)

やけに焦った口調。どうしたんだろう。

(ああ一緒だ。どうした、アリス)

俺も会話に介入する。アリスは焦った口調のまま続ける。

(大変なの! リティちゃんとミワくんがおしごと行ったんだけど、そのっ……)

声が震えている。アリスがそうなるなんて珍しい。よほど酷い状況なんだろうか。

(落ち着けアリス。それで、リティとミワにぃがどうした)

努めてゆっくりと話すと、アリスもひと呼吸置いたような間があった。

(えっと。ロロくんとアリスで助けに行ったんだけど、アニムスが強くて、地形もぐちゃぐちゃで……みんな、バラバラになっちゃったの。迷路なの)

四人がかりでそうなるって……どれだけ大物なんだ。地形が、ぐちゃぐちゃ?

(わかりました。時遼君とすぐ向かいます。落ち着いて、待っていてください)

(うん)

プツンと、通信が切れる。俺とカズサは顔を見合わせ、無言で頷いた。

急いで会計を済ませて、ひとまずマナクレセンツ本部に向かう。

「沙友さん! 皆は?」

受付で沙友さんに皆の行き先を尋ねる。沙友さんはカズサを見て、何やら苦い顔をした。カズサは首を振る。

……何なんだ?

沙友さんはコホンと咳払いをし、眼鏡を指でおさえる。その表情は見えない。そして、落ち着いた、でもかたい口調で言った。

「この前あなた達が六人で行っていた火山よ。数分前、リティからの通信を最後に、リティ、ミワ、アリス、ロロの反応がモニターから消えた」

聞きながら、俺とカズサは息を整える。急いで来たのと、緊張とで息があがって、頭もあつくなりそうなのを、必死におさえる。

「この前の火山か。あとの三人は? 同行の一般エレスはどうなった?」

正直な話、一般エレスが同じ場に居ると、戦闘になる場合やりにくい。出力が高い術を使いたい時に、巻き込んでしまう可能性があるからだ。

「セナさんと音乃は別件対応中、桃月はついさっき追いかけた。ルナティック以外の子たちは、アニムスが凶暴化する前に戻ってきているわ。リティの采配みたい。彼らが戻ってからアニムス達が凶暴化した。彼らを返して正解ね。……無茶しないように」

状況を頭の中に叩き込み、俺とカズサは火山に向かった。


そこは、もはや迷宮と化していた。自然のものとはとても思えない、複雑な構造。本当にこの前来た火山と同じ場所なのか。

岩壁に触れ、先行している五人の魔力を探す。ぼんやりと感じるが、位置までは分からない。ここから一番近いのは、後発の桃月か。一応はみんな無事だろう 。

「恐らく迷宮の主は最奥ですよね。とりあえず、皆を探しますか?」

「うん。奥を目指して、仮に俺たち二人で辿り着いたとしても、歯が立たないだろう。……奥を目指しつつ、皆を探そう」

火山をこれほどの迷宮にするなんて、とんでもないヤツだ。エレスにそれほどの知能があるのか? それとも、自然とそうなったのか?

​───────いま考えるべきことでは無いけれど。

「そうですね」

そう頷いたカズサの顔色が、悪く見えた。僅かにだが、魔力も乱れてる気がする。

カズサの兄であり、俺たち九人のバイタル検査担当のアサさんが言っていた。俺と音乃、そしてカズサの、魔力が乱れてる、と。

そう言われてから数週間が経つが、俺自身は良くなる気配は無く、少しずつ少しずつ悪化している気がする。音乃はほとんど回復してるみたいだけど。

カズサは、俺にはよく分からないが、たしかに以前と比べたら調子が悪いように見えた。

「行こう」

今は、そうも言っていられない。

カズサと顔を見合わせる。頷き、ごつごつとした迷宮の中、歩みを進めた。


言葉も無く、警戒態勢を保ちつつ、道とは言えない道を進む。曲がり道や起伏はあるが、分岐は無い。迷路と言うよりは、長い廊下だ。

じわじわと暑く、流れる汗が緊張によるものなのか暑さによるものなのか判らない。ふと見たカズサの横顔は、何の感情も無かった。

……やっぱり、何か変だ。

普段なら、カズサはこんな時でも笑っている。優しく、清らかに。

「カズサ」

「え、どうしたんですか、時遼君」

俺が声をかけた途端、思い出したように笑った。

「お前……最近、なんか変じゃないか?」

「変? 失礼ですね時遼君は。仮にも私、年上ですよ?」

手を口元にあてて、揶揄うように言った。その何気ない仕草ですら、不自然に思えてしまう。

「数週間前、アサさんに聞いた。俺、音乃、カズサの三人の魔力が乱れてるって」

どうやら、カズサ個人での検査もしてるみたいだ。カズサ本人が何も知らない方が不自然だ。

カズサの笑顔が、暗く凍りついた 。口元は笑っているけど、目の光がすぅっと引いている。

「それがどうかしましたか」

だけど声色は、あくまでも穏やかだった。

​───────すまん、カズサ。少し、試させて貰う。

「音乃は回復してるみたいだけど。カズサは大丈夫なのか?」

様子を伺いながら、気付かれないように魔力を組んでいく。こんな小手先のトラップがカズサ相手に通用するか解らないが……。

「ええ、私は至って正常ですよ」

「いやお前、熱あってもニコニコしながら部屋に来てるような奴だったから」

それは事実だ。三十八度の熱があっても、赤い顔して来るような奴。

いや、違う。「赤い顔を幻覚魔法で隠して」。

「心配性ですね時遼君。そんなだから……」

すまんカズサ。

俺は、完成した術を、発動させる。

「……っ!」

パキパキと音をたてて、カズサは淡い光に包まれ、翠の目を見開いた。これまで見たことがないくらい、動揺した表情。罪悪感がこみ上げる。それと同時に、俺は目を疑った。

「カズサ、お前っ……」

左腕が、もはや腕ではなかった。俺がカズサをはめたトラップは、「かかった奴が自身にかけている術を解除する」というもの。強化魔法を解いたりするのに有効だ。強い魔力を有する奴には効かないことがほとんどだから、正直ダメ元だった。

カズサの左腕……指先から、ケープで隠れているから正確には判らないが、恐らく肩まで……が、たしかに腕の形は留めているものの、硬直したまま、動かなくなっていた。

そう、まるで彫刻のように。翡翠で出来た、やけにクオリティの高い彫刻。

ぺたん、とカズサは力無く座り込んだ。涙を溜めた目で、俺を見た。

「……て」

「え?」

「どうして。どうしてっ……」

ポロポロと涙をこぼしながら、俺を睨む。

よく見れば、左腕以外も、左脚、首筋…何ヶ所か、少し結晶化している。

「……前もそうでした。」

「前?」

「確か三年くらい前ですね。私は、風邪で熱を出していました。食事もまともに出来なくて、肌は荒れてたし髪もぐちゃぐちゃで」

ああ、あの時の。

涙をこぼしながら、でも、カズサは笑っている。俺はただ、黙っていた。何も、言えなかった。

「すごく寂しかった。寮の部屋で寝ていても、ひとりぼっちだったから。みんなに会いたかった。時遼君に、会いたかったんです」

だから。

「幻覚魔法で、元気に見せかけて、チームの部屋に行ったんです。でも、」

今みたいに。

「時遼君に、気付かれたんですよね。ふらふらじゃないかカズサ、って。今みたいに、解除トラップにはめられたんですよね」

あの時。

「恥ずかしかったんですよ? 肌も髪も荒れてるし、熱で顔は赤いし。一番見られたくなかった人に見破られて、とても、恥ずかしかった」

だけど。

「とても、嬉しかったんです。時遼君が、私のこと見てくれてる、って」

そう言って、笑った。

とても綺麗なのに、今にも壊れそうだった。よくわからない衝動に駆られ、俺は、カズサを抱き締めていた。そうしないと、こいつは何処かに行ってしまうような気がして。

「……時遼君」

そう言った声は細く、このまま消えてしまうんじゃないか、とさえ思えた。

「この……今の身体。時遼君には見られたく無かった。ううん……ルナティックの誰にも見られたく無かった。さいごまで隠していたかった」

……え? 今、何て?

「……さいごって、なんだよ」

聞き間違いだろ。そんな、いきなりすぎる。さっきまでデートしてたんだぞ?

昨日もみんなで任務に行ったんだ。元気だったじゃないか。

「私ね。元々、身体が弱いんです。それなのに魔力は強くて。だから、魔力が身体を蝕んでるんだって。兄さんが言ってました」

表情は見えない。声は、震えている。

「もう長くないんだって。兄さんにも……セナさんにも、言われました」

長くない? 何が、長くないんだ? なぁ。

「ねぇ時遼君。皆と合流しても、皆には黙っててくれますか?」

その言葉は、その色は、あまりにも綺麗で儚かった。

カズサ。お前は、何を考えている?

何がしたいんだ?

「どうして」

やっと絞り出した声は震えてしまって、ちゃんと形になってない気がした。

「どうしても、です。本当は、誰にも知られずに、消えたかったんです。時遼君にバレるなんて、想定外でしたから」

すこし拗ねたような口調。いつも通りの声色。俺は、ゆっくりとカズサを離した。カズサは、笑っていた。

「だって、そのほうが良いじゃないですか。皆にさめざめ泣かれるのは嫌ですし」

そんなの、ただのエゴじゃないのか? カズサはそれで良いかもしれないが、

「残される俺らのことも考」

突然。視界が、埋まった。唇に、柔らかい感触。あ、まつげ長いなぁ。……って

「っ!」

思わずカズサを突き離す。ふふ、とカズサは笑う。

「ごめんなさい時遼君。この話は終わりにしましょう。立ち止まってないで、皆と合流しないと」

右手で幻覚魔法をかけ直し、カズサは進行方向を向いて歩き出した。

俺は、カズサの幻覚魔法を強化する補助魔法をかけて、カズサのあとを追った。


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