第33話 勇者

 ガルバス大陸の北端にある『ゲートオブヘル』とレビオン海軍兵士に便宜上名付けられた海岸。


 そのわずか沖合いには数隻の軍艦が浮かんでおり、そこからいくつものボートが砂浜へとオールを漕いでやってくる。


 そんな光景を眺めながらすでに砂浜に到着したリヒト陸軍大将はたばこを咥えながら、人類未到のフロンティアに到達したことを自覚する。


 大陸へと目を向けると、そこには延々と続くジャングルと、その奥に山が見える。


 今回の戦いは人間との戦いでもなければ、魔族との戦いでもない。リヒトは軍人として必要なことを常人以上に学んできた自負はあるが、それでも魔物との戦いはほとんどない。


 本当に面倒な仕事を押しつけられたものだ。


 確かに成功をすればそれ相応の武功は立てられるが、あまりにもリスクの高い今回の作戦にリヒトはあまり乗り気ではなかった。


 が、命じられた以上やるしかないし、彼はそのための準備もしてきた。


「リヒト大佐殿。まもなくミサキ15さまを乗せたボートが到着いたします」

「うむ、浜に上がり次第すぐにお越しいただけ」

「ははっ!!」


 と、部下の報告にそう返事をするとたばこを吹かして再びボートを眺める。


 数十隻以上のボートが大挙して押し寄せる中に、リヒトは茶色いローブを身に纏った老人の姿を見つける。


 老人を乗せたボートは浜辺へとやってくると、兵士たちはボートに集まり老人に手を貸そうとする。が、老人はそれを拒んで、その老けた顔が嘘のように軽やかにボートから砂浜へと飛び降りた。


 その身軽な動きで兵士を驚かせながらも、兵士に案内されてリヒトの元へと歩み寄ってくる。


「ミサキさま、よくぞお越しくださいました。あなたさまがいれば大変心強い」


 そう言ってリヒトは懐からたばこを取り出すと、ローブの老人に向けるが、老人はそれを手で制した。


「たばこは止めた。それよりも、レビオン王国は魔物退治をするためだけにこんな偉そうな兵隊を何人も用意したのか?」

「ですね。ガルバス大陸には獰猛な魔物が多く生息すると聞いております。ですので、万全を期してということでしょう」

「ふんっ、高々ガルバス大陸の魔物相手に腰を抜かすとは……」


 会話をしながらリヒトは思う。


 相変わらずこの男は仕事でなければ、決して関わりたくないタイプの人間であると。


 が、今回の任務でこのミサキ15という奇妙な名前の老人の力は必須である。おそらく広いレビオン王国を探しても、この老人以上に魔物退治に慣れている人間はいないだろう。


 なにせ、この男は伝説の勇者なのだから。


 この男はかつてレビオン王国が魔王によって支配されそうになったときに、仲間数人とともに魔王を打ち倒し、王女を救ったこの国の英雄である。


 リヒト自身、幼い頃はこの男に憧れて冒険者を夢見たこともあった。


 レビオン王国の子どもにとって彼は永遠のヒーローなのだ……少なくとも彼に直接会うまでは。


 が、実際はヒーローでも何でもないというのが今のリヒトの率直な意見だ。


 勿論、レビオン王国を救ったという意味では、今でもリヒトは彼を評価しているし、感謝もしている。


 その上でリヒトはこの男があまり好きではない。


 その理由はこの男の悪評を軍人になってから嫌というほど聞かされたからである。


 平民育ちのこの男は、王国の英雄となったことがきっかけで伯爵の位を与えられた。さらには彼自身が救った王女を嫁として貰って、さらには郊外に巨大な屋敷まで与えられた。


 まあ、それは彼の功績を考えれば妥当だ。そのことに文句を言う人間はレビオン王国には存在しないだろう。


 が、伯爵の位に就いた彼はその後、その地位に胡座をかき始めた。


 どうやら救った王女も、彼のタイプではなかったようで、すぐに他の女に手を出すようになった。


 その他にも酒癖の悪いこの男は社交界に参加する度に格下貴族に恥をかかせて笑いを誘ったり、格下貴族夫人の中で好みの女がいるときには問答無用で手籠めにして、王国に頼みその事実をもみ消させたりと、とにかく女癖が悪い。


 そもそも、魔王討伐はこの男一人の力で成し遂げられたものではないのだ。


 彼は6人のパーティで行動していた。にもかかわらず、彼はさも自分一人の力で魔王を討伐したと主張して、功績を独り占めしたのだ。


 そのせいで、魔王討伐後パーティメンバーは一人、また一人と彼の元から去って行ったらしい。


 そのくせ、地方の学校などで講演を行うときには仲間の大切さを主張するのだから質が悪い。


 それらの噂が本当なのかどうかはリヒトにはわからないが、少なくともリヒト自身何度かこの老人に会った限り、ただの噂話ではないと思っている。


「ところで大佐よ。そなたは60を越えたこの老体を何時間もこの場に立たせておくつもりか?」


 と、そこでミサキはリヒトにそう尋ねる。


 そんな言い回しに、リヒトはイラッとしながらも奥歯を噛みしめて「すぐに椅子を用意させます」と答えて、近くにいる兵士に「ミサキさまに椅子のご用意を」と指示を出した。


「最近も若い者は礼儀がなっておらんな」

「不徳のいたすところでございます」


 そう謝るとミサキはふんっと鼻で笑うと、椅子を持ってくる兵士の元へと歩いて行く。


「ああ、それと喉が乾いたからコーヒーも持ってこい。ミルクと砂糖も忘れずになっ」


 そう命じる老人の背中をリヒトは恨めしく眺めるのだった。


 作戦が終わるまでの我慢である。一日でも早くここに港を作りレビオン王国に帰ろう。


 リヒトはそう心に誓った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る