第29話 友との別れ

 2艘の小舟に別れて安全な海上へと避難したラッドだったが、当然ながら幼いミサを残して船に戻ることなんてできなかった。


 だからある程度砂浜から離れたところで小舟を漕ぐ手を止めると、ラッドたちはミサの行く末を眺めることにする。


 ミサを眺めながらラッドは思った。


 自分は本当にひどい大人だと。


 ミサは船内でも最年少の少女である。本来ならばいち早く彼女を避難させなければならないのに、ラッドは彼女の言葉に甘えて逃げてしまった。


 もちろんそれはミサが海竜を倒した姿を目撃したからなのだが、それでもこうやって逃げることしかできない自分が憎らしい。


 せめて彼女の助太刀がしたい。なにせ彼女は同じ船で寝食を共にした家族なのだから。


 が、目の前の光景はどう見てもラッドが助太刀できるような状況ではなかった。例えこの世でもっとも強力な武器を持っていたとしても、ラッドには太刀打ちできる気が全くしない。


 今のラッドにできることはミサの邪魔をしないことだ。


 そして、何かあったときにはすぐに海岸へと駆け寄り彼女を回収して船に連れ戻すことだけ。


 が、それすらできる自信がラッドにはない。


 ただ目の前に広がる光景を傍観者として突っ立って眺めることしかできない。


 が、ラッドは目に映るその光景を信用することができなかった。


「な、なんじゃありゃ……」


 ミサがオークから剣を奪い取ったところまでは視認できた。が、それからは閃光が左右を行ったり来たりしていることしかわからない。


 そして、閃光が左右に移動する度に魔物は血を吹き出してバタバタと倒れていくのだ。


 時折、停止して敵の動きを伺うミサの目は血走っていた。それでも口角は上がっており狂気と喜びの入り交じったような彼女の表情にラッドは本能的な恐怖を覚える。


 いつの間にか髪留めは落下しており、彼女の紅の髪は浜風に靡いてまるで炎のように燃え上がっているようだ。


 と、そこで再びミサはラッドの視界から消えた。


 再びジャングルには左右に閃光が移動し、魔物が血しぶきを上げていく。


 そんなことがしばらく続いたところで閃光は見えなくなり、浜辺は静まりかえり波の音が心地よくラッドの鼓膜を揺らした。


 直後、ずるずると何かを引きずるような音が聞こえてジャングルから小さな少女が姿を現す。


 剣を引きずったままミサがラッドたちの方へと歩いてくる。


 彼女の白い洋服は魔物の鮮血がべったりと付着して真っ赤に染まっていた。


 鮮血は頬にも付着しており、彼女は腕でそれを拭おうとするも、結果的には腕に付着した血を頬に付着させているだけになっている。


「ふふっ……ふはははははははっ!! ひひひひははははっ!!」


 ミサは血走った瞳をぎょろりと見開いたままゲラゲラと笑う。


 その表情に船の上での愛らしくて礼儀正しいミサの片鱗はない。


「ひ、ひぃぃぃぃぃ……」


 そんなミサの姿に側にいた乗組員が悲鳴のような声を上げてその場に尻餅を付いた。


 そして乗組員はミサを指さしてこう叫ぶのだ。


「ば、化け物だ……」


 正直なところラッドも同じことを思い、彼女に対して本能的な恐怖を覚えた。


 が、ラッドは慌てて邪念を振り払うように首を横に振ると「ざけんじゃねえっ!!」と乗組員の胸ぐらを掴む。


「てめえ、ミサを化け物呼ばわりとはどういうことだっ!!」

「で、でも……」

「でももクソもねえっ!! ミサは俺たちを救うために戦ってくれたんだ。あいつは俺たちの英雄で家族だっ!! 次、ミサを化け物呼ばわりしたら海に放り投げんぞっ!!」


 その言葉はラッド自身に向けられた言葉でもある。


 あれは夜叉だ。ラッドの率直な感想だ。が、そんな感情は自分の胸の中に封印する。


 彼女が何者であれ、ラッドたちのために勇敢に戦ってくれた優しい少女に変わりはない。


 だから、ラッドは船から海へと飛び込むと全力で砂浜へと泳いでいく。そして、彼女の元へと駆け寄ると血でベトベトになった彼女をぎゅっと抱きしめるのだった。


「ミサっ!! ありがとうっ!! 怪我はないか?」


※ ※ ※


――さいっこうっ!!


 ミサは今、猛烈に生きていることを実感していた。


――そうよ。私はこのために生まれてきたのよっ!!


 ミサはこの長い船旅の中で忘れていたことを思い出した。ミサの体は欲していたのだ。魔物の血を欲していた。にもかかわらず、この長旅の間ミサの体は船に縛られていた。


 確かに海竜一匹を倒したが、その程度でミサの欲望は満たされない。


 そのことをミサは思い出した。


 結局、ラッドによって抱きかかえられて船まで戻ってきたミサは、すぐに風呂に入るように言われ、用意していた洋服へと着替えた。


 着替え終わったミサはラッドたちの作戦会議に加わる。その結果、助けの船が見つかるまではこの碇の下りた船で待機することとなった。


 積み荷の中には食料もあるため、少なくとも飢え死にすることはなさそうだ。


 ということで、作戦会議が終わり客室に受験勉強をするという名目で戻ってきたミサはギート王国へと転移する。


 そして、ことの顛末をグラスに話した。


 話を聞いたグラスはう~んと腕を組むと何やら頭を悩ませる。


「あまり転移魔法は使いたくはありませんが、ギート王国としては王国民が命の危機に瀕している以上、どんな手を使ってでも救わなければなりません」


 ということらしい。グラスとしてもあまり転移魔法の存在は知られたくはないようだが、背に腹は代えられないようだ。


 ということで再び船へと戻ったミサは一時間ほど待ったところで、乗組員たちを客室へと招くと彼らを転移魔法でギート王国へ送り返した。


 ギート王国へと戻ると、そこは真夜中の王都のひと気のない広場だった。


「な、なんじゃこりゃ……」


 当然ながら転移魔法など初めての経験であるラッドたちは、突然どこかへと飛ばされたと思えば目の前に文明的な都市が広がっており尻餅をついた。


 が、そんな彼らに転移魔法についてなんら説明をせずに、その場にいた軍服姿のグラスが乗組員たちを見やる。


「ここはギート王国の王都だ。貴様らが遭難したと聞いて王国へと送還した。その方法については貴様らに説明をするつもりはない」


 そんな軍服姿のグラスを見たラッドは「あんたは確かミサの……」と言ったが、そこで何かを察したのか、それ以上は何も口にしない。


「貴様らの素性については家族構成から住んでいる場所にいたるまで全て把握している。その上で貴様らに忠告する。航海開始から今までに見たこと聞いたことは全て他言無用だ。わかったな?」

「え? え~と……」

「わかったな?」


 グラスの言葉にラッドはまた何かを口にしようとしたが、ぐっと言葉を飲み込むと代わりに「わかった。天命に誓って口外はしない」と言って頷く。


 その目には決意が感じられる。


 どうやらグラスはミサがただならぬ身分であることを理解したようだ。


 グラスはそんなラッドのことをしばらく眺めていたが、なにやら納得がいったのか彼もまたうんと頷くと懐から巾着袋を取り出した。


「これが貴様らへの口止め料だ。これだけあれば新たな船の購入と貨物の賠償に使えるな?」


 そう言ってグラスがラッドに巾着袋を手渡すと、ラッドはその袋の重さに驚き、中をのぞき見る。


 そして、中に入っていた金貨を見て顔を青ざめさせた。


「こ、こんなに貰うわけにはいかないっ!! これじゃ船を購入して賠償金を払っても、少なくないお釣りが返ってくるぞっ!!」

「口止め料だと説明したはずだ。もしも、口外した場合、貴様らがどうなるか説明する必要は……ないな?」

「あ、あぁ……わかったよ……」

「わかったのなら、すぐにこの場から立ち去れ。話は以上だ」


 グラスの言葉にラッドはまだ現実が飲み込めていないようだったが、なんとか立ち上がると「お前ら、家に帰るぞ」と乗組員たちに声をかけた。


 これでラッドたちとはお別れである。少々手荒な真似をしているという自覚はあるが、彼らの命が救われるのであれば、この程度の脅しは我慢するほかない。


 ミサはあえて口を挟まず、黙って彼らを眺めていた。


 ということで、ラッドたちは広場を後にしようとする……が、不意に足を止めるとラッドはミサの元へと歩み寄ってきた。


 そして、ぎゅっとミサの体を抱擁する。


「ら、ラッド?」

「ミサ、お前の事情は知らないし知るつもりもない。だけど、これだけは覚えておいてくれ。俺たちはお前のことを命の恩人だと思っているし、家族だとも思っている。本当にありがとう。お前に会えて良かったよ」

「…………」

「いつになるかはわからねえが、必ず恩返しはする。俺たちはギート王国が危機に陥ったら迷わず剣を取るし、国王陛下や可愛い王女様のために喜んで命を捨てる覚悟だよ」

「ラッド……」


 どうやらミサが何者なのかはラッドにバレているようだ。が、それ以上のことはラッドも語らない。


 彼はミサから体を離すと「達者でなっ」と笑みを浮かべて、ミサの頭を撫でて今度こそ広場を出てどこかへと歩いて行った。


 こうしてミサの長くて短い船の旅は幕を閉じた。

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