第26話 船上生活

 というわけでネデバ共和国へと向けてミサと野郎どもを乗せた船はキルタグラードの港を離れた。


 ここからは一ヶ月にわたる長い船旅が続く……と言いたいところだが、それは乗組員にとっての話だ。


 ミサは船上とギート王国の二重生活なので、全くもって旅の不安はない。


 強いて言うならば、定期的にミサが転移魔法で船からいなくなっていることが乗組員たちにバレないように気を遣うぐらいだ。


 が、ミサはすでに手を打ってある。


「パ、パパがお船に乗っている間はお勉強をしなきゃダメだって……」


 というような旨の説明をあらかじめ船に同乗した10名ほどの乗組員にはしておいた。


 グラスパパはミサに一日10時間もの勉強を課しており、ミサ自身、来年には中等魔法学校の入試も控えているという設定になっている。


「おいてめえらっ!! ミサこ勉強を邪魔しちゃだめだからなっ!! 勉強を邪魔した奴は海に放り投げて海竜の餌にするからなっ!!」


 とラッドが乗組員たちを脅してくれたおかげで、ミサが日中、部屋に籠もっていたとしてもそれを不審に思う乗組員はいない。


 部屋の鍵はラッドから受け取っているし、これで昼間ギート王国に戻っていても問題なさそうだ。


 とはいえ、船には一日三回の食事の時間がある。とりあえずミサは小食だという設定でラッドには食事はほんの少しで大丈夫だと伝えてある。


 なにせ、ミサはこれから王国と船で一日二食ずつ食事を取らなくてはならないのだ。さすがに一日6食は胃に負担がかかりすぎる。


 とまあ、なかなか不安なことの多い二重生活ではあるが、いざ始めてみるとなんだかんだで、なんとかなるものだということがわかってきた。


 昼間はギート王国にいるとはいえ、起きている間ずっと公務をしているわけでもないので、暇な時間を見つけては船に戻り船員たちの前に顔を出して彼らと時間を過ごした。


 なんというか思っていた以上に船の上の生活は楽しい。


「この針に餌をこうやってくっつけるんだ。であとは糸を垂らして獲物が食らいつくのを待つだけ」

「こ、こう?」

「そうそう。ミサちゃんはお利口さんだねぇ……うちのせがれもこれぐらい物わかりがよければいいんだけどな……」


 船の上でのミサはみんなのアイドルだった。聞いた話によると、貨物船に乗る旅行客は大抵は野郎ばかりで、それも訳ありのいかにも怪しい奴らばかりだそうだ。


 まあミサも訳ありではあるのだが、幼い少女という珍しいお客さんということもあり、野郎だらけの船旅の中で癒やしとなっているようだ。


 ミサは乗組員から釣りのやり方や、カード賭博(ミサは賭けていない)のやり方などを優しく教えて貰い、気がつくと彼らとすっかり打ち解けていた。


 普段は堅苦しい城で生活しているミサにとって彼らの話や遊びはどれもこれも新鮮で時間を忘れそうになってしまう。


 そんなこんなで巡幸と船旅の二重生活を送っていたミサだったが、船がキルタグラードを出て3週間ほど経ったある日、事件は起こった。


 この頃になると船はギート王国から遠く離れた海上にたどり着いており、船上とギート王国との間に大きな時差が生まれ始めていた。


 具体的には6時間近い時差があり、ギート王国の人間が寝静まった頃に船へと移動すると向こうでは早朝を迎えているというような感じだった。


 この日も昼間に公務として貴族や地方役人たちとの食事会を終えたミサは、寝室に戻り転移魔法陣を使って船へと戻ったのだが。


 船の客室へと戻るや否や、部屋の外から乗組員たちの騒ぎ声が聞こえてきた。


――ん?


 異変に気づいたミサが慌てて部屋を飛び出してデッキへと向かうと、そこには目を疑うような光景が広がっていた。


 まずはデッキから太い幹を伸ばしていたマスト。その中でももっとも太いマストがポッキリと根元から折れていた。


 もちろんそれだけでもゆゆしき事態なのはすぐにわかったが、乗組員たちはみんな魚を捕まえるための銛を握って何かを一点に見つめていた。


 彼らの視線の先に目をやると、そこには海面から顔をぬっと覗かせる巨大な竜のような生命体がいる。


「お、おおおおおっ!!」


――何この胸躍る展開はっ⁉︎


 海面に出ている顔の部分だけでも10メートル近くありそうなその海竜は口に咥えたままワニのような目で船員たちを睨みつけている。


 と、そこでラッドがミサの声を聞きつけて彼女の方へと顔を向けた。


「お、おいミサっ!! ここは危険だっ!! 部屋に戻って大人しくしていろっ!!」


 どうやらラッドはミサの身を案じてくれたようで、ミサに部屋に戻るように手を振る。


 本当に優しい人たちだ。始めは豪華客船に乗れず少しテンションが下がっていたミサだったが、結果的にこの船に乗れて良かったと思った。


 ということでミサはラッドの言いつけ通りに一度客席へと戻って魔法杖を探す……が。


――あ、あんま使わないから、ギート王国に置いてきたんだった……。


 そんなことを思い出したミサは素振り用に持ってきていた木刀を片手に再び部屋を飛び出した。


 ラッドたちのミサを想う優しさはありがたいが、きっと彼らだけで海竜を退治することはできないだろう。


 銛を持って応戦する彼らを見てそう思ったミサは、デッキへと駆けていく。


 海竜を見るのはこれが初めてである。今までは竜と言っても渓谷に巣を作るワイバーンを見たことがあるぐらいで、ここまで巨大な、それも海竜を見るのは初めてで俄然戦闘意欲が漲ってきた。


――戦いたいっ!! 早く戦いたいっ!!


 逸る気持ちを抑えながらミサは海竜を見上げる。


 海竜のことはあまり詳しくないが基本的に頭部に攻撃を食らって全く動じない生き物はいないはずだ。そうなるとこの木刀で脳天をぶっ叩くのが一番効果的だ。


 ミサは次にデッキから延びるマストを見上げた。一番太いマストはポッキリと折れてしまっているが、まだ生きているマストの中から一番高い物を探し出した。


――あれだ。


 ミサはマストに駆け寄ると助走を付けたまま地面を勢いよく蹴り、そのままマストの一番高い帆桁へと飛び移った。


「おっとっと……」


 と、細い帆桁に足を乗せてバランスを取るとデッキから「み、みさっ!?」とラッドたち乗組員たちが、信じられない物でもみるような目でミサを見上げているのが見える。


「とりあえず海竜は私がなんとかしますっ!!」


 そんな彼らに笑顔で手を振ると再び海竜に顔を向けて、帆桁の上を勢いよく駆けていく。


 助走は十分である。ミサは海竜の頭めがけてジャンプした。ミサの小さな体は勢いよく海竜めがけて跳躍していく。


 ミサは空中で体を丸めるとくるくると前転をしながら海竜へと接近すると、そのままの回転の勢いで木刀を海竜の頭部めがけて振り下ろした。


――手応えはばっちりっ!!


 木刀が海竜の頭部にめり込む感触を手のひらに感じたミサは、そのまま今度は海竜の鼻先を勢いよく踏みつける。その反動で再び跳躍したミサは再び体を丸め、今度は空中で後転しながらデッキへと着地した。


 そんなミサの一部始終をラッドを始めとした乗組員たちは口をあんぐり開けて眺めていた。


 が、直後、海竜が海上に倒れて水柱を立てる音で我に返ると、彼らは慌ててデッキへと駆けていき海の上でぐったりする海竜を見やった。


「も、もしかしてやったのか?」


 誰かがそう呟いた。どうやらあまりに一瞬の出来事で現実感がないようだ。


 が、そこで誰かが「うおおおおおおおっ!!」と叫んだのを呼び水に、彼らは一斉に雄叫びを上げ始めた。


「ミサが倒したぞっ!! ミサが海竜を倒したぞおおおおおおっ!!」


 それから彼らはミサの元へとやってくると、彼女の小さな体を胴上げして喜びを露わにした。

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