第10話 ルーク
その次の夜も、さらにその次の夜もグラスは深夜になればミサの元にやってきて、彼女をお嬢様抱っこすると裏山へと連れて行った。
そしてミサが木刀を振るう姿を確認すると、ここをもう少しこうしろだとか、方に無駄な力が入ってるなどと的確かつややトゲのある指導をくり返した。
そんな指導が功を奏したのか鍛錬が始まって1ヶ月ほどのところで。
「やったっ!! 切れたっ!! 見て見てグラス。ちゃんと切れたわよっ!!」
彼女は初めて木を切断することに成功した。
「ようやく魔力の扱いになれてきたようですね。まずは第一歩を踏み出したという感じでしょうか」
ミサとしてはもう少し素直に褒めて欲しいと思わなくもなかったが、まあ一応は褒めて貰えたので満足しておく。
ということで無事木の切断に成功したミサだったが、グラスとの鍛錬は素振りだけではない。
「遅いです。遅すぎます。そんな足では猫一匹捕まえられませんよ?」
ミサに次に課せられたのは鬼ごっこだった。裏山を縦横無尽に走り回るグラスを追いかけ回す鍛錬。
グラスはミサに口酸っぱく『もっとも大切なのは基本魔法です』と説いた。
確かに属性魔法は派手ではあるが、属性魔法を使いこなすためにまずは基本魔法を完璧にする必要があるというのがグラスの考えのようである。
物を投げたり走ったりジャンプしたり剣で何かを切るにしても必要となるのは基本魔法である。魔術師にとって基本魔法は基礎体力のようなもの。これをおろそかにするようであれば立派な魔術師にはなれないそうだ。
そういう意味でもこの鬼ごっこはとても役に立つのだとグラスは言う。
それにしてもグラスの動きは凄まじく速い。地面を駆け抜ける速度はもちろんのこと、木の枝から枝に飛び移る速度にしても常人では何かが一瞬通り過ぎるのがわかるだけで、とてもじゃないがそれが人間の動きには見えないほどの速さだった。
それでもミサは食らいつく。決してグラスの背中を見失わないように全身に魔力を張り巡らせて地を駆け枝を飛び移る。
グラスが事前に言っていたように、確かに彼の鍛錬はかなりキツい。
が、そんなキツい鍛錬を受けているとき、ミサは充実感に満ちていた。
これまでミサの鍛錬は孤独との戦いだった。時折、ルリが『ミサさま凄いです~』と褒めてくれることはあったが基本的には自分との戦いだった。
もちろん今も自分との戦いであることに違いはないけれど、ダメだと指摘され、上手くいけば褒めてくれるグラスの存在は、ミサの人生を肯定してくれているようで嬉しい。
だから毎晩毎晩ミサは明け方近くまで必死に汗をかいたし、彼との鍛錬を一日たりともやすむことはなかった。
が、そんなミサの頑張りは思わぬところで弊害を生むことになった。
――眠い……とにかく眠い……。
それは日中の出来事である。いつものように朝から家庭教師のもと勉学に励んでいた彼女は睡魔の限界に近づいていた。
確かに夜中の鍛錬は楽しい。が、グラスとの鍛錬は明け方近くまで続くため、ここのところミサは慢性的な睡眠不足に陥っている。
しかも朝からは5歳児を対象とした簡単な国語や算数の授業が続くのである。
さすがにこんな生活を続けば体を壊してしまう。危機感を抱いたミサは家庭教師にとある提案をすることにした。
「授業中に睡眠? ミサさま、本気でおっしゃっているのですか?」
それは昼間の家庭教師との授業中に睡眠時間を確保するという方法だった。
我ながら性格の悪い提案であることは重々承知の上だったが、睡魔の限界だった。
そんなミサからの提案に家庭教師は頭を悩ませていたが、最終的に授業開始時にその日教える予定だった授業をまとめたテストを解いて合格点を出せば授業が終わるまで眠っても良いという許可をもらった。
ということでミサは毎日教師に出された問題をすぐに解いて、残りの時間を睡眠にあてることにする。
こうして睡眠不足の問題は解決した。
ちなみにミサ同様に明け方まで鍛錬に付き合っているグラスだが、彼曰く『睡眠など毎日1時間もとれれば十分です』ということらしい。
どうやらグラスはドの付くほどのショートスリーパーのようで睡眠不足の心配は全くないそうだ。
そんなこんなで昼は王女として、夜は魔術師見習いとして振る舞うことになれてきたある日の夕食のこと。
「ミサ、家庭教師の先生から聞いたぞ」
食卓で夕食を取っていたミサに父でありギート王国国王ザルバ4世が唐突にそんなことを口にした。
そんな父の言葉にミサの表情は凍り付く。
――まさか先生、私が眠っていることを告げ口したんじゃ……。
とにかく何か言い訳をと思考を巡らせていたミサだったが、父は不意に表情を緩めた。
――ん?
「成績がすこぶるいいそうじゃないか。先生はあまたの子どもを教えてきたがミサほど優秀な生徒はいないと言っていたぞ」
どうやら褒めてくれているようだ。
そんな父の褒め言葉に母親ナーシャの表情も明るくなる。
「ミサちゃんよく頑張ったわね。部屋に変な石を集めていたから少し心配だったけれど、家庭教師の先生がそう言うのなら安心ね」
ということらしい。正直なところミサとしては小学生レベルの勉強をやっているだけなのでやれて当然なのではあるが、褒められることは気分の悪いことではない。
両親に限らず城内でのミサの評判は上々だった。勉強は小学生レベルの授業を受けているだけなのでやれるのは当然だが、食事の作法や歩き方、さらには言葉遣いにいたるまで彼女は5歳とは思えないほどに粗相なくこなしている。
これらのことは前世でも母親から厳しく躾けられていたし、多生作法が違えどミサにとっては朝飯前である。
まだ5歳なのに王族としての立ち振る舞いをよく理解した頭の良い女の子。
それが一部を除いた城内の多くの人間の彼女への評価である。
とにかくミサは手のかからない子どもだと両親に印象づけさせて余計な干渉を避けるための努力をしているのだ。
「本当によくできた娘だ。来月の晩餐会にはお前も出席させて、貴族たちに披露しなきゃな」
などと上機嫌にミサを褒めながらワインを口につける父親。
が、そんな親子水入らずな光景を不服そうに眺める少年がいた。
「僕だってこの間グラスに剣の腕が上がったって褒められたんだ」
ミサの兄のルークである。
どうやら彼は両親が妹ばかりを褒める姿を見て嫉妬してしまったようだ。
不服そうに頬を膨らませるルークだったが、そんなルークに父ザルバは厳しい目を向ける。
「剣術などできて当然だ。それよりも最近学問の成績が芳しくないそうじゃないか。そんなのでは王国をひっぱる立派な大人にはなれんぞ」
などと父から言われルークはさらに不機嫌になる。
が、もちろん国王ザルバはルークのことが嫌いでこんなことを言っているわけではない。
ミサとザルバとでは求められるものの大きさが違いすぎるのだ。両親にとってミサは王位を継ぐ予定もなければ大人になれば誰かに嫁がせて家を出て行く存在だ。
が、ルークは違う。彼は次期国王である。父ザルバの厳しさはルークへの期待の裏返しである。
ミサが見ればそんなことは自明なのだが、幼いルークにはそのことはわからない。
ルークの目には両親は妹ばかり可愛がっていると思ってしまうのだ。
そして、不幸なことにルークの怒りの矛先はミサに向く。
数十分後、夕食を終えて自室へと戻ろうと廊下を歩いていたミサの元にルークがやってきた。
「あら? お兄様じゃない。どうしたの?」
何か一言言ってやらないと気が済まないという魂胆なのは丸わかりだが、とりあえずミサが笑顔を返すとルークはその笑顔すら気に入らないのかムッと頬を膨らませて彼女を睨んだ。
「ミサ、俺と決闘しろっ!!」
そして、ルークの口から飛び出したのがこの言葉である。
「け、決闘? お兄様、どういうこと――」
「良いから俺と一緒に裏庭まで来い」
そう言ってルークはミサの腕を掴むと彼女を裏庭まで引っ張っていった。
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