第9話 鍛錬

 なんの気の迷いだろうか。グラスはミサの魔術を黙認……どころか稽古まで名乗り出てくれるつもりのようだ。


 正直なところ渡りに船だった。


 なにせ今のミサにはもはや狭い寝室内でできる鍛錬など残っていなかったのだから。


 が、相手は真面目の権化のような若き騎士団長である。そんな彼が魔術を禁止するどころかミサに稽古をつけることなんてあるのだろうか?


「あんた、それ本気で言ってんの?」

「別に無理強いをするつもりはございません。ミサさまが望まれるのであれば鍛錬は即刻中止して、王女として適切な教育を受けて頂くつもりでございます」

「…………」


 よくわからないがグラスは本気のようである。


 だとすればミサには彼の申し出を断る理由はなかった。


「私は立派な魔術師になりたい。そのためだったらなんだってやるつもりよ」

「心意気は悪くありませんね。ですが私の稽古は甘くはありませんよ。少なくともルークさまはいつも泣きべそをかきながら鍛錬を続けておられます」

「やるわ。どれだけ厳しい稽古でも私は最後までやる。だってそれが私の生きがいだから」


 彼女にとって今や魔術が全てである。厳しい稽古で音を上げる程度の心意気ならば、とっくに全てを諦めて王女として何不自由のない肩書きだけの人形になっていた。


「わかりました。ではさっそく鍛錬を始めましょう」


 そう言ってグラスは木刀を片手に近くの木へと歩み寄ってく。


 そんなグラスの後を追い木の前までやってくると、グラスは「見ていてください」と一言木刀を構えた。


 そして、グラスの木刀はまるで閃光のように素早く振り下ろされる。


 振り下ろされた木刀を目を点にして眺めていたミサだったが、直後、彼女の目の前に我が目を疑う光景が広がった。


 バサリと葉の揺れるような音がしたと思ったら、グラスの目の前の大きな木は斜めにスライドして大きな音を立てて地面に倒れる。


「う、嘘でしょ……」


 木刀で木を切った? それも竹のような空洞のある木ではなく幅が50センチ近くありそうな巨大な木である。


 その現実を受け入れられないミサは綺麗な断面図を見せつける切り株とグラスの顔を交互に見やった。


「ど、どうして切れるのよっ!! 物理現象ガン無視?」


 そう尋ねるとグラスはすました顔で彼女を見下ろして「裏山中の木を浮遊させたミサさまに言われましても」と至極真っ当な返答をされる。


「ミサさまにはまずこの技を覚えて頂きます」

「いや、私はまだ5歳児よっ!? なにとんでもない技を覚えさせようとしているのよ」

「この技に体の大きさや筋力は関係ありません。必要なのは適切に無駄なく魔力を操ることだけです」


 グラスは平然とそう言った。


「ミサさまの魔力は確かに目を見張るものがございます。ですが、魔力を適切に制御しなければ宝の持ち腐れになってしまいます。この技は適切に無駄なく体や木刀に魔力を伝えること、さらには無駄のない木刀裁きが必要となります。無駄な動きは全て樹木の断面に現れますのでご自身の成果もすぐに目で理解できるかと」


 ということらしい。


 確かにグラスの言うとおりだとミサは思った。


 この世界において強さに性別や年齢、さらには筋力なんて関係のないことはミサ自身痛いほどよくわかる。


 なにせまだ5歳児の彼女が軽々と樹木を持ち上げて見せたのだから。


 もちろん筋力が全く必要ないかと言われればそうではないが、それよりも適切に使用するべき筋肉の魔神経に魔力を送り、無駄のない力を使用して最大限のパフォーマンスを出すことが最も必要なことである。


 そういう意味ではこの世界では力よりも技術がものを言う世界だ。


 グラスの言う通り、綺麗な木の断面を見ればグラスの木刀の動きに無駄がなかったのもよくわかる。


「では実際に切ってみてください」


 そう言ってグラスは隣の木を指さした。


「いや、さすがにいきなり木を切るなんて無理よ」

「もう根を上げるのですね。もう少し骨のある方だと思っていたのですが残念です」


 ミサを煽るグラス。そんなグラスの言葉にミサは闘志を燃やす。


「わかったわよ。やってやるわよ。こんな木一本簡単に切ってやるわ」


 彼女は木の前までやってくると、木刀を大きく振り上げた。


 当然ながらミサは前世含めて木刀に触れるのは初めてである。が、彼女には魔力があるし、魔神経に魔力を流す鍛錬は何度もくり返している。


 だから、自分を信じて力一杯木刀を振り下ろした……のだが。


 木刀が木に触れた瞬間、バキッと何かが折れる音がした。木刀を振り下ろしたところで木刀を見やると先端部分がなくなっていた。


 どうやら折れてしまったようだ。


 冷静に考えればこれでも十分に人間離れした力である。それは華奢なミサの体を流れる膨大な魔力のおかげ。だが、それだけでは木を切断することは不可能なようだ。


「筋は悪くありません。ですが、このまま同じように振っても暖炉の薪が増えるだけですね」

「…………」


 ミサの魔術はこれまで独学流だ。もちろん彼女は自分の魔力にそれなりの自信はもっているが、やはり熟練者から教えを請うことも時には必要なようだ。


「どうすれば木を切ることができるの?」

「反復練習ですね。私と一緒に素振りをして魔力の伝え方を学びましょう」


 ということでグラスとのマンツーマンレッスンが始まった。


「木刀を握った瞬間から、その木刀はミサさまの体の一部です。魔術を扱うときに魔神経に魔力を巡らせるように木刀にも魔力を注ぎ込みましょう。そうすれば簡単に木刀は折れません」


 そう言ってグラスはミサの折れた木刀の先端を握った。


「まだ冷たいですね。他人が木刀に触れたときに熱く感じるほどにしっかりと魔力を込めてください」

「こう……かしら?」

「本気でやってますか?」

「…………」


 どうやらグラスはこうやって教え子を煽る癖があるようだ。そんなグラスの煽りにイライラしながらも言っていることは至極真っ当なので、下唇を噛みしめて言われたとおりに頑張るしかない。


 こうしてミサは人生初の師匠という存在を手に入れることに成功した。

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