第8話 城を抜け出す

 ミサの部屋を後にしたグラスははやる胸の鼓動に思わず立ち止まる。


 にわかに信じがたい。こんなことあり得るのだろうか?


 それがグラスの偽らざる気持ちである。


 グラスが信じられないこと。それは自らが仕えるギート王国の幼き王女ミサ・グラント・ギートのことである。


 彼がこれまでもっていたミサの印象は、良くも悪くも王家の幼き箱入り娘というものだけだった。


 なにせ彼女はまだ5歳である。彼にとっては彼女が言葉を覚えたのも、立ち上がって城内を歩き回るようになったのもついこの間のできごとなのだ。


 確かに5歳にしては落ち着いており、細々とした所作や言葉遣いにも品があり、とても5歳とは思えないほどによくできた少女だとは思っていた。


 グラスにとって彼女の印象はその程度のもので、王家の娘である以上の印象は彼にはなかった。


 が、今宵、そんな彼のミサへの印象は180度回転することになった。


 彼女はとんでもない化け物なのかもしれない……。


 こんなことを王家の娘に対して思うことは不敬極まりないことは彼自身もっともよく理解しているが、それでも彼は彼女にそんな印象を持たざるを得ない。


 何度だって言うが彼女はまだ5歳児である。


 だから衛兵から裏山の木々が移動していると報告を受けたときも、まさかその原因がミサであるなんて全く考えていなかったし、木々を動かす魔力の根源が彼女の寝室から放たれた魔力であることがわかっても彼女を疑うつもりはなかった。


 が、グラスは見てしまった。


 窓から身を乗り出して魔導書を片手に右手を伸ばし、ありえないほど強大な魔力を裏山に送る少女の姿を。


 それでもまだ何かの間違いではないのかとグラスは思った。


 だからすぐに国王や王妃にこのことを報告することを躊躇ったのだ。もっとも仮に報告していたところで二人が信用するとは思わなかったが。


 本当にあの幼い少女が魔術を操っているのか? その疑問を解消するためにグラスは彼女の部屋を訪れた。


 そして、彼は彼女の魔術を目の当たりにした。


 まるで自分の体がおもちゃのように吹き飛ばされた瞬間に初めて彼は彼女が魔法を操るのだと確信した。


 しかも彼女がベッドに無造作に置いていた魔導書は、王立魔術大学校の授業で使用されるレベルのものだ。


 少なくともグラスには5歳の時点であの魔術所を読んで理解できるような人間に会ったことはない。


 それを例え王家の人間であっても化け物と呼ばず、なんと呼べばいいのだろうか。


 だが、それ以上にグラスには驚いたことがあった。


 それは彼女の気迫だった。


 さっきも言ったようにグラスのミサへの印象は落ち着いた淑女である。確かに5歳で気品を見せることができるのは手放しに凄いことだと思うが、彼女は王家の人間である。当然ながら厳しい躾をされているはずで大きな驚きはない。


 が、寝室で会った彼女の魔術への情熱や愛はとてもこれまでグラスが接してきた彼女と同一人物だとは思えなかった。


 なにせ彼女は魔術を奪われるぐらいならばこの世界からおさらばするとまで言ってのけたのだ。


 その目はどこまでも真剣で、彼女を否定すればその場で彼女は喜んで死を選ぶのではないかと恐怖してしまうほどだった。


 グラスは騎士団長として常に冷静でいられる自信はある。


 が、そんな彼の心をかき乱すほどに彼女の目には力があった。


 そしてその目の力はグラスの抑えるべき本能を呼び起こさせる。


 彼女を育てたい。


 不覚にもそう思ってしまった。彼女は才能の塊であることは火を見るより明らかだ。しかもまともな魔術教育を受けていない。


 彼女に基礎から魔術、武術を教えれば王国一の魔術師になるのではないか。


 よからぬ感情であることは理解している。それでもグラスには彼女の才能を無視することはできなかった。


 たとえその欲望が彼自身の破滅に繋がるとしても彼の心に湧き上がるパッションを抑えることはできそうにない。


 あの才能は潰してはいけない。


 結局、どれだけ頭を働かせてもグラスの中に出てくるのはその答えだけだった。


※ ※ ※


 グラスが再びミサの部屋を訪れたのは翌日の深夜のことだった。


 ミサは考えていた。


 確かにグラスの言うとおりこれ以上裏山を弄るのは止めた方が良さそうだ。本当に土砂崩れが起きて屋敷に被害が出てしまってはシャレにならない。


 が、他に魔力を鍛えられそうな方法は現状ミサには思いつきそうになかった。


 巨石移動は床が抜けそうだし、木を動かせば土砂崩れが起きる。ならばいったいどのようにして体内の魔力を消費すれば良いのだろうか……。


「ああもうっ!! どうすりゃいいのよっ!!」


 などとすっかり肩まで伸びた紅の髪をかき乱しながらうめき声を上げる。


 そんな彼女の寝室をノックしたのがグラスだった。


 ドアを開けると軍服姿のグラスは二本の木刀を持っていた。


 夜襲か? なんて一瞬思わなくもなかったが、どうやらそうではないらしい。


「ミサさま、ご無礼をお許しください」


 部屋に入ってくるなりそう口にしたグラスはおもむろにミサの小さな体を抱き上げた。


「え? わっ!? ちょ、ちょっとっ!!」


 その予想外すぎるグラスの行動に困惑しつつも軽い彼女の体はいとも簡単に抱き上げられ、お嬢様抱っこをされてしまう。


 が、グラスは彼女を下ろそうとはしない。彼は窓辺へと歩いて行くと窓を開けて周りを見渡して窓の桟に足を置いた。


 そして。


「きゃっ!?」


 彼は三階の窓から躊躇うことなく地面へと飛び降りると、そのまま裏山へと駆けていく。


 そのあまりのスピードに目を回すミサ。グラスに抱きかかえられたミサはそのまま凄まじいスピードで木々の間を駆け抜けていき、木々の伐採された広場のようなところにたどり着いたところで地面に下ろされた。


「な、なんなのよっ!! 王女を誘拐なんて処刑で済まされないわよ」

「ご安心ください。そのようなつもりはございません」

「だったらなんのつもり?」


 首を傾げるミサにグラスは持っていた木刀のうち短い方をミサに投げる。なんとかそれを受け取るとミサは騎士団長を見上げた。


「どういうこと?」

「ミサさま、木を移動させるだけが魔術ではありません。もしも立派な魔術師になることを志されるのであれば、武術とそこから得られる精神力も必要です」


 そう言ってグラスはわずかに笑みを零す。


 ミサがこの真面目の権化のような男の笑顔を初めて見た瞬間だった。

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