第7話 グラス騎士団長

 ミサに人生最大のピンチが訪れた。


 結局、無視をしてその場をやりすごす作戦が上手くいかないことを悟ったミサはガクガク足を震わせながらドアを開けると、そこには軍服姿の大きな男が立っていた。


 ブロンドの髪に宝石のように透き通った瑠璃色の瞳を持つ若き軍人。


 王国近衛騎士団長のグラスである。


「お休みのところ大変失礼いたします」


 そう言ってグラスは深々と頭を下げはするものの、躊躇う様子もなく部屋に入ってくると素早くドアを閉めてミサを見下ろした。


「こ、こ、こんな時間になんですか? 気持ちよく眠っていましたのに……」


 と、あくまで眠っていたことをアピールしながらもそう訪ねてみるが、グラスは何も答えずにじっと彼女を見つめるだけだ。


 その程度の嘘に私が騙されるとでも思っているのか?


 グラスの目はそう言っていた。


「なにが言いたいの?」


 ということで開き直ったような態度でグラスを睨みつけると、彼は「はぁ……」とため息を吐いた。


「単刀直入に申し上げます。裏山の木々の植え替えをお止めください」

「…………」


 やはりバレていたようだ。


 が、このことを認めるわけにはいかない。


「植え替え? グラスが何を言っているのか私にはわからないのだけど」

「ここのところ裏山の土が酷く荒れています。このままでは土砂崩れが起きる可能性もございますので、直ちにお止めください」

「何を言っているのかわからないわ。裏山の木の植え替え? 5歳の私にそんなことできるわけないじゃない……」

「私も初めはそう思いました。ですが、城の警備をしている者が夜な夜な裏山の木が浮遊しているのを目撃したと報告があり、ここ数日、その原因を探っておりました」

「あら、そんなことがあったのね。けれど、それと私に何の関係が?」

「初めは移動性の魔木まぼくが繁殖しているのではないかと疑いました。が、庭師によると山に生えているのはいたって普通の木だそうです。ならば、何者かが魔術でこのような真似をしていると考えるのは普通です。そして裏庭の木々を浮かせるほどの魔力の根源を探った結果、この部屋にたどり着きました」


 グラスの推測は完璧に正しかった。


 なにせその木の浮遊事件の犯人は紛れもなくミサなのだから。


 が、それでもミサには認めるわけにはいかない。このことが両親にバレでもしたら何が起こるかわかったものではない。


 ミサにはこの生きがいである魔術の鍛錬を手放すわけにはいかないのだ。


 幸いなことにミサはまだ5歳だ。仮にグラスがこのことを両親に言いつけたところで、それを信じることはないだろう。


 何度も言うがまだミサは五歳である。それに正式に魔術の鍛錬を受けたこともない彼女が山の木を丸まる浮遊させているなど、いくらグラスの言葉でも信用しないだろう。


「いかにしてこのような魔術を?」


 が、グラスはミサが犯人だと確信するようにそう尋ねてきた。


「知らないわ。あなたは私を犯人に仕立て上げたいみたいだけれど、5歳児の私にそんなことができると本気でお思いになっているの?」

「私だって信じられません。ですが、それ以外にないかと」


 そう話すグラスだったが、ふとベッドに視線が向き驚いたように目を見開いた。


「こ、これはまさか……」


 グラスの視線の先にはベッドの上に無造作に置かれた魔導書。


――しまったっ!!。


 ベッドへと向かって一目散に駆けていくグラスの姿を見たミサは思わずグラスへと右手を伸ばす。直後、グラスの体は宙を舞って壁めがけて吹き飛ばされた。


――や、やってしまった……。


 即座に自分の行いを後悔するミサだが後の祭りである。壁に強く打ち付けられその場に崩れ落ちたグラスは引きつった笑みをミサに向ける。


「ミサさま……今のは……」

「…………」


 ダメだ。もうどうやっても言い逃れなんてできない。そのことを悟ったミサはグラスへと歩み寄ると「ごめんなさい……怪我はなかったかしら?」と彼の顔を覗き込む。


「信じられない……」


 グラスは壁に打ち付けた肩を摩りながらそんなことを呟く。が、ふと我に返るとミサへと視線を向けた。


「ミサさま――」

「お願いグラスっ!! 私を見逃してっ!!」


 ミサの心からの願いである。


 ミサには魔術しかない。魔術という生きがいを奪われてしまったらミサにはこの世界で生きる意味が失われてしまう。


――お願い……私から魔術を奪わないで……。


 訴えるようにミサはグラスを見つめる。そんなミサをグラスはしばらく黙って見つめ返していたが不意に「はぁ……」とため息をついた。


「しかし魔術を鍛えていったいどうするおつもりですか?」

「そんなの私にだってわからないわよ。ただ、魔術は楽しい。この世界のどんなことよりも楽しい。だから、私から生きがいを奪わないで」

「陛下やナーシャさまにバレればただでは済みません。それでもお続けになられるつもりですか?」

「それでも私は続けるわ。だって魔術が使えなければ私にとっては生きている意味なんてないんだもの」

「…………」


 それがミサの偽らざる心である。


 前世で、そして今世でも窮屈な人生を送ってきたミサ。社長令嬢として、そして王女としてあるべき振る舞いを強制される彼女にとって魔術こそが、生まれだけで決められた理不尽な状況に対するささやかな抵抗だ。


 その抵抗すら奪われてしまったらミサはただ肩書きを背負っただけの人形になってしまう。


 人形としてただ過ぎゆく時間を、人生を続けることにいったい何の意味があるのか?


「あんた止めても私は魔術をやめない。もしも強引に私から魔術をとりあげるのならば、相手が誰でも私は躊躇わずにこの世界からおさらばするから」

「…………」


 その問いかけにグラスは何も答えなかった。


 しばらく彼女を眺めていたグラスは立ち上がると自分の半分も身長のないミサを見下す。


「茨の道ですよ?」

「それは覚悟の上よ」

「もしかしたら周りの人間にも迷惑をかけるかもしれない」

「それは困るけど、そうならないように全力はつくすわ」

「この部屋で鍛錬をお続けになるつもりですか?」

「現状はそうする他ないわね」


 立て続けにミサにそう尋ねたグラスは「わかりました」と返事をして、軍服の襟を正すと「では、私はこれで」とミサに背を向けてドアへと歩き始めた。


「パパやママに言いつけるつもり?」


 その問いにグラスは答えなかった。が、ドアの前までやってくると足を止めてミサを振り返る。


 そして、


「これから私はミサさまの共犯です。その覚悟だけはお忘れにならないよう」


 そう言い残すとグラスはドアを開いて寝室を出て行ってしまった。


「ど、どういうことよ……」


 グラスの言葉の意味は理解できなかったが、とりあえずミサの行動は不問にされたようである。


 ドアをしばらくじっと見つめてからミサは「ふぅ……」と胸をなで下ろした。

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