第3話 舎弟
「ちょ、ちょっとルリっ!! 静かにしてっ!!」
さすがに生後3ヶ月の赤ん坊が流ちょうな言語を操るのは不気味すぎたようだ。
半ばパニック状態になったルリはミサを放り投げそうな勢いだったが「とりあえず落ち着いてっ!! ルリ、聞いてる? ドードー」と人差し指を唇に当てながらなだめると、彼女は過呼吸ながらもようやく落ち着きを取り戻す。
「み、ミサさまがしゃべってる……」
「どう? 驚いた?」
「驚いたなんてものじゃないですよっ!! ど、ど、ど、どうして、話ができるんですか? ミサさまがお生まれになってからまだ3ヶ月しか経ってませんよ?」
「そんなことは今は重要じゃないの。それよりも私の話を聞いて」
きっとルリの目にミサは化け物にでも見えているだろう。少なくともミサならばそんな不気味な赤ん坊がいたら放り投げて逃走する自信がある。
とりあえずは放り投げられなくて良かったとミサは胸をなで下ろした。
「そのような流ちょうなお言葉をどのように覚えられたのですか?」
「え? そ、それはその……見て聞いて学んだのよ」
「すぐにナーシャさまにお伝えしなければっ!!」
そう言ってルリはミサを抱えたまま寝室を後にしようとするので、慌ててそれを止める。
「ちょっと待ってっ!! 私が話せることはお母さまには秘密にしておいてっ!!」
「ど、どうしてですか?」
「自分の娘が生後3ヶ月でここまで普通に会話できるなんて知ったら気持ち悪いって思うでしょ?」
「え? ま、まあ……たしかに……」
ルリはコクコクと頷いた。
が、すぐにミサに視線を向けると首を傾げる。
「そ、それよりも良いのですか?」
「いいって何が?」
「このままだとミサさまが初めて名前を呼ばれたのが国王陛下でもナーシャさまでもなく私ということになってしまいますが?」
「え? そ、それがどうかしたの?」
「陛下とナーシャさまは、ミサさまが先にどちらの名前を呼ぶか賭けておられましたよ……。それなのに初めて名前を呼んだのが私だなんて……」
ミサにとっては死ぬほどどうでもいいことだった。
「そ、それよりも私の話を聞きなさい」
「え? あ、はい……」
ということで本題を話す。
「あなた、このままだと城内での立場がかなり危うくなるわよ……」
「ええ? ど、どうしてですか?」
「ミセラ夫人が言ってたの。あなたの仕事ぶりは最悪だって。このままだと裏庭の豚の世話係にするかもって」
「ぶ、ぶ、豚さんの世話ですかっ!?」
ルリの表情がみるみる青ざめていく。
ちなみにミセラ夫人とは例のお局の名前だ。
「そ、それ、本当ですかっ!?」
「ええ本当」
もちろんこれはミサの創作である。ルリに自分の立場が危ういという危機感を持たせるための作戦である。
「私はルリが大好き。だからルリにはずっと側で私の世話をしていて欲しいの」
「私もミサさまが大好きですよ。ですから、ずっとミサさまの成長を見守っていたいです」
「ならば今のままではダメよね?」
「そうですが……私、あまり器用な方ではないですし……」
「それは安心して。ルリの仕事のやり残しは私が目を光らせて監視しておくから」
彼女のミスはいつも一緒だ。これまでは言葉が話せることを隠していたので、いちいち指摘していなかったが、彼女がどこでミスをして怒られているのかはミサの頭にしっかり入っている。
そんな頼もしいミサの言葉にルリは目をキラキラさせた。
「み、ミサさま……」
が、別にミサはルリを立派な使用人にするために監視に名乗り出たわけではない。
「その代わり、私に文字の読み方を教えて欲しいの……」
「そんなにすらすらと話せるのに文字は読めないんですか?」
「生後3ヶ月の赤ん坊が文字を読めるとでも思っているの?」
「そんなに流ちょうに言葉を操るミサさまが言っても説得力がないのですが……」
「細かいことはいいのよ。とにかく、私に字の読み書きを教えること。それがあなたのお手伝いをする条件よ」
実はこの世界の文字は日本の文字とは違う。というのも、ゲーム内に登場する文書にはミミズが這っているようなめちゃくちゃな文字が記されていたからだ。
おそらくこれはゲームの制作陣がそれっぽい筆記体の文字を適当に描いただけなのだろうが、残念なことにこの世界の文字にもこのミミズが這ったような文字が使われている。
このままでは魔導書を読もうにも文字が理解できない。
が、まだ会話すらできないと思われているミサが、母親に文字の読み方を教えろと頼むわけにもいかない。
だから、その役目をルリに頼むことにしたのだ。
「か、構いませんが……そんなに早く文字を覚えてどうするつもりなんですか?」
「それは内緒。それよりもどうする? 私の話に乗る?」
「ぶ、豚さんのお世話は大変そうなのでがんばります」
ということでルリはミサの舎弟第一号となった。
※ ※ ※
会話ができることってこんなに楽しいことなのか。ミサはルリという城内で唯一の会話相手を手に入れたことによって会話の楽しみを再確認した。
「ルリ、窓の桟に拭き残しがあるわよ。ミセラ夫人に前にしかられたばかりでしょ?」
「は、はいっ!!」
「ルリ、悪いけれどおむつを取り替えて」
「はいっ!!」
その日からミサはルリの一挙手一投足に目を光らせて、彼女の仕事のやり残しをいちいち指摘するという嫌な役回りをすることになった。
「ミサさま……これでどうでしょうか?」
「本棚の掃除は完璧?」
「完璧だと思います……」
「本棚の裏の掃き掃除は?」
「え? あ、まだですっ!!」
「ミセラ夫人はそういうことろを見逃さないわよ」
「はわわっ!! すぐにやりますっ!!」
毎日毎日、彼女の仕事に目を光らせては、一つ一つ虱潰しにミスを潰していった。
そして、夜は逆にルリから教えを請う。
「これが五十音と呼ばれる文字です。まずはこれを全て暗記してください」
「ええ? この文字とこの文字って同じ形じゃないの?」
「全然違いますよ。こちらの文字は少しかくかくしていますが、こっちは少しなめらかだと思いませんか?」
「そ、そうかしら……」
ミミズのような文字はミサには全て同じ文字にしか見えなかった。が、これがこの世界の文字なのだとしたら覚えるほかない。
毎晩のようにルリから出される文字当てクイズに答えていき徐々に一つ一つの文字の違いを把握していった。
そんな生活が始まって数週間ほど経ったある日、五十音の文字と睨めっこしてたミサの元に何やら上機嫌そうなルリが入ってきた。
「ミサさまミサさまっ!!」
とミサの名前を大声で叫ぶルリに、ミサは文字表を置いて彼女を見やる。
「な、なにか良いことでもあったの?」
そう尋ねるとルリは激しく首を縦に振る。
「は、はいっ!! 私、ミセラ夫人に褒めて頂きましたっ!!」
「え? それだけ?」
「ミサさまはご存じないかもしれませんが、これ凄いことなんですよっ!! 少なくとも私はミセラ夫人が使用人を褒めたところを見たことがありません」
そう言われてみればミサもあのお局が使用人を褒めているところを見たことがなかった。
「私の名前を挙げて、他の使用人たちに私みたいにしっかり働けと言ってくださいましたっ!!」
いったいそれの何が嬉しいのかはミサにはわからない。が、ルリがここまで喜ぶのならばそれは喜ばしいことなのだろう。
だから、
「ルリ、ちょっとこっちに来なさい」
そう言ってルリを呼び寄せると彼女の頭に手を置いた。
「よく頑張ったわね。これに満足することなくこれからも一生懸命頑張りなさい」
だから、ミサも彼女を褒めることにした。
まだ0歳児の子どもが十代の年上の人間を褒めるのもどうかと思わないでもなかったが、そんなミサの言葉にルリの表情はさらに明るくなる。
「ミサさまからも褒めて貰えましたっ!! 私、これからも一生懸命頑張りますっ!!」
「じゃあ、これからもうひと頑張りしてもらおうかしら」
「もうひと頑張りですか?」
「私を書庫に連れて行って欲しいの」
文字をある程度読めることができるようになったミサは、そろそろ魔導書に手をつけることにした。
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