第2話 現状分析

 ミサキが転生して3ヶ月が経った。


 とりあえず彼女はこの3ヶ月間を現状分析のために使うことにした。


 まずは根本的なところから。大学生としてある程度自由な生活を送ることができると浮かれていたミサキは暴漢に襲われてあっさり死んだ。


 このことを客観的に裏付けるような証拠を彼女は持ち合わせていないが、少なくとも彼女にはそれが夢や幻の類いだとは思えなかった。


 だとすればおそらく彼女は死んだのだ。そして、目を覚ましたら生後間もない赤ん坊になっていた。


 今は多くの時間をゆりかごの中で過ごしている。


 本当ならば家中を歩き回って、いろんな物を観察したいけれど、今の彼女はまだ首がすわったばかりなので、しばらくはゆりかご内で見聞きした情報を頼りに考えるしかない。


 が、それでもかなり多くの情報を仕入れることができた。


 まずは目を覚ましたときに自分を抱いていた赤い髪を持つ綺麗な女性が自分の母親らしいということ。


 彼女の名前はナーシャ・クラント・ギートという名前でこのギート王国の王妃である。


 つまりミサキはこのギート王国の王女であり、しかも長女なので第一王女ということになる。


「………………」


 この事実を知った時点で彼女のテンションはだだ下がりした。


 元財閥企業の娘として窮屈な生活を送ってきた彼女が転生した先が王国の第一王女。


――神様はきっと私のことが嫌いだ……。


 せめて生まれ変わったら貧乏でも自由な生活をという彼女のささやかな願いはここに見事に砕け散った。


 ちなみに今のミサキの名前はミサ・クラント・ギートである。


 その事実だけで生きることがおっくうになってきたミサキ改めミサだったが、手に入れた情報は悪いことばかりではない。


 ギート王国。


 彼女はその名前に覚えがあった。


 彼女がその名前を初めて目にしたのは中学のときのことである。その当時の彼女は期末試験で学年トップを勝ち取り、家族の目を盗んでゲームに勤しんでいた。


 そのゲームの名は『レビオンクエスト』である。このゲームは主人公の勇者が仲間たちと旅に出て、魔王を倒してレビオン王国の王女を救う物語。


 その道中で仲間になるヒーラーの出身地がギート王国だった気がする。


 ようするにゲーム内では名前しか出てこないモブ王国だ。


 だけど、このゲーム内で名前が出てくるギート王国とミサの生まれたギート王国は同じなのだろうか?


 たまたま同じ名前だと片付けてしまうことは簡単だけれど、彼女にはこの世界がゲームの中なのではないかと疑う理由がいくつかあった。


 まずは彼女の顔を拝みに来た王国騎士団長が持っていた杖だ。


 グラスと名乗った軍服姿のその男の手には長さ1.5メートルほどの杖のような物が握られていた。


 杖の先端にはサファイアのように赤く輝く石がはめ込まれており、ゲーム内で魔術師が持っていた杖とよく似た形をしている。


 これだけでもゲームの中だと確信するには十分だったが、他にも根拠はいくつかあった。


 この城の人間は皆日本語を使っている。


 これもゲームと同じ。


 たまたま別の世界の人間が全く同じ言語を話すことなんてあり得ることなのだろうか?


 ミサにはそのことはわからないが、この世界の人間は『ナイフ』『フォーク』『ミルク』などの和製英語まで日本人と同じ言語を使用している。


 少なくともそんな奇跡的な一致をミサは信じない。


 が、この世界がゲームの中だとすれば何もおかしなことはない。


 なにせ『レビオンクエスト』の登場人物は皆日本語で会話をするのだから。


 だから、彼女はこの世界を中学時代にプレイしたゲームの世界だと思うことにした。


 ギート王国の第一王女というとても自由な生活ができそうにない身分に生まれてしまったことを除けば、これは胸が躍る展開だ。


 なにせ彼女は剣や魔法の世界で自由に旅することを夢見ていたのだから。


 ならば、やるしかない。せっかくこんな世界に生を受けたのだ。


 こんなのきっとまたとないチャンス。そのチャンスを掴めずに前世同様に将来を全て両親に決められるような退屈な人生を送るのはまっぴらごめんである。


 今度こそは自由な人生を手に入れてやる。


 彼女の闘志が燃え上がった。


 が、そのためには色々と準備が必要だ。


 ということで……。


「う、うぅ……おぎゃあああああああっ!!」


 ゆりかごの中で眠るミサは大声で鳴き声を上げる。すると、室内で掃除をしていたメイド服姿の少女が慌ててゆりかごに駆け寄ってきた。


「み、ミサさまっ!? どうしましたかっ!?」


 慌てた様子の彼女は、ゆりかごからミサを抱き上げるとポケットからガラガラを取り出してミサをあやそうとする。


「ほ~らミサさま~。ミサさまの大好きなガラガラですよ~。良い子だからもう一度おねんねしましょうね」


 と、ミサにガラガラを見せつけて寝かせつけようとする使用人。


 彼女の名前はルリという。ゆりかごから会話を盗み聞きした情報によると、彼女は男爵家の令嬢らしいが第6子ということで、この家で奉公をさせられているようだ。


 年齢は知らないが見たところ15~6歳ほどの少女だ。


 ミサの身の回りの世話は主にこのルリが行ってくれており、ミサは母親ナーシャよりも何倍も長い時間を彼女と送っている……のだが。


「おぎゃあああっ!! おぎゃあああああっ!!」


 なんというかこのルリはかなりのポンコツである。


 ミサは親切心から鳴き声を上げるときは声のトーンを変えて泣くようにしていた。


 これは鳴き声の変化をつけて要求が『おむつ変えて欲しい』なのか『ミルクが飲みたい』なのかわかるように配慮しているのだ。


 ちなみに今の鳴き声はミルクをくれである。


 が、ルリはミサの世話を始めて三ヶ月近く経つというのに未だに泣き方の変化に気づいてくれない。


 それだけならばまだ良いのだが、部屋の掃除をするにしてもいつも掃き残し、拭き残しがあり、上司のおつぼねから叱咤される姿をよく目にする。


『何回同じことを言わせるのかしら? それでも貴族の娘なの?』


 彼女自身必死に仕事をしているのがわかるだけに、お局から嫌みったらしく叱られるルリの姿を見るのはなんとも胸が痛い。


 が、そんなルリを見てミサは彼女ならば利用できると思った。


 どこまでも純真無垢な彼女ならば上手く手懐けることができる。


 そう確信した彼女はこの3ヶ月、必死に練習した成果を彼女に披露することにした。


「ルリ、私はミルクが飲みたいの。最後に私がミルクを貰ったのは3時間前よ。そろそろ喉がガラガラなの」


 これが彼女の練習の成果である。


 生まれたばかりのミサはとにかく上手く舌が回らなかった。だから、生まれてからずっと舌がなめらかに動くように毎日毎日ベロベロと舌なめずりをくり返して呂律が回るように鍛えた。


 そんな彼女にナーシャやルリは時折不気味な物を見る目を向けてドン引きしていたが、ミサは気にせずに訓練を続けた。


 その結果、ここのところようやく前世のようになめらかに会話をすることができるようになったのだ。


 大人顔負けの滑舌を披露してドヤ顔をするミサだったが、そんなミサを見たルリの目は点になる。


「え?」

「聞こえなかった? 私は喉が渇いたの。だからミルクを持ってきて」

「ええええええええええええええええええっ!!」


 ルリの叫び声が寝室にこだました。

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