知足安分
三鹿ショート
知足安分
私は、己がどのような存在であるのかということを理解している。
学がないからこそ単純な仕事に就き、異性の目を奪うほどの魅力的な人間ではないために、同じような女性と交際している。
欲を言えば、美しい女性と贅沢な生活をしたいところだが、それが叶うわけがないということは分かっていた。
ゆえに、不満ではあるものの、現在の状態に満足するように、自分のことを騙しながら日々を過ごしていた。
だが、自分よりも劣っている彼女のような人間が存在するということは、考えたこともなかった。
***
彼女のような佳人が、何故このような職場で働くことを決めたのか、私を含めた全ての社員が、同じことを考えているだろう。
しかし、働き始めてから、その意味を理解することができた。
彼女が優れているものは、外見だけだったのである。
新入社員ゆえに仕方が無いとはいえ、彼女は初歩的な作業も満足に実行することができなかった。
数日は仕方が無いと誰もが考えていたが、それが半年も続けば、社員たちは彼女の外見で誤魔化されることはなくなり、怒りを示すようになっていた。
彼女は謝罪の言葉を吐くが、常に笑みをうかべていたことが、火に油を注ぐことになった。
やがて、彼女の教育は私に一任された。
おそらく、彼女を除いた社員の中で、私が最も弱い立場であることが理由なのだろう。
分かっていたことであるために、怒りを抱くことはない。
私は彼女の失敗を補う日々を過ごすことになったのだが、他の社員のように、彼女を叱ることはない。
失敗することが分かっているのならば、それを当然だと考えることで、余計な力を使う必要がなくなり、そのことにより、疲労を感ずることもなくなるのである。
それは私のための行動だったのだが、彼女はどうやら私が優しい人間だと勘違いしたのか、迫ってくるようになってしまった。
見目だけは良いために、悪い気分ではなかったが、私には既に恋人が存在している。
他者より劣っている人間が恋人を裏切るなどという自身の価値をさらに落とすような真似をするわけにはいかなかった。
だからこそ、私が彼女を受け入れることはなかった。
だが、諦めが悪い彼女が私に近付くことを止めようとはしなかったために、私は恋人を裏切るわけにはいかないのだと伝えた。
その言葉を耳にすると、彼女は私の手を握りしめながら、
「それならば、一度だけで良いのです。一度だけ、私のことを愛してくれませんか」
「それで、きみは諦めるのか」
私がそのように問うたところ、彼女が首肯を返したために、私は仕方なく、彼女と共に宿泊施設へと向かった。
***
私と関係を持ってから、彼女が迫ってくることは無くなった。
どれほど学が無かったとしても、約束を守るということは出来るらしい。
それでも、仕事が出来ないということに変わりはなかったため、とうとう彼女は首を切られることとなった。
そのことには慣れているのか、彼女は不満を口にすることなく、あっさりと職場を去った。
それから私は、彼女とは会っていない。
***
呼び鈴が鳴ったために応ずると、其処には一人の少女が立っていた。
何の用事かと問うと、少女は私が父親であるということを伝えてきた。
突然の言葉に反応することができなくなってしまった私に対して、少女は手紙を渡してきた。
中身を確認したところ、どうやら眼前の少女は、彼女の娘であるらしい。
一度だけの関係によって、彼女は新たな生命を宿したということなのだろうか。
しかし、今さら私に何をしろというのだろうか。
手紙をさらに読んでいくと、彼女の娘の世話をしてほしいということだった。
その理由は、彼女が不治の病であり、娘の面倒を見続けることができないからだということらしい。
事情は理解したが、私には私の生活が存在している。
今や私にも妻と子どもが存在しているために、裏切り行為によって誕生した娘と共に生活をしたいなどと告げることは、出来るわけがない。
ゆえに、私は知り合いに連絡し、眼前の少女を預かってもらうことにした。
数分後に現われた知り合いは、少女のことを頭から足の先まで観察した後、
「上等だが、本当に金銭は必要無いのか」
その言葉に、私は首肯を返した。
「二度と外の世界に触れることがないようにしてほしいだけだ。私にとって、存在自体が厄介なのだ」
私がそのように告げると、知り合いは笑みを浮かべた。
「約束せずとも、商品の全ては、陽の光を浴びることはない」
それから私は、少女に対して、我が家で預かる準備が出来るまで私の知り合いの家で過ごしてほしいと告げた。
少女は何の疑いもなく頷くと、私の知り合いと共に姿を消した。
罪悪感など、存在していない。
何故なら、私は優れた人間ではないのだから。
知足安分 三鹿ショート @mijikashort
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