水族館【KAC③ぐちゃぐちゃ】

 通知音に何気なくスマホを確認したかく 弥生やよいは焦った。

 クラスメイトの桃野ももの 美月みつきが、自分宛に招待を送ってきている。

 事務連絡用にとクラスLIMEに強制加入させられていたが、個別に連絡を取り合うような友人など居ないまま、高校生活を終えようとしていたところなのだ。


 それが、この桃野という女は、書店で偶然会った時に「私と、春休み一緒に遊ぶ?」と突然言い出し、実際卒業式後にそのままゲームセンターへ連行された。

 もう一月もしないうちに、別々の大学へ進むというのに、どういうわけか今さら「遊ぼう」と弥生を誘ってくるのだ。


 本棚の端に置いたアパトサウルスのぬいぐるみが目に入り、仕方なしに弥生は招待を受けた。

 案の定、2人だけのグループLIME部屋ができている。

 『よろしくね』という、ゆるい絵柄のスタンプが送られてきたので『よろしく』と文字で返す。

 即既読がついて、即メッセージが飛んできた。


『明日、水族館行こうよ』

 

 は? と思わず声が出た。最寄りの水族館でも電車で小一時間の距離だ。

 そこにわざわざ出向いて、遊ぼうというのか?


 迷った末にとりあえず打ち込む。

『なんで?』

 ポコと音がして、自分の書いたものが画面に文字で表示されると、いや「なんで」ってことは無いよなと弥生は頭をかかえる。

 そもそも美月がクレーンゲームで取ってくれたぬいぐるみのお礼に、もう一度はどこかで会わなきゃなと思っていたわけだし。渡りに船とはまさにこのことじゃないか。


 地図と水族館のホームページのURLが続けて送られてきて、最後に美月からの言葉が届いた。

『11時に現地集合で!』

「全然こっちの質問に答える気、無いだろ」

 言いながら弥生は頬がゆるむのが抑えきれない。それでも指先は踊るように『了解』の文字を返した。


「あ……何着て行けば……?」

 慌ててクローゼットの前に立って、中をひっかきまわしはじめた弥生の後ろでは、美月から送られた『やったぁ、楽しみ』というスタンプがはしゃいでいた。




 強い海風に、ふくらんだスカートを片手で抑え、少女はもう片手を高く上げた。 

「弥生くーん」

 おそらく入念に整えたのであろう髪が、この風でぐちゃぐちゃに乱れているのを見て、弥生は思わず小走りになる。

「中で待ってればよかったのに」

「おー、私服初めて見たかも。いいね」

 相変わらず少しピントのずれた返答をしてくる美月は、黒のデニムと白い春ニットの上にグレーのジャケットというモノトーンのお手本のような格好の弥生を褒めた。


「そっちこそ、そんな浮かれた格好して寒くないの? 海獣館も、ペンギンショーも外らしいよ」

 美月のふわふわと広がる柔らかそうなスカートが直視できない。

「あはは、予習もバッチリだね、じゃ、行こうか!」

 トンと腕を叩かれた時、そのまま手をつなぐんじゃないかと思ったほど、美月は横にぴたりと寄り添って歩き始める。

 気恥ずかしくて、少しずつ右へ逸れながら弥生は水族館の入り口へさしかかった。


「お、来た。これで団体料金の人数達成だね」

 混み合っているなと思っていたチケットカウンター前の団体が、同じ高校の3年生のメンツだということに気付いて、弥生は一瞬で表情を曇らせる。

「桃野さん。これ、どういう……」

 弥生のこわばった問いは、まとめ役の女子の「早く全員チケット買っちゃって」と言う声にさえぎられて、美月には届かなかった。


 薄暗い館内を、ぞろぞろと歩いていく。美月はクマノミの水槽をのぞき込んで、他の女子たちとキャッキャと笑っていた。

 途中に置かれている椅子に座って、弥生はその様子を見るともなく眺めている。


 確かに水族館なんて場所は、家族連れか、旅行か、さもなくばデートで来るところだ。

 弥生と美月がふたりきりで来るような理由は何ひとつ無く、彼女からのメッセージを見返しても「水族館へ行こう」としか書かれていない。


「あ、いたいた! あっちに綺麗なエビがいたよ、見に行こう」

 美月が駆け寄ってきて、水槽を指さす。

「僕はいい。みんなと見て回りなよ」

 えぇ? せっかく一緒に来たのに、と頬をふくらませても、まるで表情を変えない弥生に、美月はしおしおと眉を下げた。

「弥生くん、何か……怒ってる?」

「別に」

「でも……」


「桃野、ほっとけほっとけ」

 いつのまにかクラスの男子が美月の後ろまで来て、座っている弥生を見下ろしていた。

「ずっとこういうヤツじゃん。何でわざわざ角のこと誘ったんだよ」

 問われた美月の返答に、うつむいたまま弥生は耳をそばだてる。

 そうだ、何で、僕を誘ったんだ。


「だって、クラスメイトだから」 

 

 そのあっさりとした言葉に、弥生は心臓が凍ったような気がした。全身がカチコチになって動けなくなる前に立ち上がって、出口へ向かって歩き出す。

「待って、弥生くん、どこいくの?」

「帰る」

 やよいくん! と追いすがる美月を、何人もの女子が「やめなよ」と止めている声。弥生は逃げるように水族館を後にした。




 帰り道のことはよく覚えていない。

 重い足をひきずってようやく家にたどり着くと、弥生の母親が鍵を開けに玄関先まで出てきた。

「おかえり、早かったのね」

「うん」

 返事をするのもおっくうな気分で靴を脱ごうとした弥生は、ビニール袋に押し込まれているものを見て、ヒュッと息を呑んだ。


「制服、ゴミに出すの?」

「もうこのブレザーはこんなもの着ないでしょ」 

 そう聞こえたのは、弥生の被害妄想だ。


 父も母も、姉も兄も、このあたりで一番偏差値の高い公立高校へ通った。親子二代でお揃いの真っ黒な学ランとセーラー服を着た。

 弥生が、弥生だけが高校受験に失敗して、こんな灰色のブレザーを着ることになったのだ。


「着るよ、大学の合格発表の報告があるから」

「もう卒業したんだし、私服でもいいじゃない」

 めんどくさいわね、というような母親の声に、ついに絡まりきっていた弥生の頭が沸騰した。


「そりゃあ、母さんにとってはゴミみたいな学校の制服だろうけど、僕の3年間を、何も今、捨てなくてもいいだろ」

 涙で詰まりそうになった声にあわてて口をつぐむ。

 これが無くなったら、僕は彼女のクラスメイトですらなくなる。そんなバカなことが脳裏をよぎった。


 「……弥生」

 母親に戸惑ったような声で呼ばれると、これはただの八つ当たりだと気づく。それがなおさら弥生をいたたまれなくした。

 乱暴にドアを閉めて、家の前の道をがむしゃらに走り出した。

 すぐに息があがって、ぬるい春風に背中が汗ばむ。

 それでも、どこまで走っても、凍った心臓は温まらなかった。



==コメント==

綾森れん様@『男装の歌姫』👑第二幕開始!

2023年3月15日 03:11


ああ。これはつらいですね。

二人きりなのかと思って、自分だから誘われたのかと思ったら、クラスメイトだったから。


美月、明るいリア充だけど、ちょーっと陰キャへの配慮が足りませんな!笑


作者からの返信


綾森れん様

私が同じテンションで誘われたら、オシャレして行っちゃいますもん。

「あ、みんなも一緒ね。うん、分かってた分かってた」

って、全力で取り繕いますけれども。


上田 直巳様

2023年3月13日 07:17


LIME…一瞬スルーしてしまいました。アイコンの色は、本家より少し黄味がかっているのかな…

この状況だと、弥生くんそりゃあデート期待しちゃいますね!


作者からの返信


上田 直巳様

確かに、きっとちょっと黄緑だと思います。

他の方のところで拝見して、なるほどうまい伏字だと感心したので真似させていただきました。

これは美月の誘い方が悪いですよねぇ。


あまくに みか様

2023年3月8日 08:50


連作とは知らず、この作品から読ませていただいたのですがそれでも弥生くんの心を思うとこちらの感情もぐちゃぐちゃになってきました…

一番最初から読んできます!!


作者からの返信


あまくに みか様

短編書けって言われてるのに、連作とかめんどくさいことを……。

最初まで読みに行って下さってありがとうございます。嬉しいです!


下東 良雄様

2023年3月7日 21:09


コメント、失礼いたします。


胸が痛い展開ですね…

この後のお題次第なところはあると思いますが、

弥生くんに良い思い出を… 何卒…


作者からの返信


下東 良雄様

どう、ぐちゃぐちゃにしようか悩みましたが、やはりここは高校生。

分かりやすく、ぐちゃぐちゃさせてみました。

次のお題も、難しいー!


ハマハマ様

2023年3月7日 14:54


風に吹かれた美月の髪だけでなくって弥生くんの心もぐちゃぐちゃ!


次のお題はここから挽回できるものであってくれ(>人<;)!


作者からの返信


ハマハマ様

ダブルのぐちゃぐちゃ見つけて下さってありがとうございます!

運営さん「お題が含まれておらんでは無いか。ボツ!」

なんてことにならないように、チキンな心で美月の髪も乱しておきました。


ほんとに、この先どうなるかは、お題次第ですよ。なにとぞ、なにとぞー!


@hikageneko様

2023年3月7日 12:41


こ、これは確かに…ぐちゃぐちゃ、ですね。

辛すぎる。


作者からの返信


ひかげねこ様

あまりに弥生が水族館行きを楽しみにしすぎて、途中で「オットセイにあげる魚の身をバケツの中でぐちゃぐちゃ」とかも考えたんですが、こっちのルートにしました!

これ、あと4回でハッピーエンドになるんですかね?

(知らんにゃ!と言ってほしい!)


K-enterprise様

2023年3月7日 11:58


いいですねぇ

青春の蹉跌といった感じで、弥生くんの葛藤が自分のことの様に思えて泣けますね。


さあ、ハードルが上がってきましたよ(´・∀・)」


私も以前のKACで、一話完結、全部足して一つの物語をトライしましたが、お題の度に胃が痛くなりました(笑)


作者からの返信


K様

どこかで二人をすれ違わせたいと思っていたのですが、3回目では早いか……でもこの先どんなお題が来るかも分からないし……。

弥生をグチャグチャにするなら今だぞ、と小説の神様が囁きました。


連作の経験者じゃないですかー!ハードル上げないで生暖かく見守って下さいよ、せんぱぁい!


葦空 翼様

2023年3月7日 11:48


えっ、これで終わり?!お題は、どこで回収してっ……

あっ?!つまり弥生くんの心が「ぐちゃぐちゃ」ということでしょうか!


続いてしまった展開といい、なかなか意欲作ですね!短編連作、転機の物語……!

さて次はどうなるのか、どう続いていくのか、続きはお題のみぞ知る。大変楽しみです!^^


作者からの返信


翼様

真のお題を読み取って下さってありがとうございます。

保険のために、水族館の前で美月の髪もぐちゃぐちゃにしておきました。


手前を読んでくれた人が「次のお題をどう料理したのか見てやろう」と次話を見に来てくださるのは僥倖。

でも、手前を読んでないと、全く話が分からん!とはならないように、この続きをどう書くか……。

いいお題が来ますように!



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る