カップルですか?

雨足怜

おひとり様遊園地、悪いですか?

 生まれてこの方、彼女なんていたことがない。

 別に、それを不満に思ったこともない。

 やりたいことが、挑戦したいとことが、楽しいことが、山ほどあった。自分の時間は足りず、いつだって必死にやりくりした。

 そんなんだから、彼女のために費やすような時間はなかった。

 まあ、告白もされたことはないのだけれど。

 人を好きになったことはあった。けれど自分のやりたいことや時間と彼女を天秤にかけて、俺は前者を選んだ。それで、かまわなかった。

 坂口紅葉という人間は、そういう、趣味に生きる男だった。

「だからって、これは、なぁ……」

 そんな俺は今、遊園地のエントランス前に立っていた。

 12月25日。クリスマス。

 周りにはそこら中にカップルの姿がある。夫婦、あるいは家族の姿がある。

 少なくとも視界に映る範囲にはどこにも、独り身の姿はなかった。

 一体どうして俺がこんな日に一人で遊園地なんぞに来ることになったのは、姉貴の現況に、心の中で罵声を吐きつける。

 何が、邪魔だから家から出て行って、だ。

 大学生の姉貴は、付き合っている男がいる。両親はもういい歳だろうに、いまだに若々しく、クリスマスはデートに出かけて家にはいない。つまり俺がいなければ、姉貴は大手を振って恋人を家に迎え入れることが可能になるというわけだ。しかも、姉貴弟共用の部屋から、俺を叩き出せる。

 そんなわけで姉貴は、どこかから持ってきた遊園地のチケットを俺に押し付けて、クリスマスの、いわゆるおうちデートの権利を得た。

 傍若無人姉貴に俺が勝てるはずもなく、すごすごと遊園地に来たわけで。

 そうして今、俺は激しく後悔をしていた。

 別にチケットがあるからといって、こんな日に遊園地に来る理由はなかった。どこか、喫茶店とかで時間をつぶせばよかったはずだった。あとは友人と遊びに出かけるという案だったあったはずで。

 なのにどうして俺は、一人でクリスマスの遊園地に臨もうというのか。

 恋人はいない。いらない。ただ、欲しいという気持ちくらいはある。

 だから、右を見ても左を見ても幸せそうなカップルしかいない状況では、ひどく心が刺激される。己の選択が過ちだったと、そう突きつけられてみじめになる。

 言えなかった初恋を思い出した。小学校のころ、同じクラス長になった彼女が好きになった。どちらかといえばまじめなタイプの俺とは異なり、天真爛漫で、いつも人を引っ張り、笑顔にする、そういうやつだった。

 姉貴にぼこぼこにされて落ち込む俺の話を聞いてくれ、笑いながら励ましてくれたあいつに、恋をするのはすぐだった。

 けれど、言えなかった。言わなかった。小学六年生の恋。中学で彼女は私立校に通うことがすでに決まっていたというのもあるし、何より、彼女と付き合えたとして、自分の時間が失われるのが嫌だった。

 だから、その想いを胸の奥に押し込んだ。いやだと、彼女と幸福になりたいと、そう思う自分を否定して。

 これは、その罰なのだろうか。

『これに懲りて、あんたも恋人を作ってみたらどう?』

 耳の奥、姉貴のあざ笑う声が聞こえた。

 いいや、と首をふるう。俺は、俺のために時間を使う。昔以上に今は、やりたいことがたくさんあるのだから。

 ゲーム、読書、プログラミング、イラスト制作、将棋、キャンプ、友人との遊び……山のように積みあがるそれらは、その一つ一つが、恋人を作ることよりも俺の中で大きい。

 だから、俺はこのままでいい。

「すごいね!」

「ああ、きらきらしてるな。きっと、君と一緒にいるおかげだね……」

 このままで、いいはずだ。

 甘いささやきを交わす恋人たちから逃げるように、入場を待つ列へと向かう。

 長い列。といっても、着実に進んでいて、十分もすれば入れそうだった。

 クリスマスの遊園地なんて言うからもっと混んでいるものかと思ったが、意外とましで、それだけが救いだった。

 並ぶ列。前も後ろもカップル。前は、俺と同じくらいの、たぶん高校生の男女。後ろは社会人、だと思う。ひょっとしたら高校生かもしれない。

 なんとなく話を聞くのがいたたまれなくて、取り出したイヤホンを耳に差し込む。

 スマホを手に、時間をつぶす。

 吹き抜ける風の冷たさが身に染みた。そのせいか、やけに孤独を感じた。

 呼吸のたびに、白い息が視界をふさぎ、スマホ画面を見る妨げになった。まるで、こんな日に一人で遊園地の入場の列に並んで、手持無沙汰にスマホを触る俺を、すべてが嘲笑っているように思えた。

 これが、姉貴の策略だったのか。

 考え、そして、今頃あの姉貴が俺との共用の部屋で彼氏といちゃついていると思うと殺意がこみ上げた。

 絶対に、仕返しをしてやる。だが、激怒させて倍返しされるようなものではだめだ。偶然を装った仕返し、あるいは、親を巻き込んだ……

 アイデアは浮かばない。これまで思いついていたあらゆるアイデアはすでに試され、その半分は失敗に終わり、四割は倍返しを受け、一割は成功を収めた。

 成功例の再現は、あの警戒心の強い姉貴には通じない。であれば――

 気づけば列はずいぶんと進み、前のカップルが門へと向かう。ゲートの係員と二言三言話し、チケットを出し、ゲートの向こうへと潜り抜けていく。

「次の方ー」

 呼ばれ、進む。

 すでにどっと疲れていて、もういっそのころ今から帰ってしまおうか、それで姉貴の邪魔をすれば、などと思いながら歩み寄って。

「カップルですか?」

「え……一人ですけど」

「そうですか。ではチケットを……はい、確認しました。それでは、行ってらっしゃいませ」

 流れるような対応が終わり、ゲートをくぐる。

 寒風が吹き抜け、体の芯から震える。背筋に、悪寒が走った。

『カップルですか――』

 女性の声が、耳の奥で響く。

 右を見る。カップルが、ゲートを潜り抜け、俺の横を通っていく。

 左を見る。親子連れが、笑いながら歩き去っていく。

 後ろを見る。

 誰もいない。

 その奥で、先ほど対応してくれた女性と、次のカップルが話をしていた。

「……クリスマスにおひとり様でやってきた俺を笑っていた、だけだよな?」

 そう、思いたかった。だが、カップルであるかどうかなど、一目見ればわかるはずだ。俺が一人なのをわざわざ確認して笑うほど、あの女性はひどい人間だとは思えなかった。

 だと、するのならば。

 ちらと、女性が俺から視線を外したことを思い出した。まるで、連れ合いを見るような、そんな視線。

「俺の後ろか、横に、誰かいた、のか?」

 後ろにも、横にも、誰もいない。

 俺が潜り抜けたゲートを通って、次の客が入場してくる。

 夢の国、浮足立った二人は腕を組み、幸福で胸がいっぱいな顔をしていた。

 そんなカップルを見送りながら、俺はただただ震えていた。

 孤独という寒さに。

 そして、嫌な悪寒に、震えていた。


 俺は姉貴に、盛大な仕返しを、あるいは八つ当たりをすることに決めた。

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カップルですか? 雨足怜 @Amaashi

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