第一話 蛍石は始まりを告げる③

 門前で衛士に受験票を見せてから中に入ると、南側にある塔の一階に案内される。

 大勢の学士が講義を受ける講堂らしく、正面に教壇があり、それに向き合うように椅子と机が並んでいた。

 他の受験者たちがそれぞれ椅子に座るのを見て、珠里も空いている席に腰を下ろす。

 珠里は相変わらず注目を集めていた。遠巻きな視線を至る所から感じる。

 辺りを見渡すと、他にもう一人、同じように注目を集めている人物がいた。

 二つ隣の席。紺のフード付きのがいとうで、顔をすっぽり覆い隠すように座っている受験者がいる。身に纏う上半身を覆うような外套は、明らかに異国の意匠だった。


「あなた、ずいぶんと年上のようですけれど、ここにいるということは受験者なのよね? 年齢を聞いてもいいかしら?」


 フードの人物に気を取られていると、正面から声をかけられた。

 顔を上げると、身なりの良い少女が二人立っていた。どちらも十代後半のようだ。

「……二十七歳です。なので、まだ受験資格はあります」

「まだ? 聞いたかしら、まだですって。あなた、とても面白いわね」

 珠里の回答を聞いて、二人の少女は笑いだす。

 正面に立つのは栗色の髪に、同じく栗色の瞳の少女だった。貴族の出自なのだろう、高級そうな襦袴に家章の描かれた銀色の肩掛けを羽織っている。

「あら、その机の上にある彫刻針、すごく古いわね。もんがねも、たった二枚しかないわ」

 少女は、珠里が机の上に並べて準備していた輝石紋を刻むための道具を指差す。

「紋眼鏡は、円と直線の二枚があれば十分で──」

「直線と円で彫れる紋なんて限られているわ。簡単な紋しか彫ったことがないのでしょう。そんな実力で聖学府を受けようなんて、その勇猛さだけは尊敬しますわ。ところで、あなた、とてもくたびれた服装だけれど、どこから来たのかしら」

はいたん、です」

「聞いたことないわね」

しゆんりんさま、最果てと呼ばれる村ですよ」

 隣に立つお下げ髪の少女が、わざと聞こえるように耳打ちをする。どうやら、春琳と呼ばれた少女とは主従のような関係にあるらしい。

「あらあら。そんな村の者が、この聖学府の受験資格を得られるなんて、いったいどんな手を使ったのかしら。あぁ、そうだわ。推薦状を見せてもらえる?」

「推薦状、とはなんでしょう?」

「あぁ、やっぱり、そういうことなのですね」

 春琳の表情が、すっと冷たくなる。

ねい、すぐに衛士を呼んできて。この偽者女をたたき出すように言ってちょうだい」

「わかりました、すぐに呼んで参ります」

 梨寧と呼ばれたお下げ髪の少女は、すぐに身を翻して講堂を出ていこうとする。

「待ってください。どういうことですか?」

「あなたは、これまでモグリで彫刻師をやっていたのでしょう。『輝石管理の法』が発布されて、商売ができなくなって、資格が必要になった」

 昨年までは、資格がなくとも彫刻師として働くことは黙認されていたためモグリという言い方は適切ではなかったが、大筋はその通りだった。

「まぁ、そんなところです」

「最近、王都ではそういった愚か者たちに偽物の受験票を売るやからがいると聞いたわ。そんなものを買っても、すぐにばれるのに。あなた、みたいにね」

 そこで珠里は、自分の持ってきた受験票が偽物と疑われていることに気づく。

「違います。この受験票は、ちゃんと──」

「なら、推薦状があるはずでしょう。聖学府の受験資格を得るには、宮廷から認められた名門工房からの推薦状がいるわ。それがないってことは、その受験票は偽物ということよ」

 珠里は、推薦状など持っていない。そんなものが必要だとは聞いたこともなかった。

 春琳は薄い笑みを浮かべる。その目は、路地裏に転がった野鼠のからだでも見るように冷たかった。

 先ほどまで遠巻きだった視線が、露骨に向けられる。ひそひそと小声で交わす声も聞こえてくる。もともと、一人だけ場違いな身なりだったのだ。誰もが、珠里を疑っているのがわかった。

 旅の間に聞いた数々の言葉が、頭の中によみがえる。それは、今、珠里に向けられている声や視線と重なって、呪いのように体を覆っていく。

 声が出ない。体に力が入らない。

 このまま何も言わなければ、ぎぬを着せられて追い出される。試験を受けさせてもらえないかもしれない。

 そうはわかっているけど、声が出ない。


「その彫刻針、よく使い込まれているわね」


 すぐ横から、鋭い声が響いた。

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