人生を変えた一本の電話
田島絵里子
第1話
人生を変えた一本の電話
「えっ、本当ですか?!」
一瞬、息が止まった。
わたしは58歳の主婦である。電話は午後4時頃にかかってきた。時は2023年10月25日、所は広島である。
「はい、もしもし?」
電話を受けたわたしはイライラしていた。もうじき鍋が煮えてしまう。早く用件を言ってほしい。
「こちら、中国新聞の○○編集部です。田島絵里子様ですか?」
「はい、そうです」
「絵里子様、先日投書欄に投稿いただいた、特殊詐欺に関するご意見、拝読させていただきました。とても興味深いご意見でしたので、ぜひ掲載を検討したいと思ってます」
「えっ、本当ですか?!」
わたしは鍋も忘れて有頂天になった。
いつも新聞を読んでいて、投書欄に投稿した人の感想や意見に触れるたびに、いつか自分も投稿してみたいと思っていた。
週に一度、健康体操に行っている集会所では、新聞記事や投稿欄を紹介するミニ講演もある。しかし、実際に投稿するのはなかなか勇気がいるものだった。
そんなわたしが、初めて投稿した投書が掲載されることになるとは、本当に夢にも思わなかった。
「ありがとうございます。光栄です」
「それでは、細かい内容をいくつか教えていただけますか?」
「はい、喜んで」
インタビューなんて生まれて初めてだ。芸能人か有名人にでもなった気分である。文章を書くのは趣味だったし、細々とブログも書いてきたから、書くこと自体には抵抗はなかった。
ただ、今まであまり評価されてこなかった。カクヨムでもフォロワーは百人に満たない。イイネだって二けた行けばいい方なのだ。
わたしには父も母もすでにない。ただ夫と義母がいるばかりである。この義母といっしょに通っている集会所で、地域包括支援センターが主催する講座があった。特殊詐欺防止の講座で、わたしはその講座について投稿したのである。
わたしはこの電話に舞い上がった。相手の声は落ち着いた老齢の男性で、誠実そうだ。中国新聞に投稿した特殊詐欺についての内容にも詳しい。
のんきなわたしも、新聞が一定の権威を持っていることぐらい知っている。たしかにインターネットの登場でマスメディアは衰退気味だが、それでも歴史が違うのである。
焦げた臭いがするので鍋を思いだした。編集者に待ってもらったが、鍋は台無しになっていた。鍋の火を切り、受話器に戻る。インタビューが始まった。
まず、特殊詐欺について、なぜ興味を持ったのかということを聞かれた。
前述したように、たまたま近くの集会所で、地域包括支援センターが行う特殊詐欺防止の講座があった。わたしはネット歴30年なので、いろいろな犯罪を見てきた、だから興味があったのだと告げた。
「実際、わたしもいろんな犯罪を目の当たりにしてきました。フィッシング詐欺とか架空請求。わたしのメアドを乗っ取ったからカネを寄越せというのもありましたね」
「へー」
編集者は、すっかり感心している。
「でもメアド乗っ取りに関してもフィッシング詐欺に関しても架空請求に関しても、おカネを払いませんでしたね。そんなことしても問題が解決する保証もないし、ご褒美をあげることになるでしょ。冗談じゃないですよ」
「それは感心感心。ところであなたの投稿によると、地域包括支援センターの講座の資料として、『だまされやすさを測る心理傾向チェック!』というのが配られたそうですね」
「そうなんです。記入してみたらわたし、勧誘されやすい傾向が30%もあるそうなんです! 自分は絶対だまされないと思ってたから、かなりショックでしたね」
「なるほどー」
ほかにも編集者は、こまごまとしたことを聞いた。その集会所はどこにあり、何名ぐらいが講座に出たのか。
講座で紹介された特殊詐欺の種類はどんなものがあるのかといったものだ。
その中でも特に印象深かった質問がある。
日本人がだまされやすいとあなたはいうが、なぜそう思うのか、というものだ。
それを聞いてわたしは思った。一般的にテレビやラジオで日本人がお人好しだと言われているような気がする。だが、それで編集者は納得していないのだ。
この編集者は、ふだんから「なぜ」と問いかける姿勢を持っている。これは文章を書く上で、非常に重要な資質ではないだろうか。
わたしは答えた。
「講座で、特殊詐欺の電話番号が海外からのものが多いとありましたから」
「なるほど、深いな」
そうなのか?
わたしはふしぎに思った。それくらい、誰でも考える事ではなかろうか。褒めるなら、企画をしてくれた会の会長さんを褒めてもらいたい。
ほかにもいろいろ聞かれた。その講座からなにを学んだか。すでに住所氏名年齢など、プライベートなことをネット投稿欄に書いていたが、あらためて質問された。
投稿内容とは直接関係はなかったが、ともかく採用してほしくて聞かれるままに答えた。
わたしがいくつかの質問に答えると、編集者は丁寧に言った。
「かしこまりました。それでは、改めて投稿内容を拝読させていただき、掲載するかどうかを検討させていただきます。いくつか修正がありますので、三十分後にご連絡させていただきます」
「はい、よろしくお願いいたします。」
電話を切ると、わたしは何度も軽く胸を抑えて今の言葉を脳裏で反芻した。
「検討させていただきます」
自分の意見が、新聞に掲載されるかもしれない。
わたしは、パソコン内部に保存してあった投稿内容をもう一度読み返してみた。
自分の意見を、わかりやすく、簡潔にまとめることができただろうか。
不安もあったが、編集者から掲載の検討をしたいと言われたということは、それなりに評価されているのだろうと、少し自信も湧いてきた。
書籍化まではいかないけれど、これは大さな一歩だ。
今までだれも注目してくれないかもしれないわたしだが、新聞では評価される。
掲載されたらどうしよう。
公民館でサークル活動をしている。サークル仲間のLINEに流して自慢しようか。
心がソワソワしはじめている。
ところが、三十分経っても電話が来ない。
黒雲のように不安が広がっていった。
まさか。
まさかとは思うが……。
あの電話は、ほんとうに新聞社からだったのだろうか。根掘り葉掘り、掲載内容とは無関係な話を聞き取られてしまった。
集会所でやっているサークル活動についても聞かれたし、年齢なども聞かれた。これはプライバシーを聞き取ろうという、詐欺集団の陰謀かもしれない。
胸が苦しくなってきた。脈拍が早くなる。
騙されたのか。
以前、ペットボトル入りの水を送ってきた業者が、『美味しかったでしょ、買ってよ』と言ってきた。いわゆる押しつけ商法である。おカネは払わなくて済んだが、頼みもしない品物を送ってくる手口が汚いと思ったものだ。
いまごろ電話してきたあいつはこっそり笑っているのだろう。
電話でちょっと甘い言葉をささやいたら、ほいほいしゃべくりまくる。
たぶらかしやすい女だ。掲載料に図書券というニンジンをつり下げたら、無我夢中になる。正直者は、なんてバカなんだ。
わたしは、あらぬ妄想を振り払った。
まだ騙されたと決まったわけじゃない。自分で勝手に空想をしても仕方ないのである。
確認する方法があればいいのだ。
……電話では、相手の顔が見えない。相手がどんな人なのか、ハッキリわかる手がかりはなにかないのだろうか。
――詐欺に有効なのは、ナンバーディスプレイ付の電話です。
講座で言われていたのを思いだした。
そうだった。うちでは番号が記録できるようになっているんだ。
わたしはナンバーディスプレイ電話器の電話番号をチェックした。
新聞社のものならば、番号を検索すれば社のある地名や社名が出るハズだ。
ネットで調べるために、自室に戻った。わたしはスマホよりもパソコン派だ。
部屋にはライティングデスク、ダブルベッド、本棚が置かれている。
奥の白い本棚は白い壁に取り付けられていて、ベッドはその手前。入口近くのカーペット床に化粧棚が置かれていた。窓際のライティングデスクにデスクトップパソコンが置かれている。
化粧棚の上は、赤川次郎が山と積まれている。わたしの趣味ではなく、義母のために買った本だ。わたしの本はファンタジーやSFが中心である。特に『ナルニア国ものがたり』シリーズが好きだ。岩波版、光文社版、角川版のシリーズ全巻が本棚に並んでいる。
フィギュアやぬいぐるみの類もない素っ気ない部屋である。衣裳戸棚の隣の壁に、このあいだ行った神戸のイベントでもらった、【BLUE WAVE神戸】とロゴのある布が掛かっているだけだ。
このペラペラした蒼い布は、長さが約1メートルあって、イベントに関連したアイコンが印字されている。
パソコンを立ち上げた。起動し、光が宿るまでの時間が百年にも思えた。
自分のパスワードを投入。さっそくマウスをクリックする。インターネットでその番号を検索する。
「番号が、ない!」
心にブルーウエイブがなだれ込んできた。
その地名には、新聞社の名前はなかった。
心臓が耳元で爆発するようになった。筋肉もこわばりはじめた。
騙された。
まさか。
そんなことはない。
だが……。
わたしも日本人なのだった。人をすぐ、信用するのだ。
30%も騙されると書いてあったじゃないか。バカバカバカ。わたしのバカ。
わたしのきらいなことは、人を疑うことだった。たしかに嘘をつくのは仕方の無い部分があるだろう。
だが、これはひどい。今までの信念が、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う。すべての力を瞳にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる心の波。その激情を抑えることができそうになかった。
警察に言おう。
決意したとき、電話が鳴った。
「はい、どちら様?」
編集者からの電話だった。
「絵里子様、ご連絡いたしました。先日ご投稿いただいた、特殊詐欺に関するご意見、手直しさせていただきました」
えっ、と虚を突かれた。騙したんじゃ、なかったの?
グッと息をついた。頭がクラクラなった。身体中から疲労感がにじんでいく。
どう言っていいかわからないわたしをよそに、相手は、原稿を滔々としゃべりはじめた。
まずは、わたしの文章を朗読する。
これは詐欺なのだろうか。だが、詐欺だったら、第三者に投稿内容がわかるわけがなかった。一字一句、わたしの投稿である。わたしは、どっと汗をかいた。
幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ないのである。ホッとひと息つく。まずは懸案がクリアされた。
だが、編集者の述べる修正版のその原稿は、わたしのものよりずっとブラッシュアップされており、内容も的確で要領を得ていた。
聞いているわたしには満ちてくる波のように打ち寄せる思いがあった。
――悔しいッ!
杞憂だったという安堵よりも、自分にそこまでの文章スキルがなかったことに対して、いままで感じなかった激しいなにかを感じた。
肩を丸めた。胸や胃に青白い火がごうごうと燃えさかる。
それぐらい、わたしだって出来る。
だけど、ほんとうは出来ないことぐらい、わかっていた。天を仰いだ。悔し涙が湧いて出た。
「素晴らしいじゃありませんか、わたしのよりずっといい記事になってます」
涙をこらえておだててやると、相手は苦笑して、
「この道何十年もやっていますからね。掲載日は、いつとは言えません。近日中に掲載されるかもしれません」
「はい、必ず見させていただきます」
電話を切ると、わたしは、自分の気持ちを抑えられなかった。
「こんちくしょう!」
自分の実力では、とても編集者にはかなわない。
わたしは、窓の外を眺めた。秋の風が吹いてくる。赤い太陽がゆらゆらと西に傾きつつあった。
それを見ている内に、頭が冷えてくるのを感じた。
ずっとひとりで執筆してきた。
30年間。だれもわたしの文章について、無料で教えてくれるような人はいなかった。
世間には、発表していればチャンスがあると言う人もいる。
そんなのウソだ、騙されてると思っていたが、書くことはやめられなかった。
文章講座も通ったが、添削されるばかりでどうやって内容をブラッシュアップするのかは、決して教えてくれなかった。つまり、どう書けばウケるのかは、自分で考えろと言うのがスタンスだった。
実力がどんなもので、どうすれば採用されるような文章になるのか、それを教えてくれたのはこの中国新聞の編集者なのだ。
人と比べて、自分の実力がどんなものか、無料で教えて貰った。
掲載される、されないは問題じゃなかった。
信じる、信じないの問題でもなかった。
わたしは、もっと大きななにかをつかもうとしている。
その3日後。
LINEに友だちがメッセージを送ってきた。
「絵里ちゃん、投稿が載ってるよ!」
「ええっ」
見れば自分の名前と意見が、新聞に載っている。
掲載された。
それは、とても不思議な感覚だった。
あれだけ激しくいやな思いをしていたが、肩がそびえ、背筋がピンと伸びるのを感じた。
これは自分だけの努力ではない。
だが、それでも、認められたのだ。
目の前がひらけていくような思いだった。
「やったー!」
拳が自然と上に向いた。
詐欺ではなかった。
それどころか、人に影響を与えられる立場になれたのだ。
この経験は、わたしにとって、とても大きな財産になった。
2023年10月28日付の投稿欄に、投稿が載った。
わたしはスクラップブックにそれを貼った。
わたしには、夢がある。
人に寄り添い、生きることの意味を問いかけるファンタジーをつくる、という夢である。
文章訓練だと思って、投稿を続けよう。
そのためにはなにか役に立つ情報を流さなければならない。
無名の新人が読んでもらえるのは、そこに価値のある情報があるからだ。
今回は、特殊詐欺という時事問題だから採用された。自我の垂れ流しになるようなエッセイや小説は読むに価しない。わたしの目指す児童小説を作る際にも、なにかスパイスが欲しい。
中国新聞から、掲載料として図書券が五〇〇円分送られて来た。
図書券がやって来たとき、わたしは考えた。これを何に使おうか。
わたしはより注意深く投稿欄を検分するようになった。
ある日の投稿記事に、新聞の日曜欄が楽しみだと書いてあった。中国新聞日曜欄を見た。毎週、話題の本を紹介するコラムがここにある。
ふと、ある本の紹介記事が目に留まった。
「この本の内容は、世界の七賢人のひとりが、世界の未来を予測する。暗い時代だが、それを打破する方法を、日本が見つけるだろうというものである」(要約)。
タイトルは、『世界の取扱説明書』。著者はジャック・アタリ、出版社はプレジデント社。文字も小さく分厚そうだが、興味が湧いた。
だが、値段を見て仰天した。二〇〇〇円以上もする。五〇〇円の図書券なんて、焼け石に水である。
わたしは前回の特殊詐欺記事を修正した編集者に対する複雑な気持ちを思いだした。あのうねうねと、気味の悪いような蛇の波にさらわれて、青白い炎がわたしをあぶった。気分が悪くなった。地団駄を踏んだ。ものも言いたくなかった。
そんな思いをして手に入れた図書券だ。ヘタな本には使いたくない。
ほかのサイトから、この本の評価をチェックした。
好意的な意見がほとんどだ。世界の七賢人が誰なのかは相変わらず不明だし、そもそも七賢人なんて誰が決めたのかも判らないが、内容は濃厚で読み応えがあるようだ。
この本を手に入れよう。
自分の役に立つというより、未来予測という点に好奇心が湧いた。暗い未来なら誰だって描けるが、それを明るくするのに日本が役立つというのだ。
なぜ? どのように? 根拠は? 疑問がさまざまわいてくる。
よし、では次の投稿を考えるか。
今度は修正なんかされないぞ、とわたしは心に固く誓った。
前回は、10月に行われた特殊詐欺の話だった。
今回は、11月に行ったリフォームの話をしよう。
夫がしきりに、
「キミの投稿が楽しみだ」
とプレッシャーをかけてくるのもあるが、老いた義母のために介護保険で風呂を改築した話は、他人のためにもなると思った。
だが、このリフォーム話。
実は詳細を、すでにアメーバブログでUPしてしまっていた。
『我が家のリフォーム顛末記』というタイトルで、11月1日から12月9日頃まで、写真入りでエッセイとして書いていたのである。
内容は、リフォームのきっかけとなった義母の風呂場での転倒と、夫が介護保険になるのでは、と気づいたこと。そしてリフォームのためにウィークリーマンションに引っ越して、そこから作業監督のため自転車で通ったことなどである。
総文字数は二万字を越えると思われた。
一方、投稿欄の文字数制限は430文字程度。
それに合わせるとしたら、今までのエッセイを集約しなければならない。
わたしは拳を握りしめた。
以前は、思いつくまま筆に任せていたから、修正が入ったのだ。今度はプロットを考えることにした。
すでに書き終えた記事がある。これをChatGPTに要約させて、それをリライトしたらどうだろう。
誘惑は大きかった。
ChatGPTは、ウエブ記事用の記事を提案してくれる場合が多い。新聞記事に載るかどうかもわからない。
それに、ChatGPT自体にも四千字という文字数制限がある。二万のエッセイを要約する機能はない。
だいいち……
編集者に対してあんな気持ちになったのに、ChatGPTには感じないなんて、おかしいのではないか。
なぜ、人間相手だと違うのだろう。
編集者を便利なツールだと思えば、そんなにハラも立たないだろうに。
頭をひねって、考えに沈んだ。
わたしの持っている一太郎(ジャストシステム社)には、起動すれば文章を校正してくれる機能もついている。校正係が要らなくなる便利なツールで、打ち間違いや勘違いの多いわたしの強力な味方だ。
中国新聞の編集者だってそうだ。機械とおなじである。ちょっとした言葉の配列法や、文章の惹きつけ方を知っている、ただの経験者でしかない。
そう割り切ると、自分がなににこだわっていたのかよくわからなくなった。あの誠実そうな口ぶりが、気に入らないのだろうか。
コラムをいくら書いても新聞部では「三流」扱いされていることに対して思うことだってあるだろうに、あの編集者は落ち着いていた。いろんな投稿者がいるだろうに、人馴れしている。
わたしにおなじことが出来るとは、どうしても思えなかった。
ともあれ、リフォームに関する記事を投稿した。中国新聞にはサイトに専用の投稿欄が用意されている。プロットを修正して投稿した。
3日後、またしても電話が来た。
「はい、もしもし?」
「こちら、中国新聞の○○編集部です。田島絵里子様ですか?」
「はい、そうです」
「絵里子様、いつも投稿有り難うございます。先日投書欄に投稿いただいた、リフォームに関するご意見、拝読させていただきました。とても興味深いご意見でしたので、ぜひ掲載を検討したいと思ってます」
「えっ、本当ですか?!」
そう言いつつも、そりゃそうだよなと思った。新聞の読み手は高齢者も多い。介護関係、リフォーム関係は無関心ではいられないだろう。もちろん、カクヨムではわたしのアピール不足もあって、アクセスは少ない。しかし、老いはだれもが一度は通る道である。
この経験も、わたしの貴重な糧になる。
わたしは受話器を握りしめた。全身が耳だった。針が落ちても聞こえる静寂の中、編集者は相変わらず、わたしの文章の不備を突いてきた。
「ここに義母と書いてありますが、あなたは夫と姑さん、三人で暮らしているんですね」
「はい、子どもはいません」
「介護用の風呂って書いてありますが、そんなものあるんですか?」
「知りませんが、夫がネットから見つけてきたみたいです。手すりがあって浴槽が広くて」
「リフォームしたあと、お義母さんは喜ばれましたか」
「そりゃあもう。浴槽が広くなったし、なにより床が転びにくくなったと大喜びでした」
「なるほど、良かったですねえ。では、工期はいつ頃でしたか」
「えーと。実は記録を取っていたんですが、今ちょっと出て来ない……待ってくださいね……」
パソコン内を検索しても、リフォームの工期については出て来なかったので、ファイル名が違うのだろうと思った。コンピュータは、ちょっとでも文字が違うと受け付けてくれない。
自分のスクラップブックの中に、リフォーム関連の資料を入れていたのを思い出した。
「ああ、これこれ。ありました。十一月七日から二十五日までですね」
「約二週間ですか。ところで、ウィークリーマンションというのは、実は使えないんです」
わたしは小首を傾げた。
「どうしてですか? 週ごとに借りられるマンションだからウィークリーマンションでしょう」
「それが、その名称は標章というか、登録商標になっておりまして」
わたしは、頭を殴られたようになった。
「ええーっ」
編集者は、得意そうになった。
「いちおう、私もインターネットで調べたんです」
「知らなかった! じゃあ、ホッチキスとおなじなんですね」
「そうですね」
相手はちょっと、驚いた口調だった。
「では、短期賃貸マンションと修正しますので、三十分後にまた電話します。修正版を口頭でお話ししますので、よろしければチェックをお願いいたします」
また修正か。たかがウィークリーマンションという言葉一つのために。
もちろん、標章にひっかかるようでは、新聞の公共性に反するのかもしれない。だが、新聞は広告で成り立っていると言うではないか。そのまま書いたって構わないはずだ。
話によると、ジブリ映画の『魔女の宅急便』は原作の同名タイトルが問題なかったので映画にしたところ、「宅急便」がヤマトの標章であった。そこで断りを入れたらヤマト運輸が一口乗ったらしい。新聞社はわたしのためにそこまではしてくれないってわけである。
前もって断りも入れずに人の原稿を加筆修正したものを発表する雑誌もあると言う。それに比べればと思う一方で、釈然としない気持ちは残る。
わたしには、宮崎駿ほどの才能はないのだ。彼のように人生が映画になり、日常がアニメの世界にどっぷり浸かっているわけではない。義母や夫の面倒を見、料理や掃除をし、その合間を縫って話を書いている。
夫からはキミには小説の才能はないよと言われている。細かいことを確認せず、思い込みで書くのはもちろん、小説のテーマをモロ、語ってしまうから興ざめになるというのだ。
わたしの夢は、見果てぬ夢なのだろう。届かぬ星に手を伸ばし、自分の人生の探求を続ける異邦人。
いま作っている小説の標章は、修正しよう。手直しをはじめたとき、電話が鳴った。
彼は、いつものように滔々と手直し原稿を語り、修正のチェックを確認した。
「掲載日は、いつとは言えません。近日中に掲載されるかもしれません」
「はい、必ず見させていただきます」
自分には限界がある。分をわきまえ、身分不相応な夢はあきらめるべきなのだろうか。
小さく縮こまって、震えて過す人生。それがわたしの限界。
3日後、再び投稿が採用された。
正直、ネットで内容が既出になっているものが採用されるとは思っていなかった。
文章自体が既出ではないからいいのだろう。
それを2023年12月20日のスクラップブックに貼り付けた。
わたしはいま、中国新聞短編新人賞に挑戦しはじめている。
現時点では大きなテーマや役に立つ知識を書くことは出来ないが、珍しいことや他人の知らないことを身近な話題として書くことは出来ると思った。
中国新聞短編新人賞の傾向は私小説である。まずはそこからだ。
わたしが夢を持ち、明日へのまいにちを送っていることを、その編集者に伝えたい。
ありがとう、中国新聞。
わたしは今、生きている。
(了)
人生を変えた一本の電話 田島絵里子 @hatoule
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