クマゼミ

かんだ しげる

第1話

     クマゼミ


   ジジジジジ

「あっ、クマゼミだ」

 まちがいない。

 ヒグラシなら、もっと小さい。

 こんな近くの、アブラゼミのジージーなく声でいっぱいの公園で、クマゼミをみつけられるなんて。

 今日は、運がいい。

 クマゼミは、西日本にはたくさんいるけれど、このあたりではめずらしい。黒い目がクリッとして、すきとおった羽がかっこいい。

 五年生の夏休みの自由研究は、去年と同じ、また昆虫採集にした。でもまだ、アブラゼミと、セミのぬけがらしかない。

 こんなんじゃ、クラスの金子に、

「なんだよ、茶色のセミばっかじゃん。だから言っただろ、河野には無理だって」

って、バカにされる。野球しかできないバカの金子に。

 なんとしても、このクマゼミをつかまえたい。

 でも、あの高さじゃ、背のびをして手をのばしても、とてもとどかない。クラスで一番小さいんだから、なおさらだ。

(こまった)

 さっき、公園の入口のところで、学級委員の吉田と別れたばっかりだ。もうちょっと早くみつけていたら、吉田に見はっててもらって、昆虫あみを取ってこれたのに。

「あっ」

 公園の入口のところに、男子があらわれた。

 あれは、二組の立花だ。

 五年生で一番背が高くて、でっかい。

 こん色の野球帽をかぶって、ユニフォームを着てる。きっと野球の練習の帰りだ。

 五月に転校してきたばっかりなのに、すぐ少年野球チームのエースで四番になった。あっというまに有名人。

 そう言えば、家が近くだったかも。

 でも、クラスがちがうから、話したことなんかない。

 だけど、今は、そんなこと言っている場合じゃない。早くしないと、クマゼミがにげる。

 立花が顔をあげて、こっちを向いた。

 目が合った。

 大きな声は出せないから、だまったまま両手を大きくふった。

 立花が、ギョッと立ち止まった。

 左右を見ている。

 ほかにはだれもいないと分かって、ようやく呼ばれているのは自分らしいと、なっとくできたみたい。

 自分を指さした。

 『そうだ』と手まねきをした。

 立花が、ゆっくりと、こっちへ歩いて来る。でっかい体なのに、なんか、みょうにビクビクしている。

「おれのこと、よんだんか?」

 くちびるに指をあて、『しーっ』ってしてから、うなずいた。

「なんのようじゃ?」

「肩車して」

 立花が、きょとんと口をあけて、目を丸くしてこっちを見た。

「おまえ、一組の河野じゃろ」

「そうだけど。なんで?」

「かかわると、ろくなことがないって」

 だれが言ったんだ? そんな根も葉もないこと。きっと、金子だ。

「なんで、肩車なんか」

 右の人差し指で、木の上を指した。

「あっ、クマゼミ」

「知ってるの? このへんじゃ、めずらしいんだよ」

「めずらしい? おれ、岡山じゃあ、ようつかまえとったがな」

「そうか、立花って、西の方だったんだ」

「岡山の山の方じゃ。あれ、おまえがつかまえるんか?」

「そう。だから肩車」

「肩車なんか、いやじゃ」

「しーっ。しずかに」

「それに、肩車なんかしちょっても、あれにゃあとどかんじゃろ」

 立花を見上げて言った。

「じゃあ、立花の肩の上に立つ」

 立花が、背を丸めて、顔を近づけて、小さい声で言った。

「おまえ本気か? こわあないんか?」

「こわいよ。たぶん」

 立花が、ジッとこっちを見た。

「昆虫あみは?」

 首を横にふると、立花が、かぶっていた野球帽をぬいで差し出した。

「なに?」

「手じゃ、とれんけん。これでとれ」

 野球帽をうけとると、立花は、木のほうを向いてしゃがみ、両手を木についた。

「ほれ、のれ」

 受け取ったぶかぶかの野球帽をかぶって、立花の背中から、肩の上にのぼり、木に両手をついた。

「OK、いいよ」

 そう言うと、立花がゆっくりと立ち上がった。両足の下が、ゆっくり持ち上がっていく。木についた手の位置を変えながら、少しずつ、クマゼミに近づいていく。立花の肩の上で、そうっと立ち上がり、右手で立花の野球帽を持って、ふりかぶった。

   ジジ

「あっ」

 クマゼミが飛んだ。

 うっかり、目で後を追ってしまった。

「うわっ」

 バランスをくずし、

「ああ、ああああ~」

そのまま立花の肩から落ちるように、地面に飛びおりた。いきおいあまって、ドスンとしりもちをついた。

「だ、だいじょうぶか?」

 立花が、手を差し出した。

 それをつかんで立ち上がった。

「河野って、すげえな。女子なのに」

(うえ、こいつもか)

 みんな、『女子なのに』って言う。まあ、『女子のくせに』よりはましだけど。

 近くで見ると、立花って、目がクリッとしてて、なんだかクマゼミみたいだ。

「うへえ~、立花、河野と手つないでやんの」

 あの声は、金子だ。

 見なくてもわかる。

 立花の顔が、真っ赤になった。

 つないでいた手をパッとはなすと、

「金子~っ!」

バッとふりかえって、あっと言うまに、どこかに走って行ってしまった。アブラセミのなく声の中に、走って行く足音が遠ざかっていった。

(あっ、これ、どうしよう)

 わたしは、手に、立花の野球帽を持ったままだった。


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