エピローグ

 城も屋敷も、すっかり元通りになった。

 三日三晩続いた祝いの祭りは、人生で一番楽しかったかもしれない。



 城での生活に少しずつ慣れていった凜花は、ときどき屋敷に行っては料理係たちと賑やかな時間を過ごしたり、蘭丸と菊丸と庭で過ごしたりしていた。

 そうしているうちに寒い冬を超えて、暖かい陽気が降り注ぐ春も終わりに近づいていた。



「凜花」


「はい」



 ふすま越しに聖の声が聞こえ、凜花が返事をする。

 部屋の中に入ってきた彼は、ふわりと微笑んだ。



「綺麗だ。今まで見たものの中で、なによりも誰よりも美しい」



 素直に褒める聖に、凜花の耳まで朱に染まる。

 花嫁衣装に身を包んだ凜花は、可憐な花のように美しかった。

 赤い反物から作られた着物には、凜の花がいくつもあしらわれている。

 凜花の顔が真っ赤になったことによって、凜の花がいっそう映えた。

 白い肌とは対照的な口紅が塗られた唇は、まるで彼を誘っているようだった。



「このまま誰の目にも触れない場所に閉じ込めておきたいくらいだ」


「ッ……」



 つがいの契りを交わしてからというもの、聖は昼夜問わず容赦なく甘い言葉を紡ぐようになった。

 恋も知らなかった凜花は、彼の甘やかな攻撃に毎回ドキドキさせられている。



 嬉しいのに恥ずかしくて、幸せなのに胸が苦しい。

 恋とはこんなにも目まぐるしい感情に襲われるのかと、凜花は契りを交わしてから数え切れないほど驚かされた。

 そして、それは今日も変わらない。



「とはいえ、あまり遅いと玄信がうるさいからな」



 聖は不本意そうだったが、笑顔のまま凜花の頬にくちづけた。



「さあ行こう」


「うん」



 凜花が彼の手を取り、ふたりはみんなが待つ大広間へと向かった。



「姫様、綺麗です!」


「とっても可愛いです!」



 臣下が大広間に続くふすまを開くと、多くの人の中から真っ先に蘭丸と菊丸が立ち上がった。

 同時に、大きな拍手と歓声のような声が沸く。



 一番いい席に座っているのは、桜火と風子、そして蘭丸と菊丸である。

 風子の腕には、生まれたばかりの赤ん坊がいた。

 玄信との子どもは男の子で、ふたりから一文字ずつ取って風玄ふうげんと名付けられた。



 蘭丸と菊丸が奪い合うようによく面倒を見ており、凜花も頻繁に抱かせてもらっているが、その可愛さにすっかり心を奪われている。

 ときには、聖が風玄に嫉妬しているほどである。



 紅蘭は今日も美しく、傍らには彼女の祖母もいた。

 紅蘭の祖母はとても優しく、下界のことをいつも嬉しそうに語ってくれ、凜花も同じようにたくさんのことを話した。

 人間同士ということもあり、相談相手にもなってくれている。



 凜花は、今やすっかり人気者である。

 桜火の他に世話係がつくことになったときには、立候補者が後を絶たなかったのだとか。そこから選ばれた三人の女性は、みんな優しく美しかった。

 蘭丸と菊丸は、相変わらず凜花の守護龍として務めを果たしている。

 玄信との稽古の甲斐があって、少し強くなったようだ。



 城での日々は、不安や悲しみといった負の感情を抱く暇もないほどに慌ただしく、けれど毎日が温もりに溢れている。

 心が癒されていっているからか、凜花の中にあるつらかった記憶も日に日に薄らいでいき、今はあまり思い出すこともない。



 そんな日々を経て迎えた今日、聖と凜花は大切な人たちに囲まれて祝言を挙げる。

 すでにつがいの契りは済ませたが、みんなの前で改めて婚礼の議を執り行うのだ。



 玄信によって進められる祝言は、滞りなく進んでいく。

 聖と凜花には多くの祝福の言葉が贈られ、大広間には始終笑顔が絶えなかった。



「それでは、指輪の交換と契りを」



 玄信が差し出したのは、黒塗りの漆器でできた箱。

 そこには、聖の龍の鱗から作られた指輪が収まっていた。



 指輪は彼の鱗同様に美しい銀色で、凜花のものには龍真珠があしらわれている。

 真珠が人魚の涙と言われるように、天界では龍真珠は龍の涙だと言われている。

 実際は、天界に咲く龍の花の花芯から採れるのだが、採取できるまでに何年もかかる上に龍の花は滅多に開かないため、とても貴重なものだった。

 しかも、凜花の指輪に施されているのは大きく艶やかで、この二千年で一番美しいものだという。



 ふたりは互いの薬指に指輪をはめると、自然と微笑み合った。



「凜花」


「はい」


「身も心も魂も我と共にあれ。唯一無二の、我が愛しきつがいよ」


「はい。私のすべては愛するあなたとともに――」



 真っ直ぐな双眸が、凜花を見つめる。

 深い愛と優しさに満ちた瞳に、凜花の胸の奥が甘やかな音を立てた。



 聖が小さく頷くと、凜花は穏やかな笑みを零し、瞼を閉じる。

 直後、凜花の唇と彼の唇がそっと重なった。



 聖と凜花がつがいの契りを交わしたあの丘は、焼け跡にもまた草木が芽生えるようになった。

 夏には一面に凜の花が咲くだろう。



 風に揺れる春の花にまぎれて、ふたりを祝福するように凜の花が芽吹いた。

 聖と凜花がそれを知るのは、あの丘に足を運ぶ明朝のこと。

 夏の匂いが微かに混じった春の優しい香りに包まれる中、くちづけを交わしたふたりの心は幸福感で満ちていた――。


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